矜持のために起こした過ち
事態が急変したのは、フレーシアがミルドナ学園に入学して半年が経った頃。
ミモザが私との間に子供ができたと言ってきたのだ。
まさか⁉ と思いつつも身に覚えはある。
だがこの国で唯一の避妊具、女性に飲ませる物で少々値は張るが、それを買い与えて飲ませていたはずだ。
それが効かなかったのか?
私はミモザに訊いた。
「それは、私の子か?」
「ひどい! 疑うのですか?」
ミモザは相変わらず短いスカートに生足で、走り回っている。
当然、新入生も見るたびに驚いていた。
フレーシアもその一人だった。
「サシュティス様のお側にいる女性は、その、平気なのでしょうか? あのようなお姿で」
「上っ面しか見ない頭の固い女が言いそうなことだな。ミモザは天真爛漫なのだ。細かいことなど気にしない。学生生活を満喫しているのだ。お前も少しは羽目を外してみたらどうだ? 世界が変わって見えるかもしれないぞ」
王太子妃教育を完璧に終えた淑女の鑑のようなフレーシアに、馬鹿なことをしてみろと揶揄する。
いつも張り付けた微笑みを絶やさない彼女が一瞬、顔を赤くした。
人前であのような姿をさらす。
彼女には耐え難いことであろう。
私の背筋がぞわりと震えた。
フレーシアのすました顔が歪むのに、私は今まで感じたことのない高揚感を抱いたのだ。
それからの私は、わざと彼女の前でミモザと寄り添ってみせた。
フレーシアがいるのを知っているうえでキスしたり、体に触れたりしたのだ。
フレーシアの顔が歪むのを見るたびに、私はぞわぞわと快感に打ち震える。
行動が、悪化していたのは自覚していた。
体を重ねたのだって、学園でそこまでしていたのだから逢引時にそうなることは、自然の成り行きだろう。
だが、それでも私はミモザを王太子妃になどするつもりはなかった。
彼女とはただの遊びだ。
ミモザもそれをわかっていたはずなのだ。
それなのに、子供だって⁉
ありえない。
私はすぐにミモザに命令した。
「堕ろせ」と。
ミモザはヒステリックに喚き散らしたが、金の話をしたら不承不承ではあるが頷いた。
当然だろう。
ミモザとて、本当に産む気などなかったのだから。
父親が誰かも特定できない状態では。
彼女が、私以外の男と関係を持っていたことは知っていた。
そして子供のできた時期を考え、一番地位の高い私に目を付けたことも知っている。
上手くいけば妃として迎えてくれるかもしれないという淡い期待と、妃は無理でも慰謝料はたっぷり取れるだろうという打算を持っていたことも。
だから彼女の望み通り、金で解決したのだ。
まるで、ではない。
彼女は私にとって娼婦そのものだったのだ。
ミモザとの関係もここまでだと私が清算するつもりでいたある日、学園の廊下で悲鳴が聞こえた。
あの時、私は知らぬ顔をすればよかった。
悲鳴が聞こえた場所からは距離もあったし、走って現場に行く必要などなかったのだ。
それをデルクトが、行きましょうと背中を押すものだから、思わず駆け付けてしまったのだ。
野次馬をかき分け辿り着いた私の目の前に現れたのは、階段下にミモザが倒れていて、階段上にフレーシアが呆然と突っ立っている姿だった。
デルクトがフレーシアに駆け寄る。
仕方がないので、私はミモザに近寄った。
私の姿を見つけたミモザは、泣きながら縋り付いてきた。
喚き散らすミモザを落ち着かせようと怪我はないかと尋ねると、彼女はお腹を押さえ痛いと叫ぶ。
「フレーシア様が、フレーシア様が私を階段から突き落としたのです。ううぅ、お腹が……。どうしよう、サシュティス様。私たちの赤ちゃんが、死んでしまったかもしれません」
「!」
信じられないことに、ミモザはお腹の子供の存在を声高々に暴露したのだ。
衆人環視の中、突然窮地に立たされる。
金を渡し、すでにお腹の子供は始末したと思い込んでいた私は、狼狽した。
だからだろう。普通の冷静な判断ができなかったのだ。
騒めく生徒たちに縋り付くミモザ。
