選択権のない張りぼて王太子妃
玉座の間に連れて行かれた翌日、朝食を持って部屋に入って来たのは侍女ではなく、昨日紹介されたおじさんだった。
昼間に脅された恐怖で、なかなか眠れなかった私は、先ほど起きたばかり。
ぼんやりとした顔で、椅子に座るおじさんを見る。
「昨日の今日で、もう私に何かをさせる気? 朝食を持ってきたってことは、食べる時間ぐらいはくれるんでしょうね?」
「着替えなさい。寝巻のまま人前に現れるなんて、はしたない」
朝から勝手に人の部屋に入って来て文句を垂れるおじさんに、私はムッとした。
いくら何でも、こんなことで殴られたりはしないはず。
私は昨日の仕返しも兼ねて、ちょっと揶揄ってやろうと寝巻の胸元を広げる。
「あら、おじさんのくせに若い子に興味があるの? ここから出してくれるのなら、相手してあげてもいいわよ」
しなを作りチラチラと胸元を見せつけると、おじさんは無表情のまま大きな溜息を吐いた。
「こんな女に手を出すなんて……。殿下の趣味は最悪だ」
「何よ、いきなり来て失礼ね。文句があるなら出て行って」
バチイィィン!
「きゃあ!」
いきなりおじさんが、私の手を叩いてきた。
驚いておじさんを見ると、その手には小さな鞭が握られていた。
「私はお前の指導者だ。最低限の所作は覚えてもらう。そのために必要な教育は許されているからな」
「所作? 教育? 一体私に何をさせる気なの? せめて説明ぐらいしてくれてもいいんじゃないの?」
真っ赤に腫れた手を察すりながら、おじさんを睨む。
「私は何も聞かされていない。学園から城に連れて来られたかと思うと軟禁されて、これじゃあ、何をすればいいかも全然わからないわ。せめて、どうしてこうなったかの説明ぐらいはしてくれても、いいんじゃないの? そうすれば私に求めていることだってわかるから、言うことだって聞いてあげる」
「全く口の減らない……。説明したら、ちゃんと言う通りにするんだな?」
「少なくとも、今よりは聞く気になれるわ」
そうしてやっと、おじさんの口から城に連れて来られたあの日から何が起こったのかの説明を聞くことができた。
それは私が想像していたものと、全く違っていた。
「何よ、それ? あの時の事故は全部、サシュティスの所為じゃない。フレーシア・タリトの父親をはじめ、高位貴族が城から出て行ったのなんて、私に全然関係ないわよ。私はサシュティスに弄ばれただけなのに、どうして協力なんてしないといけないの?」
王族の掟により、一人の女性としか関係の持てない王太子と、子供を成したと大勢の前で叫んでしまった私を結婚させるしかなくなった王家に反発した高位貴族が、次々と城から離れて行ってしまった。
それにより城は大混乱。
私の能力では王太子妃など、とても任せられないものの、民には私との仲が身分を超えた真実の愛で結ばれた二人だと噂されており、これ以上の騒動を避けるべく、民へのお披露目をしないといけなくなった。
だが、私の腹には子などいない。
仕方なく、式だけ挙げて民への顔見世が終わったところで、私は倒れて子が流れたことにするそうだ。
それからは病弱設定にして私は一生、城に閉じ込められるらしい。
その式を無事に行うだけの最低所作だけを教えに来たのが、このおじさんだということだ。
本来なら女性が教えに来るはずなのだが、誰もやりたがらないうえに、下手をすると教育をやり過ぎて、私に傷を残す恐れがあるようなのだ。
この城には王妃様を崇める者が多いうえに、フレーシア・タリトの信望者も多い。
今回の件で、フレーシア・タリトはもちろんのこと、彼女を可愛がっていた王妃様の顔にも泥を塗ったと憤っている者は多いそうだ。
女性の怒りは男性のそれより陰湿で、民に顔を見せる前に私が潰されてはいけないと判断されて、このおじさんが来たようだ。
そもそも私のその後の処遇を考えると、安易に他者には任せられない。
残った上層部だけで対応していかなければ、いけないらしい。
それほど私は、疎まれている。
冗談じゃないわよ!
