クズの側近を任せられた男
おいおいおい、何、淑女をガン見してるんだ⁉
僕は目の前にいる王太子の行動に、眩暈がしそうになった。
十年ぶりに他国から王族が遊学に来てくれたというのに、その婚約者に見惚れているなんてありえない。
自分の主の駄目っぷりを目の当たりにした僕は、どうやってこの雰囲気を変えるべきかと頭を悩ます。
しかし、さすがは王妃様。
一瞬にしてその場の空気を変えてしまった彼女に、敬意を払う。
どうして僕の主はクズで、この母親に少しでも似なかったのかと残念で仕方がない。
僕はゼシュア・クラード。クラード子爵家の三男だ。
今、僕は一部の者にクズと呼ばれている王太子の側近をしている。
王太子の側近など本来なら僕のような下位貴族の三男に、そのような大役などまわってくるはずもない。
僕自身がとても優秀で特別な能力でもあれば別だが、悲しいかな、それほどの能力がないことは自覚している。
では何故そんな地位にいられるのかというと、それがクズと呼ばれている所以なのだろう。
僕が主である王太子と初めて会ったのは、ミルドナ学園で同じクラスになった時だった。
自己紹介の際に「私は王太子ではあるが、同時に皆と同じクラスの仲間だ。身分を気にすることなく、接してくれると嬉しい」という寛容な挨拶をされた王太子に感銘を受け、僕は高位貴族の取り巻き連中の取り巻きのような位置で、王太子の近くに侍っていた。
そこで気が付いたのは王太子は僕たち、一般の生徒に見せる態度と、取り巻きに見せる態度が微妙に違っていたことだった。
僕たちには常に微笑みを絶やさず、面倒くさい問題を相談されても親身に接してくれていた。
その筆頭が男爵家の娘、ミモザ・スワーキである。
彼女はなんていうか、こう、貴族の令嬢には見えない、自由奔放で色っぽい娘だった。
淑女をガン見するなどもってのほか、と教えられて育ってはいたが、彼女に至っては見ざるをえないと言った方が正しい。
彼女はその破天荒な衣装で、注目を浴びるのを喜んでいたのだろう。
でなければ胸元を開いて、スカートを短くして足を出すなどありえないことだ。
その令嬢が、頻繁に王太子に相談を持ち掛けていた。
聞くところによると、なんでも他の女生徒にいじめられているというような内容らしいが、正直そんな恰好をしているのだから自業自得だろうと思う。
それでも王太子は笑顔で対応しているので、なんとも寛容な方だと、この時も感動していた。
だが、取り巻きの高位貴族の方たちは、それに対してかなり不満を持っているようだった。
ある日、あまりにも頻繁に訪れるスワーキ嬢に対して取り巻きの一人が「サシュティス様には素晴らしい婚約者がいるから離れろ」と怒鳴ったのだ。
それを見ていた僕は、王太子の婚約者のフレーシア・タリト嬢を思い浮かべた。
確かに彼女は、美しくて気高い素晴らしい女性だ。
僕たちより二つも下だというのに、次々に功績を上げる姿は女神のようである。
そんな女性をあげられては、女生徒は王太子に話しかけるのも難しくなる。
まあ、スワーキ嬢の場合は下心満載なのがハッキリと見えるから、その取り巻きの方も牽制されたのかもしれない。
しかし王太子は、そんな彼に注意した。
「彼女は本当に困っているから、私に助けを求めたのだろう。そう目くじらを立てるな。私たちは同じクラスの仲間だろう」
そう言ってスワーキ嬢の肩を抱いて、その場を去ってしまったのである。
寛容ではあると思うが……初めて、王太子に対して違和感を覚えた。
肩抱く必要、なくねえ⁉
その後、王太子とスワーキ嬢は段々と距離を縮めていった。
さすがに寛容とかいう問題ではなくなり、誰が見ても眉を顰める状況になっていったのである。
僕たちには相変わらず優しく接してくださるが、そういう問題ではないだろうと誰もが囁きだしたが、それでも取り巻き以外の者は王太子に進言できなかった。
そして誰もが見て見ぬフリを続けた二年後、王太子の婚約者であるフレーシア・タリト侯爵令嬢が入学してきたのだ。
輝く美貌に皆が目を奪われたが、王太子だけは険しい顔で彼女を見つめていた。
あれほど素晴らしい婚約者に何故? と皆が感じていただろう。
入学されてからどれほど時が経とうと、王太子とタリト嬢が笑いあっている姿を誰も見たことがなかった。
反対にスワーキ嬢とは、より親密になっている様子だった。
そんなある日、事件が起きた。
フレーシア・タリト嬢が階段から落ちて大怪我を負ったと、皆がその場に集まっていたのだ。
僕もすぐに現場に行ったが、その時には彼女の姿はなく、先生が皆に解散を言い渡していた。
ふと見ると、階段下に王太子とスワーキ嬢が呆然と座り込んでいる。
いつもの取り巻き連中の姿もなく、誰も彼らに声をかけない姿に首を傾げた。
けれど、いつまでも王太子を廊下に座らせておく訳にもいかないだろうと、僕は身分を忘れて声をかけてしまった。
「サシュティス様、何があったか存じませんが、このような所でお座りになっていては体によくありません」
そう言って王太子をその場から立たせようと近付いたのだが、その時になってようやく足元に流れる血に気が付いた。
「ひっ、血⁉ サシュティス様、怪我、お怪我をされているのですか?」
慌てた僕は、王太子を立ち上がらせて体を確認した。
王族が怪我なんてしたら大変じゃないか。
だが、王太子の体には傷どころか汚れも見当たらなかった。
あれ、王太子無事じゃん。
ひとまず安堵したところで、僕は先ほどフレーシア・タリト嬢が大怪我をしたという話を思い出した。
ああ、それで王太子は心配のあまり呆然と座り込んでいたのか。
ん? 心配で座り込んでいたなんて変じゃねえ?