そして階段上からフレーシアの「サシュティス様」と非難のこもった瞳に見つめられ、気付けば私は叫んでいた。
「フレーシア、貴様という奴はなんていう悪女なんだ。階段からミモザを突き落とすとは。それだけじゃない。今までも、ずっと陰でミモザをいじめていただろう。ここまで悪辣な人間だとは思ってもいなかった」
「お待ちください、サシュティス様。それはいったい、どういう……」
「言い訳など見苦しいぞ。ミモザから全て聞いている。目撃者もいるのだ。そうだろう、ミモザ」
「はい。フレーシア様に怪我を負わされたのは、一度や二度のことではありません。足を引っかけられたり、水をかけられたり。持ち物だって盗まれて壊されたりしました。今だって、私を殺そうと、階段から突き落としたのです」
私が叫ぶありえない内容に、ミモザが嬉々として合わせてくる。
濡れ衣以外の何物でもないその言葉に、フレーシアの顔は真っ白になっていた。
婚約者でもない女を孕ませたなどという醜聞をかき消すために、私はフレーシアを悪女に仕立て上げようとしたのだ。
彼女が悪辣な人間ならば、私が浮気したとしても同情の余地があるだろう。
以前からミモザに聞いていたいじめの数々を、フレーシア一人に覆いかぶせたのだ。
ミモザはフレーシアの悪行だと訴えていたが、私には彼女がそのようなことをするはずがないとわかっていた。
それに何より、フレーシアはまだこの学園に来て半年しか経っていない。
一年が三年のクラスに来て、そのようなことをすれば、すぐに露見してしまう。
冷静に考えなくても、ありえない話である。
だがその時の私は、無理矢理でも何でもいいから、皆の関心を逸らすことだけに必死だったのだ。
そこでフレーシアが泣きながらその場を去れば、あとは内密に処理することができたのに、ここでまたもデルクトに妨害された。
「サシュティス様、それはありえません。フレーシア様はそのようなことができるお方ではありません。サシュティス様もよくご存知のはずですよ。フレーシア様は優しく聡明で、穏やかな気質の気高く美しいお方です。そのような戯言を信じてはいけません」
フレーシアを庇うように背に隠し、私に意見してくるデルクトに私は「お前は誰の護衛だ」と叫んだが、デルクトは「目を覚ましてください。フレーシア様がそのようなことを、なさるわけがありません」
と叫ぶばかり。
するとミモザが私を押しのけ、デルクトに噛みつく。
「私は本当のことを言ったまでです。デルクト様はフレーシア様の本当の顔を知らないだけだわ。女には裏の顔があるのですよ」
「フレーシア様に限ってそれはない。君がそうだからと言って、皆がそうだとは考えないことだ。大方、いじめなんて話も、君の虚言だろう」
「ひどいわ、デルクト様。サシュティス様、私こんな侮辱を受けたのは初めてです」
そう言って泣き真似をしながら、私に縋り付いてくる。
助けを求めるなら出るなと言いたい。
「フレーシア、降りて来い。いつまで上から見下ろしている気だ。私は王族だぞ。不敬だろう。このままそこにいる気なら、婚約は破棄する!」
デルクトが煩いので、とにかく彼女に跪かせて形だけの詫びを入れさせようと、私はフレーシアを呼んだ。
彼女さえ頭を下げれば、この場は上手く収まるのだ。
本当に婚約破棄など、する気はなかった。
私の怒声にビクッと体を揺らしたフレーシアは、血の気の失せた顔で私を見下ろす。
婚約破棄という言葉に、それだけは避けなければと婚約者の矜持が働いたのかもしれない。
震える足を階段に乗せた瞬間……踏み外した。
落ちるフレーシアを抱きしめ、デルクトも一緒に落ちてくる。
驚く私とミモザの横に、ゴロンと転がるフレーシアとデルクト。
キャーっという悲鳴の後に、駆け付けた教師により二人は担がれ、運ばれた。
頭から血を流す二人に、私も冷静ではいられなかった。
どうしてこんなことになったのだ?
私はただ、フレーシアの嫌がる顔が見たかっただけなのに。