勘違いの後の誤算
相変わらず女子生徒からの、私へ向けられた敵意は減らない。
彼女たちは平民のように手を出してはこないが、無視したり物を隠したりと陰湿な嫌がらせが多いのだ。
それらを全てフレーシア・タリトの所為にして、サシュティスに話す。
意地悪は可哀想にと受け入れてくれるが、それが自分の婚約者の仕業だとは絶対に認めない。
なんとなく鼻で笑われているような気までする。
婚約者に対する絶対の信頼感に、私はますます腹が立っていった。
そしてある日、サシュティスに子供ができたと打ち明ける。
あろうことか彼は、自分の子かと疑った。
ひどいと叫んだが、彼はわかっていたのだろう。
私が複数の男性と関係があったことを。
それでも私と関係を持っていたのは、全て婚約者に対する当てつけだ。
そしてやはり、お金で解決してきた。
ああ、所詮そんなものかと私は渋々といった体で受け入れた。
わかっていたこととはいえ、やはり悔しい。
もしかして、なんて考えた自分が馬鹿だった。
私はお金を握りしめて、薄い腹を擦った。
決行日は、一週間後だ。
フレーシア・タリトは本日移動教室のため、この階段を通る。
彼女の友人には同じクラスの男子生徒をけしかけて、一緒に来られないよう足止めをしてもらった。
だからこの階段を通るのは彼女一人。
以前、彼女の話をしてきた男子生徒を含めた数人に、第三者が来ないかの見張りと同時に目撃者になってもらう。
彼らには、フレーシア・タリトが私を階段から突き落としたと騒いで、窮地に追い込むと話した。
そうすれば皆が見たがっていた、あのお綺麗な瞳から涙を流すだろうと持ち掛けると、彼らはサシュティス同様の歪んだ情欲を掻き立てられたようだった。
フレーシア・タリトの泣き顔が見たいというだけで協力してくる男子生徒に嫌悪が湧かないでもなかったが、彼女を貶められるならどうだってよかった。
一応彼らにはその後、和解すると言ってある。
まぁ、そんなことはできないけどね。
あの聖女のようなフレーシア・タリトが女生徒を階段から突き落としたのだ。
それも婚約者であるサシュティスと仲が良い私を。
周囲の目が疑惑に満ちるのは、時間の問題だろう。
簡単に和解など、できるはずがない。
サシュティスが遠からず近からず、だけど声の聞こえる範囲にいることを教えてもらい、私はフレーシア・タリトが階段を上がりきったところで悲鳴を上げた。
一番上から落ちるのはさすがに抵抗があったので、中ほどの階段からわざと自分で落ちたのだ。
少々痛みはあったが、上手く落ちたのでたいした傷もない。
ポケットに隠していた血の瓶を、少しだけ足元に垂らすという細かな芸も忘れない。
驚き振り返るフレーシア・タリトに、協力者の男子生徒が口々に喚く。
大丈夫かと足から血が出ていると私を心配する声に、近くにいた生徒たちも何事だと集まってくる。
喧騒の中、呆然と佇むフレーシア・タリト。
そしてサシュティスが現れた。
彼は私の方に駆け寄ってきてくれた。
膝を突き、大丈夫かと尋ねてくる。
その行為に少しだけ驚いたものの、私は渾身の力をふりしぼった。
フレーシア・タリトが私を階段から突き落としたこと、そしてお腹にいるサシュティスとの子供の存在を、声高く喚きちらしたのである。
当然サシュティスは、顔面を蒼白にさせた。
まさかこんな所で暴露されるとは、思ってもいなかっただろう。
心中で大笑いしながらも、大粒の涙を流す。
町で遊びまわっていた私は、男が女の涙に弱いことを知っている。
沢山練習して自由に涙を流せる私は、ここぞとばかりに大量の涙を零す。
もちろん野次馬は、そんな私に釘付けだ。
狼狽えるサシュティスは、己の保身に走った。
フレーシア・タリトを咄嗟に悪女に仕立て上げ、周囲に子供の存在を忘れさせようとしたのだ。
人間とは、より刺激的な話題に飛びつくものである。
それがこの国の王太子と私との間の子供より、聖女と呼ばれた女が実は悪女だったという方がより魅力的だというのには、思うところもあるが。
とりあえず私は、彼の嘘に乗っかり、まずは彼女を貶めることにした。
震えながらも悪女とは認めない彼女。
そしていつもサシュティスと一緒にいる男が、何故か必死で否定する。
ああ、彼もまたフレーシア・タリトの信奉者なのだろう。
その間にも野次馬が増えていき、周囲の喧騒がひどくなるにつれ、サシュティスは目に見えて混乱していった。
フレーシア・タリトに罪を認めさせ謝罪させるために、自分たちの所まで降りて来いと言ったのだ。
拒むなら婚約破棄だとも。
ガタガタと震えるフレーシア・タリトに、である。
あれほど震えていては、まともに歩くことなど不可能だろう。階段を降りるなどもってのほかだと思った瞬間、彼女は私たちの横にゴロンと転がった。
何が起こったかわからなかった私とサシュティスの足元に、生ぬるい液体が流れてくる。
ピチャッと手がその液体に触れた。
ゆっくりとその物体に目を向けると、そこには男に抱かれたフレーシア・タリトが横たわっていた。
「キャアアアァァ!」
一斉に悲鳴が響く廊下で、私とサシュティスは呆然と座り込んでいた。
意味がわからない。
どうしてフレーシア・タリトとサシュティスの友人が、私たちの横に転がっているのだろう?
緩慢な動作で階段を見上げる。
ああ、そうか。
震えるフレーシア・タリトは階段を降りようとして、足を踏み外したのだ。
その行動は隣にいるサシュティスが命令したこと。
そうだ、彼が命令して彼女たちは落ちたのだ。
私の所為ではない。
私はただ、サシュティスと彼女に一矢報いたかっただけなのだ。
利用するだけ利用してゴミのように捨てようとしたサシュティスと、愛されて当然だというようにいつもすました顔をしていたフレーシア・タリトに。
暫くすると、数人の教師がやって来て救護室に彼女たちを運んでいくと、生徒たちをその場から解散させた。
私もどさくさに紛れて逃げたかったが、足がすくんで立ち上がれなかった。
協力者の男子生徒たちは私には目もくれず、そそくさとその場から立ち去って行く。
裏切り者と思いながらも、当然だろうなとも納得する。
彼らとの間には情愛など何もないのだから、これ以上私には関わりたくないのだろう。
残された私とサシュティスは、その後にやって来た騎士により城へと連れて行かれた。
サシュティスと引き離された私は、客間に通される。
色々と話を聞きたいから暫くここにいるようにと言われたのだが、その日から私は城に軟禁されることとなった。
学園の寮にも戻されず、もちろん男爵家にも帰れない。
手紙も、面会すらさせてもらえない状態だ。
まぁ、今の私に城に押し入ってまで面会を望む者などいやしないだろうが。
身の回りの世話をしてくれる城の侍女や、扉の外で待機している兵士に、いつまで閉じ込めておくつもりか聞いても、自分たちは何も知らないと首を振るばかり。
私は悪くない、命令したのはサシュティスだと訴えても、誰も耳を貸さない。
どうして、こんなことになってしまったのだろうか?
全てサシュティスが勝手にしたことなのに。
フレーシア・タリトを悪女に仕立て上げようとしたのも、震える彼女を階段から降りるように命令したのも、彼が勝手にやったこと。
私はただ、それに協力しただけなのだ。
そう、私がしたことなど些末なこと。
――子供ができた、と嘘を吐いたことだけなのだ。