第071話「不穏な空気」
「うわ、美味しいですね! この鶏肉の味噌漬け」
「もきゅもきゅ……そうらろ? らから、そういっふぁろ」
「先輩……ちゃんと飲み込んでから話をしてくださいよ」
食堂で夕食をとりながら、俺と十七夜月は談笑していた。ネットの口コミの評判通り、料理は非常に美味く、ついつい食べ過ぎてしまいそうだ。
ちなみに俺たち以外の五人の客も全員が食堂に来ており、それぞれお喋りをしながら舌鼓を打っている。さっきは見なかった新杜の父親の金蔵氏や、その愛人の只野さんという人もおり、彼らの顔と名前もしっかりと頭に刻み込む。
"持金金蔵"はでっぷりと太った中年の男性で、いかにも金持ちのおじさんといった印象だ。
そして、彼の隣に控える"只野愛尋"は、愛人というだけあってとても綺麗な女性だった。年は20歳前後だろうか、冬なのにノースリーブを着用しており、その美しい脇がチラチラと見え隠れしている。
「もきゅもきゅ……ゴクン! ぷはぁ、ご馳走様でした!」
「もう、先輩……。お腹出してはしたないですよ?」
食事を終えてお腹をポンポン叩く俺を見て、十七夜月が苦言を呈してくる。
そんな俺たちのもとに、デザートを持った黒井さんが近づいてきた。彼は俺の目の前に、バニラのジェラートが載った皿を置くと、にっこりと微笑む。
「十七夜月様、食後のデザートをお持ちしました」
「おお! ありがとうございます!」
これは嬉しいな。さっそくスプーンで一口すくって食べてみると、口いっぱいにひんやりとした甘味が広がり、幸福感が全身を満たすようだった。
ああ~美味いんじゃぁ~~~!
「あの……もしかして黒井さんが料理も作ってらっしゃるんですか?」
「ええ、私が主に厨房を担当しています。ですが従業員の数が少ないので、信奈さんや女将の雪乃さんにも手伝ってもらっているのが現状ですが……」
十七夜月の質問に、黒井さんは恥ずかしそうにはにかみながら答えた。
食堂を見渡すと、確かに女将の雪乃さんが自ら配膳や食器下げなど、あちこち動き回って忙しく働いている。
そして――
「キエェェェェェーーーーッ!」
先ほどの怪しげなお婆さんが、分裂してるんじゃないかというくらい凄い速度で、食器類を両手に持って厨房と食堂を行き来していた。
その動きはまさに神速、残像すら見える気がするほどだ。
あの婆さんは一体……? 俺が訝しげな視線を送ると、黒井さんは苦笑いする。
「彼女は"井実信奈"さん、この宿に勤続50年の大ベテランですよ」
勤続50年の動きじゃねぇだろ……。
ともあれ、どうやらこの宿は現在、女将の鬼灯雪乃さん、怪しげなおばあさん従業員の井実信奈さん、そして彼、黒井人志さんの三人だけで切り盛りしているようだ。
う~む……。小さな秘境の宿とはいえ、さすがに従業員が三人だけというのは少ない気がするな。なにか理由があるのだろうか?
