王家の血筋と自分の在り方
サシュティス・ゴロッシュは、目の前で優雅に踊る女性の一挙手一投足に目を奪われていた。
お手本のような綺麗なダンスなのだが、時折りわずかに力が入る手を見て口元を緩めてしまう。
そう、彼女も私と踊る時はそうだった。
その身を全て任せてくれなくて、少しだけ力が入っているのに気付いてしまう。
そんなに私が信用できないのかと、いつも拗ねてしまっていたが今思い返せば、それだけ彼女が私に恥をかかせてはいけないと緊張していたのだろう。
フレーシアはそういう女性だったと懐かしく感じていると、目の前の彼女に一緒に踊っている婚約者の王子が耳元で何かを囁いた。
途端に彼女の動きが滑らかなものへと変わる。
そうして本当に嬉しそうに顔をくっつけ、笑い合って踊る。
こんなに楽しそうな表情、フレーシアは私に見せてくれたことはなかった。
あの容姿が綻ぶと、あんなにも可愛らしくなるのかと、年甲斐もなく胸が高鳴る。
あの頃のフレーシアにあんな顔をされていたら、私だってあんな態度はとらなかったのにと不満に思う。
――あれから十年。
フレーシアは、どうしているのだろうか?
タリト侯爵の領地の話は、皆が私の耳に入れないようにしているのだろう。
彼女の近況どころか侯爵の噂も、一切聞かない。
それでも婚姻したという話は聞かないので、彼女は醜い傷のために一人身を余儀なくされているのだろう。
可哀想に……。
私の元にいれば、どれほど醜い傷だろうと抱きしめてやったというのに。
あの時、フレーシアは私のことを本気で好きではなかったと皆が言っていたが、真実は本人に聞かなければわからないはずだ。
それに、よしんばそれほど好きではなかったとしても、傷を気にせず可愛がってやっていたら彼女は必ず私に惚れていたに違いないのだ。
伊達に彼女と、七年も一緒に過ごした訳ではない。
私と彼女の間には、確かに情が存在した。
それを愛情に変えるのは、簡単なことだったのだ。
少し歩み寄る時間さえくれれば、それだけでよかった。
それなのに周囲がそれを認めずに引き離してしまったから、私たちはこんなに切ない十年を過ごす羽目になってしまったのだ。
フレーシアがこの城を去った後、仕方なくミモザを王太子妃に据えたが、結婚式のお披露目に出ただけでその後、一切公に出ることはなかった。
一応、私との逢瀬は許可されたが、ただそれだけ。
彼女は王太子妃の教育を施されるどころが、私との間に子供を儲けることも許されなかった。
どうせ努力など大嫌いなミモザに妃教育などできるはずもなかったから、それはどうでもよかったが、彼女しか抱けないという事実の方が大問題だった。
ミモザの子など、王族に迎え入れられないのは当然だと思う。
だから私は、ほとぼりが冷めれば誰か適当な女をあてがわれるのだと考えていたのだ。
王妃になれなくても、自分の子供や孫を王にさせたい貴族はごまんといるはずだ。
秘密裏に何人かの娘を、寝所に寄越されると覚悟していた。
それまではミモザで欲求を満たすしかないと考えていたが、一向にそのような気配はなかった。
このままでは王家の血が絶たれてしまうと危惧した私は、宰相に話をしに行った。
すると宰相は冷めた目を私に向けると「子など、どうにでもなると仰ったのはサシュティス様ではありませんか。今更私に相談されても困りますね」と嘯いた。
玉座の間で皆が去った後に吐いた言葉を、そのまま揶揄された私はカッとした。
「ならば、私の子を欲しがっている娘を連れて来い。全員相手をしてやる」
「は? そんな令嬢がいるはずないではありませんか。高位貴族は貴方を見限っているし、令嬢も貴方がフレーシア様にしていた数々の悪態をその目で見ております。誰が好き好んで蔑ろにされたいものですか。下位貴族の者だって王妃や側妃になれない以上、権力を手にすることもできないうえに、秘密裏に王家の子を産ませたところで、その子を取られるだけです。何の得もしないのですよ。残るのは、わずかな謝礼金と傷物にされた娘だけです」
そう言った宰相を、私は唖然と見つめてしまった。
フレーシアがいた時だって、私の見た目に擦り寄っていた令嬢は沢山いた。
一度の過ちでもいいからと言い放った女だっていたのだ。
それが今、私と関係を持つのを皆が嫌がっていると言うのか?
