信じられない思いによる暴走
私の執務室の机の上には、溢れんばかりの書類が散乱している。
一枚でも多く処理しろと側近のゼシュアが睨むが、今はそれどころではない。
今しがた受け取った手紙には、どうしても信じられない文字が書かれていたのだ。
フレーシア・タリト侯爵令嬢は、八年前に亡くなっています。
――は?
何度読み返しても、そこには同様の文字が書かれている。
私は手にしている手紙を、穴が開くほど見つめ続けた。
だが、その内容が変わることはない。
既定の挨拶文に始まり、続けて書かれた文字は信じられない内容だったのだ。
フレーシア・タリト侯爵令嬢は、八年前に亡くなっています。
学園で階段から落ちた後、大怪我を負ったままタリト侯爵領に戻った令嬢は寝たきりになり、そのまま起き上がることなく二年後、息を引き取ったそうです。
領地内にある教会で親族だけがひっそりと見送り、埋葬されました。
教会の神父に金を握らせ喋らせたので、間違いはありません。
墓石も確認しました。
生前の彼女の姿は侯爵家担当医師と使用人以外、誰も見てはいないそうです。
そういった訳で、令嬢の噂はタリト領地内でも一切ありません。
令嬢がいない以上、我々はどうしたらよいでしょうか?
今後の指示をお願いいたします。
なんだ、この手紙は?
私を揶揄っているのか?
それとも宰相に計画が漏れて、こんな馬鹿げた内容の手紙を書かされたのか?
ダンッ!
私は手紙を握り潰し、机に叩きつけた。
その音に、隣で仕事をしていたゼシュアが驚いた表情を見せているが、そんなことはどうでもいい。
こんな手紙、信じられるはずがないだろう。
私の……あの、フレーシア・タリトが……死んだ、だと⁉
あの可憐な少女が、もうこの世にいないというのか?
私の体が、ワナワナと震えだす。
あの階段の事故の時、彼女はデルクトが身を挺して守ったはずだ。
それなのに死に至るほどの大怪我を、あの時すでに負っていたというのか?
まさかという思いを抱えながら、そういえばあの時のタリト侯爵の様子は明らかにおかしかったと思い出す。
玉座の間で会った侯爵は何も語らず、ただフレーシアと共に領地に戻ることだけを望んだ。
あの時は怒りのあまり寡黙でいたのだと思っていたが、もしかしたらフレーシアの状態がよくないとわかっていたから、残りの時間を家族だけで過ごしたいと願ったのだろうか?
あの家族思いの侯爵なら十分にありえる。
だが、それではデルクトは何のために死んだ?
フレーシアを守るために体を張ったというのに、彼女まで死んでは何の意味もないではないか。
死に損となったデルクトにまで、怒りが湧く。
守るのならば、しっかりと最後まで守り切れ。
そして手紙の内容が誠ならば、どうして今の今まで誰も何も語らなかったのだろうか。
父上や宰相が、徹底的にフレーシアの情報を私の耳に入れないようにしていたのは知っていた。
タリト侯爵領地内の情報すら与えてくれなかったのだから。
私もずっと、それでいいと思っていた。
聞いたところで、心乱されるだけだと思っていたから。
けれど、それがフレーシアが亡くなったことを隠すためだったとしたら……。
どんどんと顔色が悪くなる私を見かねたゼシュアが、休憩を促してくる。
だが私は心配する彼の声も聞こえないほど、動揺していた。
いや、動揺するなという方が無理だろう。
思わず目の前にいるゼシュアに事の真相を問いただしそうになるが、彼はフレーシアに関することは一切知らない。
あの事件も事が起きた後、佇んでいる私を心配して声をかけてきた善良な生徒の一人に過ぎないのだ。
私は己の愚行を見ていない彼に安堵して、側に置くことを決めたのだ。
あの時は、周囲の全員が敵のような感覚だったので、何も知らない彼のような存在は大切だったのだ。
だから事件後、側近にした後も彼はフレーシアに関することは何も知らない。
いや、フレーシアだけではなく、ミモザのことも知らせてはいない。
彼はただ、私の執務を手伝うのみなのである。
そんなゼシュアにフレーシアのことを訊いても、わかるはずがない。
そして、頭に浮かぶのはただ一人。
全てを知っているであろう人物、宰相に問いただしたいが、彼が素直に答えてくれるはずがない。
それどころか、どうして今更彼女の身辺を探ったのかと、いらぬ腹をこちらが探られてしまう。
私はそのまま机に突っ伏した。
フレーシア、何故お前は私を置いて先に逝ってしまったんだ?
