出会いから思い出される過去
楽しんでいただけたら幸いです。
四方を山に囲まれたゴロッシュ国に、数年ぶりに他国の王族が遊学に訪れた。
婚約者を伴っての来訪に、城内は久しぶりの活気に満ち溢れている。
華やかな宴には、高位貴族が少ないものの、なんとか体裁を整えられる程度には人が集まっていた。
軽やかな音楽に人々の笑い声、食欲のそそる香りに色とりどりのドレスを身にまとった美しいご婦人方。
御年二十七歳になるゴロッシュ国の王太子、サシュティス・ゴロッシュはその光景を、目を細めて眺めていた。
十年前には、ありふれた光景だったというのに……。
サシュティスは会場を見渡すと、王太子の椅子に腰を下ろす。
隣には父と母である国王陛下と王妃殿下が、サシュティス同様、椅子にゆったりと座っていた。
かつては渓谷の獅子と恐れられるほど雄々しい姿であった国王は、この十年で一回り小さな体になってしまった。
心身ともに疲れ切った様子に、覇気は全く感じられない。
賢妃と呼ばれた王妃も同様である。
サシュティスはそんな彼らから視線を逸らす。
二人をこのような姿に変えてしまったのは、他ならぬ自分なのだから。
十年前にサシュティスが起こした事件をきっかけに、高位貴族の半分が王都から自分の領地へと引っ込んでしまった。
下位貴族は己らの立場を理解していないのか、それとも自分たちこそが城内の主とでも勘違いしているのか、高位貴族になり替わろうと毎日のように城内を我が物顔で闊歩していた。
城の品位は下がり、当然国外にもその噂は広まった。
交流のあった他国とも、少しずつ疎遠になっていく。
他国との貿易が難しくなり、自国でどうにか補えるよう、残った数少ない高位貴族が奮闘し、どうにかこの十年を乗り越えたようなものだった。
サシュティスは自分の隣の空席を、ジッと見つめる。
本来ならこの椅子に、王太子妃であるミモザが座っていなければならない。
だが彼女がこの椅子に座ることは……永遠にないだろう。
サシュティスがため息を吐いたところで、入場のラッパが鳴る。
今回遊学に来た南にある大国、エグタリット国の第三王子、イーグリー・エグタリットが婚約者のエリーナ・チェスを連れて入場してきたのだ。
十七歳と十五歳という初々しい二人に、会場中が拍手喝采する。
ふと、十年前の自分と彼女の年齢もそうだったかと思い出す。
今思い返しても自分は未熟だったのだと、苦虫を嚙み潰す気持ちになる。
国王夫妻と自分の前に歩み寄ってくる二人に、椅子から立ち上がり歓迎の言葉を伝える。
彼らとは国に到着した際に軽く挨拶を交わしたのだが、彼女の方はベールで顔を隠していたので素顔を見るのは初めてだ。
見事なアルカイックスマイルの第三王子と握手を交わし、続いて婚約者の少女に目を向ける。
そこでサシュティスは、呼吸が止まった。
時間にすれば、ほんの数秒。
だが、それほどに驚かされたのだ。
似ている、いや、似すぎている。
国王夫妻も唖然と彼女を見つめている。
以前ならば体裁を整えることもできたのだろうが、すっかり弱ってしまった今の心では無理だ。
言葉を発することができずに、ハクハクと口を動かす。
そんな私たちに笑顔の第三王子は、瞳に怪訝な色を浮かべている。
婚約者の少女、エリーナ・チェスも首を傾げるが、何事もないように十五歳とは思えない見事なカーテシーを披露する。
三人の中で一番先に我に返ったのは王妃であった。
動揺を悟られないようにと、毅然とした態度で返している。
そして私と彼女の視線が合う。
ニッコリ微笑むその姿に、つい彼女の面影を重ねてしまった。
そう、かつての私の婚約者、フレーシア・タリト侯爵令嬢に。
十歳の頃、彼女は私の目の前に現れた。
銀髪に緑の瞳と優しい色合いの彼女は、八歳だった。
だが、とても八歳とは思えないほど落ち着いた空気を醸し出す彼女に、私は心を奪われたのだ。
当時から彼女の所作は美しかった。
容姿の美しさも相まって、彼女は完璧な淑女として育っていく。