そんな王家の掟なんて私は知らないし、手を出したのはサシュティスの方でしょう。
彼さえその気にならなければ、こんな関係にはならなかった。
確かに街で噂を流したのは私だし、子供の話も嘘だ。
だけどフレーシア・タリトとの関係は、私が入る前から歪なものだったじゃないか。
それに何より結婚式を挙げさせてくれるなら、私が王太子妃でいいじゃない。
そんな王家の掟があるのなら、これから先もサシュティスは私しか抱けないはず。
それなら今度こそ本当に子供を産んでみせるから、王太子妃として認めてくれてもいいんじゃないの⁉
王太子妃の仕事なんて、私の代わりに誰でもできるでしょう。
王族の血を絶やさないことが、王太子妃にとって一番大事な仕事じゃないの?
そう叫ぶとおじさんの鞭が、またもや飛んだ。
「痛い。結婚式に跡が残ったら困るんじゃないの?」
「これぐらいは手袋で隠せる。やっぱり説明するだけ無駄だったようだな」
「何よ。ちゃんとわかってるわよ。王家の子供を産むのに私が大事だってことでしょう⁉ だったら、それ相応の対応をしてって言ってるの」
「お前などに王家の世継ぎを産ませるものか! 宰相はサシュティス殿下に子供は作らせないと言っているが、私はほとぼりが冷めたらお前を死んだことにして、新しい妃を娶らせるつもりだ」
――ゾクッとした。
このおじさんは今、私を死んだことにして殺すとは言っていないが、多分その時がきたら本当に殺すに違いない。
気付けば指先がブルブルと震えているが、私は悟られないように隠しながら反論する。
「そんなの掟に反するんじゃないの?」
「そうでもないさ。いままで亡くなった方がいなかったから前例がないだけ。子供も成さずに死んでしまえば、王位継承権で争うこともないから新しい妃を娶るのに問題はないはずだ」
まるでそれが決定事項のように話すおじさんに、今度こそ体全体が震えだす。
「少しでも長生きしたかったら、私たちの言うことを素直に聞いた方がいいと思うぞ。民の前で暴言でも吐こうものなら、一瞬でその命は消えるものと覚悟しておけ」
こうして私はおじさんの言う通りに挙式まで毎日鞭で叩かれながら訓練されて、大聖堂で式を挙げた後、民の前で微笑みを浮かべた幸せな王太子妃を演じたのである。
その直後、すぐに部屋に閉じ込められた。
当初の予定通り、披露宴も両親に会うことさえも許されない。
ウェディングドレスを脱がされて、もう用はないとばかりに一人ぼっちにされたのである。
その夜遅くに、サシュティスが現れた。
文句を言う気力もなくサシュティスを見上げると、彼はまた私を抱こうとしてくる。
確かに結婚式を挙げた今夜は初夜ではあるが、このまま軟禁されることが決まっている私を抱いて何の意味があるのだろうか?
私はサシュティスに、顔も見たくないほど嫌っているくせに、どうして抱きに来るのかと怒りをぶつけると、彼は面倒くさそうに吐き捨てた。
「お前しか抱けないのだから仕方ないだろう。ただの性欲処理だ」
信じられない言葉が返ってきた私は、唖然となった。
そんなことはわかっていたが、それにしたってまさか本当に、そんな言葉を平然と口にするとは思わなかったのである。
私は誘う相手を間違えたのだ。
こんなことになるのなら、下位貴族とでも遊んでいた方がマシだった。
もしくは、子供が産まれたとサシュティスに話してお金をもらった時に引いていれば、これほど惨めな思いをしなくて済んだのに。
クズ王子に一泡吹かせてやろうと思ったのが、そもそもの間違いだったのか、それともあの聖女のような女に喧嘩を吹っ掛けたのが間違いだったのか?
今になっては全てが悪かったのだろうと、己の浅はかさを呪うしかなかった。