侍女頭の下心の末の苦労
十年ぶりに訪れた他国の王族の前で、我が国の国王陛下と王太子殿下はいきなり失態を犯している。
王太子殿下の生活区域で侍女頭を務めている私、ドンナ・オンリカは情けないと嘆きながらも、仕方がないかと妙に納得する部分も持ち合わせていた。
それは何故かというと訪れた王族の婚約者が、かつての王太子殿下の婚約者、フレーシア・タリト様にそっくりだったからである。
フレーシア・タリト侯爵令嬢。
私は、彼女が王太子妃になるのを心待ちにしていた。
彼女が城に上がった幼い頃から、いずれ王太子妃になられた暁には、私は確実に利益を得られると踏んでいたのだ。
今でこそ侍女頭などという大層な役目に就かされているが、あの頃の私は一端の侍女でしかなかったのだから、彼女を野心の道具に考えても仕方がないと思う。
王太子妃様(今の王妃様)が輿入れの際に、城では侍女を数十名、特別採用した。
私は伯爵家の四女で、当然のことながら王太子妃様に侍ることなどできなかった。
王太子妃様が母国からお連れになった侍女数名と、高位貴族の子女が周りを固めたからだ。
伯爵家の子女といえば立派な貴族に思われがちだが、所詮は四女である。
結婚の支度金を揃えるだけでも大変だと、城の侍女として働きに出されたのだ。
自分の将来を親には頼れないと悟った私は、ここで成り上がるために努力した。
最初は地位のある見目好い男性を捕まえようと躍起になったが、そんな男性には当然のことながら、すでに婚約者がいる。
今更割り込むことは、かなり難しい。
容姿や人柄などを無視すればいいのだが、さすがに私にも好みというものはある。
仕方がないので城での地位を確立しようと、仕事を地道に頑張って当時の上司である侍女頭に認めてもらおうとした。
その甲斐あって、十代後半で早々に認められた。
だがそれは、自分より上の立場の者がいいように利用するだけで、直に私の功績にはならなかったのだ。
城で働くということに嫌気がさし始めた頃、噂話を聞いた。
王太子様と王太子妃様は、あれほど仲睦まじいのにお子の兆しはないというもの。
どうやらそれは王太子妃様側に問題があるのではないか、というものだった。
要するに、王太子妃様にはお子が産めない。
以前から王太子様の容姿には、心惹かれるものがあった。
私は侍女頭に頼んで、なんでもいいから王太子様の身の回りの仕事をさせてほしいと頼んだ。
上手くいけば見初められてお手付きにでもなれば、などという下心はさすがに言えないので、王族の身の回りをすることで経験を積みたいのだと説得した。
幸運なことに私の仕事ぶりを知っている侍女頭は、二つ返事で頷いてくれたのだ。
次の日から、私は王太子様の寝室の掃除を任された。
これは見初められれば、すぐに結果を得られる場所だと内心、浮かれたのは言うまでもない。
しかし、王太子様と直接会うことは叶わず、翌日の寝台の乱れ具合で王太子妃様との仲の良さだけを見せつけられる羽目になった。
むしゃくしゃする私の目の前には、王太子妃様が忘れているであろう首飾りが落ちている。
昨晩の行為の際に邪魔で、王太子様が外したのかもしれない。
王太子妃様はあまり物に執着しない性質らしく、側に侍る侍女の管理も曖昧だと聞いたことがある。
私はそれを、そっとエプロンのポケットにしまった。
ある日、私は一人の令嬢の世話を頼まれた。
口が堅いことを認められての抜擢で、彼女の存在は絶対に他言無用だと約束させられた。
誰かに話せば首が飛ぶ、という脅しまでかけられたうえで、名前も教えてもらえない彼女を紹介されたのだ。
何故、王太子の自室にある隠し部屋で、監禁状態にある女性の世話などしなければならないのか?
いや、隠し部屋ってそもそもこんな大層な場所を、一端の侍女などが知ってしまってよいものなのか?
いやいや、それよりも何よりも彼女は一体何者なのか?