王太子である私の子を産むのに、何の得もないと言いきるのか?
私が何も言わないことで話が終わったと思った宰相が仕事に戻ろうとしたので、私は慌てて話題を戻した。
「……な、ならば王家の血筋は、どうするつもりだ? お前はどう考えている?」
「ですから、私は知りません。私の仕事は、高位貴族の抜けた穴をどうにか埋めて、この国を存続させることですから」
面倒くさいと唸る宰相に、私は焦れたように叫ぶ。
「だったら、ミモザに子を産ませろ。それが無理なら、ミモザを始末しろ!」
「いい加減にしなさい。そう望むのなら、貴方が態度を改めなさい。周囲に彼女が王太子妃でも問題がないと思われるように、貴方が彼女の至らなさを補えばいいのです。誰が相手でも王太子の貴方がしっかりすれば、誰も文句は言いません」
グッと言葉を詰まらせる。
そんなこと、できればとうにやっている。
私がそんな人間ならば、フレーシアにだって劣等感を抱くことなどなかったのだ。
二の句が継げない私に、宰相は話にならないと言いたげに仕事に戻る。
私にはミモザしかいない。
だがそのミモザを、誰も王太子妃として認めない。
私自身、ミモザを王妃になどできないと考えている。
ミモザに対して何の情もないのだから、彼女のために頑張ることなどありえない。
これがフレーシアだったら、私も少しは気持ちを入れ替え、頑張ることができたのだろうか?
そんなことを思い出し、ふと会場に目を向ける。
私は頬を染めて、婚約者に笑みを向ける女性を見つめた。
十年前の自分とフレーシアが、彼女たちに重なった。
そうだ、フレーシアを呼び寄せよう!
十年も経ったのだ。
さすがにタリト侯爵も、あの時の行いを後悔しているに違いない。
怒りに任せて彼女を領地に連れ帰ったはいいが、十年経った今、行き遅れに成り下がった娘を正直、持て余しているはずだ。
タリト侯爵の情報は入らないが、彼女には兄がいた。
興味がないからすっかり忘れていたが、十年も経てば嫁ももらっていることだろう。
兄夫婦がいる中で、フレーシアもさぞ肩身の狭い思いをしているに違いないのだ。
そこで私が呼び寄せてやれば、彼女は絶対に喜ぶ。
もしかしたらこの十年、私からの言葉を待ちわびていたかもしれない。
すまなかったと抱きしめれば、彼女はいいえと泣きながら、それでも会いたかったと言ってくれるはずだ。
傷のことを気にするかもしれないが、そんなことは些末なことだと言ってやる。
少女だった彼女は、今はさぞ美しい妙齢な淑女へと変わっていることだろう。
それでもお互いに年を取ったなと笑い合えたら、それだけで十分だ。
王家の掟など知ったことか。
必要なら今度こそ、ミモザを亡き者にして王太子妃の座を彼女に授ける。
「クククククッ」
思わず笑いが込み上げた。
周囲の目が私へと向けられるが、そんなことはどうでもいい。
クルクル踊る他国の彼女に、感謝する。
私はやっと、フレーシアを迎え入れる決心がついたのだ。
この十年は、歪としか言いようがなかった。
誰が何と言おうが、私の隣にフレーシアがいることこそが、本当の正しい形だったのだ。