反対に、年を重ねるほど私は己の不甲斐なさが顕著になっていった。
渓谷の獅子と呼ばれた父上とは違い、一向に筋肉のつかない体。
賢妃と呼ばれた母上とは違い、凡庸な能力しかない頭脳。
私の武器といえば、ゴロッシュの宝玉と呼ばれた祖母に似た美しいこの容姿だけ。
周囲がいつの間にか私と彼女を比較する。
イライラが募る毎日にいつしか、つまらないことで彼女に八つ当たりをするようになっていった。
そのたびに彼女は私に自信を持たせようと、彼女の手柄を私のものへとした。
控えめに、決して私より前には出ない。
完璧のはずの彼女が私には媚びへつらうのだ。
大変な王太子妃教育の合間に、私の王太子としての仕事を押し付けたこともあるが、文句ひとつ言わずに黙々と仕上げる。
最初はそんな彼女に優越感を抱いたが、気が付けばまた劣等感が持ち上がる。
私が四苦八苦して仕上げた仕事を、軽くこなす彼女に。
そんな日々の中で、私は最大の過ちを犯すことになる。
十五歳から十八歳まで貴族が通うミルドナ学園で、私はミモザ・スワーキと出会ってしまった。
ミモザは同じクラスの男爵令嬢だったが、身分に関係なく全ての学生が平等に過ごすという理念を学園が掲げているうえで、近づいてきた学友の一人だった。
正直に言うと、ミモザは普通の男爵令嬢よりも足りていないものが多かった。
男爵令嬢であろうと貴族なら知っていて当然という常識もマナーも勉強も、何一つできていなかったのだ。
ただの可愛いだけの馬鹿な女。
これが私のミモザに対する第一印象であった。
この学園の女性の制服は、淑女は足を見せてはいけないというこの国の風習に反して、ひざ下のスカートという、貴族学園にあるまじき短いものであった。
設立当初は足首まで隠れる長いスカートであったのだが、体を動かす学生生活において不便が生じたため、女生徒の方からもう少し短くならないかとの意見が出たのである。
ドレスでダンスを踊るという教育を施された淑女が、たかが制服でと思うものの社交界ではなく学園という気やすい場所では、迂闊な行動もとってしまうものらしい。
そこでこのスカート丈になったのだが、やはり素足を見せるのはどうかという保護者からの意見に、ふくらはぎまであるブーツを履くことで落ち着いたのだ。
だがミモザは、ブーツを履かずに普通の靴で靴下もなしに登校したのである。
しかもスカート丈は膝上と、走れば太ももが見える状態で。
すぐに学園側からブーツを貸し出したのだが、彼女は教師が見ていないところで脱いでは走りまわっていた。
いくら学生とはいえ、学園内を走るという行為も淑女としてどうかと思うが、彼女は一切気にしなかった。
男たちの舐めるような視線を喜ぶかのように動き回っていたのだ。
そんなことをしていれば当然、自然と女性からは距離を取られる。
同じクラスの私に泣きついてくる回数が、日に日に増していく。
王太子という立場上、親身に相談に乗っている様を演じながらも内心、自業自得だと意に介していなかった私の前で、護衛を兼ねた学友のデルクト・カイサックが、私には素晴らしい婚約者がいるから離れろと、彼女との間に割って入った。
私はその行為で、反対にミモザとの仲を親密にした。
どうってことはない。
ただの反発心だ。
王太子の私に近付くなという言葉ではなく、素晴らしい婚約者がいるという言葉でミモザを遠ざけようとしたデルクトにムカついたのだ。
デルクトがフレーシアの名前を出すたびに、私はミモザの肩を抱く。
ミモザにはすっかり勘違いをされていることも知っていたが、別に構わなかった。
どうせ学生生活の間だけの女だ。
現国王には私しか子供はいない。
フレーシアは私より二歳年下。
彼女が学園を卒業すると同時に結婚することとなるだろう。
私は卒業すれば、王太子としての仕事に埋没することになる。
だからそれまでのお遊びだ。
王太子である私が、男爵令嬢と結婚などできるはずがないのだから。