疑問はいくらでもあったが、それを口にすることは一切、許されなかった。
首が飛ぶ、という脅しは、きっと職を失うという意味ではないのだろう。
貧乏伯爵家の四女の首など、上層部にとっては軽いものなのだ。
暫くして何故か彼らに令嬢が身重になったことを告げられ、くれぐれも身辺には気を付けるように命令された際には、私は己の命の儚さに涙した。
最初は大人しかった令嬢が、腹が膨れるのと同時に威丈高になっていく。
その頃から王太子妃様が隠し部屋に訪れ、彼女の体調の変化や仕草を事細かに聞いてきた。
以前から懸念していたことが当たってしまった。
これは子供のできない王太子妃様の代わりに、彼女が腹を貸したのだと。
ということは、彼女は王太子様とそういう関係。
私が望んでいた場所を、彼女は手に入れたのだ。
威丈高になるのも仕方がないかと諦めそうになったが、それにしても彼女の態度は目に余った。
食事の好き嫌いはもちろんのこと、気分で気に入らなければ作り直させたり、宝石やドレスを要求したり、末端の侍女の権限では到底叶えられない厚遇を訴えたりと、もう手には負えないほどの我儘ぶりを発揮し始めたのである。
そのうちに、物を投げつけられるようになった。
その際に散らばった物を、いつものようにこっそりポケットにしまったが、誰も気付く者はいなかった。
何故なら彼女は秘密の存在だし彼女自身、物を欲しがる割には固執しない性格で新しい物ばかりに目移りする性格でもあったから。
物に執着しないという点だけは、王太子妃様と一緒なのかもしれない。
そうしてそんな日が何度か続き、とうとう私の頭に当たって血が流れ気を失って、初めて上層部の耳に入ることとなる。
窘めようと何人かの上層部の方が訪れたが、彼女は鼻で笑って受け入れない。
そのうち、王太子妃様にまで王太子様に愛されているのは自分だと毒を吐くようになった。
少なからずは私が夢見たその姿に、もしも彼女の立場になっていたら、私もあんな風になっていたのだろうかと切なくなる。
だって明らかに彼女は、道化なのだ。
王太子様が傍に置くのは、あくまでも王太子妃様。
彼女がなんと喚き暴れようと、それはこの室内だけの話なのだ。
彼女の存在など、外では誰も知らない。
そうして子供が無事に産まれた後、侍女頭から彼女は辺境領に嫁ぐと教えられた。
ああ、厄介払いか。
彼女が去ることで安堵するのと同時に、素直に行くのだろうかという不安も抱える。
まさか私もついて来いなどとは、言われないよね?
せっかく城で働いているというのに、辺境領などに連れて行かれてはたまらない。
お給金だって雲泥の差だろうし、何よりステイタスが違い過ぎる。
そんな心配をしていた私だったが、それは彼女が自害したことで杞憂に終わった。
第一発見者は私。
いつものように朝の挨拶に来た私の目に、小刀を右手に握り左手を真っ赤に染めた彼女が、寝台の上で蹲っていたのである。
私の悲鳴で騎士が駆け付け、その亡骸は秘密裏に片付けられた。
私は大量の金貨を握らされて、元の仕事へと戻される。
そうして彼女の子供は、次期国王としてすくすく育っていった。
普段は王太子様の母君によく似た容姿をしておられるので感じたことはなかったが、癇癪を起こした際の姿は彼女とそっくりであった。
これは私しか気付かないこと。
この子はきっと、産みの親に似る。
その姿にゾッとするが、私はこれがきっかけで、それなりに侍女としての地位を確立していった。
もう今更ここを去ることなどできない。
王家の秘密を知っている私がここを去る時は、生きてはいないだろう。
ならば、この場所で私は私の確固たる地位を築くだけ。
王太子妃様は王妃様となられたが、秘密を知っている私には距離を保たれている。
王族に気に入られなければ、私の地位など脆いものだ。
王太子様だった国王様は、私など視界にも入れない。
子供は王太子様になったが、あの令嬢を思い出すからどうしても親しめない。
王族に近寄れない私が最後に見つけた方こそ、問題の王太子様の婚約者として城に現れたフレーシア・タリト様だったのである。