お前は私の傍で、私の補助をするべく産まれてきた女だろう⁉
それなのに困っている私を置いて勝手に逝くなど、決して許さない。
お前は私の、私だけのために存在する女なのだ。
そこでハッと顔を上げる。
そうだ、彼女は生きている。
ここに、この城に、いるではないか。
十年前と何一つ変わらない姿のままで。
「サシュティス様、どうしました? 真っ青になられたかと思うと、今は赤くなっておられます。熱でもあるのでしょうか?」
ゼシュアが心配して額に触れようとした手を、私は軽く払いのける。
「……問題ない。それよりも、学園に行くのは私とお前、イーグリー・エグタリット第三王子とエリーナ・チェス嬢だけなのか?」
「ですから、先ほど渡した用紙に書いてありましたでしょう。エグタリット国の側近二人と護衛が三人、エリーナ嬢の侍女が三人、後はこちらから護衛騎士を五人要請しております」
呆れたように先ほど確認したはずの書類を、再び机に戻される。
私はその予定が書かれた書類を、今度は注意深く眺めた。
「……多いな。たかが学園に行くだけだ。もう少し減らしても、いいのではないのか?」
「これでも少ない方ですよ。他国の王族が、しかもエグタリットという大国の王族が十年ぶりに訪れたのに、万が一があっては大変です。百人体制で取り組んでもやり過ぎではないくらいですよ。それでも生徒が多くいる中であまり大事にされては困るとの学園側からの要望があり、何より学園には専属の警備兵もいるので、最小限の人数にさせていただいたのです」
「そうか……」
そのまま私が無言になったのを終了の合図だと思ったゼシュアが、自分の椅子に戻ろうとしたところを慌てて引き留める。
「エリーナ・チェス嬢とは、どういう女性だ?」
「は?」
いきなり何を訊かれるのかとキョトンとするゼシュアに、私は言い訳めいた口調で説明した。
「だから学園を案内するのに、人柄をまるで知らない訳にはいかないだろう。好きな物や興味のある物など知っていたら、学園も案内しやすい」
「ああ、なるほど。確かにそうですね。わかりました。でしたら、イーグリー殿下のも必要ですね。後ほど、まとめてお渡しいたします」
やっとやる気になってくれたかと、ゼシュアは嬉しそうに頷いて資料をまとめに行った。
だが、第三王子の個人資料など全く興味がない。
必要なのは、エリーナ・チェス嬢のだけだ。
彼女がどれほどフレーシアに似ているか、それだけが知りたいのだ。
そして私が想像している通りなら、彼女はフレーシアの生まれ変わり。
年月の矛盾など関係ない。
彼女は私のためだけに存在する女性なのだから。
私が必要としたからこそ、今ここに再び現れたのだ。
他国の王族の婚約者⁉ そんなことは問題にもならない。
私はこの国の王太子なのだ。
次期国王になる私が望むのだから、たとえ大国だろうが第三王子などお呼びではない。
きっと彼女も喜んで私の手を取るだろう。
エグタリット国も、我が国と縁深くなると嬉々として彼女を差し出すはずだ。
二人の間に障害など、ありはしない。
ああ、フレーシア。
今度こそ、君を全身で愛してあげよう。
照れくさくて、貴方を遠ざけていた幼い私はもういないのだ。
今度こそ幸せにしてやると、私は笑みを深めていく。
夜会会場で一際目立つ、美しい彼女の姿を思い出す。
あの慈愛に満ちた可愛らしい笑顔が、今度こそ私に注がれる。
踊る私と彼女を目にして、父上も母上も宰相も肩の荷が下りたと安堵することだろう。
幸せな姿を妄想して私はゼシュアがいない執務室で一人、ハハハハハと高笑いする。
手には、先ほど握り潰した手紙が残っている。
二人をすぐに呼び寄せなければいけない。
次の仕事は決まっているのだから。
私は手にしていた手紙を引き出しの奥深へとしまうと、新しい便箋に手紙をしたため始めたのだった。