しかも隣にスワーキ嬢を侍らせた状態で?
己の思考に首を傾げていると、ポンッと肩を叩かれた。
「私は怪我などしていない。どうやら心配をかけたようだね。ありがとう。君は確か同じクラスの……」
「あ、はい。ゼシュア・クラードです」
「ああ、覚えておこう。君も、もう行った方がいい。私たちはまだ、ここにいないといけないから」
チラリとスワーキ嬢に視線を送った王太子に、タリト嬢の事故に二人が関係していることを悟った僕は、王太子に返事をして教室へと戻った。
まさかこのことが原因で、僕がその後の王太子の側近に選ばれるとは思いもよらなかった。
なんでも高位貴族の取り巻きたちが次々と彼の元から、いや城から去ったそうで、僕にお鉢が回ってきたということらしい。
その時は夢のようだと浮かれてしまったが、城に勤めるようになって事件の詳細を聞くことになった僕は、卒倒しそうになった。
婚約者以外の女、孕ませて、高位貴族に見捨てられたなんて、ただのクズじゃん!
しかも王太子はかなり横暴な性格で学園で見ていた彼の姿は全て演技だったらしい。
時すでに遅しで、僕はここから抜け出せなくなってしまっていた。
十年経った今も、王太子に無茶ぶりされている。
しかし、僕もこの十年で大分と鍛えられた。
最初は王太子の言うことに頷くしかなくて、昼夜を問わず執務室に籠る日々を当たり前のように過ごしていた。
一年が経ち、二年が経った頃、僕は体を壊して倒れた。
当然だろう。睡眠時間三時間なんて、人の生き方じゃない。
父上が国王に直談判に行ってくれて、そこで初めて僕の処遇が正された。
今すぐ改善するか、辞めるかの二択を迫った結果だった。
その時の王太子も不貞腐れていたが、さすがに僕に押し付け過ぎたと反省はしたようだ。
まあ、今僕に辞められたら王太子一人では立ち行かなくなってしまうだろう。
僕以外の側近もいるにはいる。
だが経験不足なうえ、僕より頭のいい奴がいない。
いや、僕もそんなにいい方ではないが、それでも今城にいる中ではマシな方なのだろう。
王太子は渋々ながらも、僕の意見を聞くようになった。
書類を回してくる王太子に、これぐらいはできるだろうと数枚は突き返してやるのだ。
文句を言おうものなら、では全てやるかと目の前に置くと、さすがに黙ってしまう。
国王様と王妃様の元には、これの三倍の書類が回されているのだぞと駄目押ししてやると、無言で取り掛かるぐらいには調教できている。
何度か「貴様など処刑してやる」と脅されたこともあるが「やれるものならやってみろ。終わりのない書類地獄に、君一人で挑む覚悟があるのならばな」と半ばヤケクソで叫んでやった。
この時は確か『もう死んでもいい。いっそ殺して』と本気で思っていたから、王太子であろうが神であろうがクズに文句を言われる筋合いはないと言い返していたのだ。
僕の本気が伝わったのだろう。
次第に王太子は、そんな言葉は吐かなくなった。
いくらクズでもわかったのだろう。
今の君に力はないのだ。
僕を殺したって、苦しむのは自分自身なのだということを。
図太くなった僕は、今日も王太子に書類を突き返す。
自分でやれと。
代わりにやってくれていた、美しく優しい女性はもう君の傍にはいないのだから。
チラリと目の前で書類に目を通す王太子に、少しは変わったかなと考える。
この過酷な十年の月日は、さすがのクズをも成長させてくれたのかもしれない。
――そう思っていた。昨日までは。
十以上も年の離れた他国の淑女に見惚れて、阿呆面をさらしている姿を見るまでは……。
いい加減、成長しろよ。いや、マジで。