そのことを黒井さんに尋ねてみると、横から金髪のチャラ男――持金新杜が口を挟んできた。
「親父の仕業だよ、俺の親父のな!」
彼は愛人と楽しそうに食事をしている父親を睨みつけながら、忌々しげに舌打ちする。
「親父はこの宿を乗っ取ろうとして、従業員を次々と引き抜いていったのさ」
新杜の父親である金蔵は、いくつものホテルを経営・管理する超大手のホテルグループの社長であり、かなりの資産家らしい。
そんな彼は前々からこの山荘……というか、女将の雪乃さんを我がものにしようと画策しており、最近になってついに強行手段を取り始めたようだ。
「母さんを放っておいて、愛人と好き勝手に遊び歩いてるんだぜ、あのクソ親父はよ! いずれ天罰が下るに――」
「ふん! 新杜よ、また儂の良からぬ噂を流しておったのか?」
「お、親父……」
いつの間にか新杜の背後には、金蔵が立っていた。彼は目を血走らせて息子を睨みつけると、その胸ぐらを摑み上げる。
「この穀潰しのドラ息子めがッ! お前には儂の財産はやらんように弁護士に頼んである! いつまでも儂の金をあてにして生きるんじゃあないぞ!」
そう言うと、金蔵は新杜を床に突き放して踵を返した。彼はそのまま只野さんと共に食堂を出ていく。
床に倒れた新杜は悔しげに唇を嚙みながら、ギリリと拳を握り締めていた。
「あの二人、なんだか親子仲が悪いみたいですね、先輩」
「みたいだなぁ……。せっかく美味い飯食ってたのに、空気が最悪だぜ」
まったく、食事くらい静かに食わせてほしいもんだよ……。
しばらくの間床に倒れたままの新杜だったが、やがてゆっくりと立ち上がると、バツの悪そうな顔で俺たちに頭を下げた。
「ああ、カッコ悪いところを見せちまったな。……俺はもう部屋に戻るぜ、じゃあな」
トボトボと食堂を出ていく新杜の背中を見送ると、俺は残りのデザートを平らげ、十七夜月と一緒に自室へと戻るのだった。
◇
「うわぁ~、いい景色ですね~!」
「ああ、すげーな」
部屋に戻った俺と十七夜月は、さっそく露天風呂に入ることにした。タオルを体に巻きつけて二人して部屋から外に出ると、目の前に広がる絶景に思わず感嘆の声を上げる。
しんしんと降り積もる雪に彩られた、雄大な山々の連なり。その麓に広がる森は雪化粧を纏い、月の光に照らされてキラキラと輝いていた。
俺は露天風呂にざぶんと浸かると、大きく伸びをする。
「ん~! 気持ちいいなぁ、最高だ!」
「うふふ……そうですね。先輩に旅行のプランを任せて大丈夫かと心配しましたが、意外とやりますね!」
「おいおい、なんだその言い方は? 俺がなにも考えないで行動する馬鹿みたいじゃないか!」
「あはははは! 自分のことをよく分かっているみたいでなによりです」
俺の隣でカラカラと楽しそうに笑う十七夜月。
というか、いつの間にか俺たち一緒に風呂に入るのが当たり前になってるな。もう完全に男とは認識されてないってことなのか? まあ、別にいいんだけどさぁ……。
「ふ、ふぁ~……。眠くなってきちゃったな」
しばらく湯船につかっていると、血行が良くなったせいか段々と意識がぼんやりしてきた。
欠伸を嚙み殺しながら何気なく夜空を見上げると、雪がびゅうびゅうと吹き荒れているのが目に入る。いつの間にか月も雲に隠れてしまっていた。
……大丈夫だろうか? このまま吹雪がもっと激しくなれば、宿に通じる大橋が雪に埋もれて通れなくなってしまうかもしれない。そうなれば、俺たちはこの山荘に閉じ込められてしまうことになる。
「なんだかちょっと吹雪いてきましたね。そろそろ出ましょうか?」
「そうだな、風邪引いちまうといけないしなぁ」
【状態異常耐性・大】を持つ俺は風邪とは無縁だが、十七夜月は普通の人間なのでこんな吹雪の中に長居すると体調を崩すかもしれない。
俺たちは揃って湯船から上がると、そそくさと部屋の中に引っ込むことにした。
体を拭いて浴衣を着直すと、二人してソファーにドカッと腰を下ろして一息つく。
「うーむ、なんか飲み物がほしいな……」
「私も喉渇いちゃいました。確か食堂に自販機があった気がします。一緒に行きましょうか」
風呂上がりのぽかぽかの体で、二人して食堂まで歩いていく。
そして中に入ると、ちょうど従業員の井実お婆さんがキッチンから出てくるところだった。
「おや十七夜月さま、もしやお飲み物をお求めですかな?」
「はい、ここって自販機ありましたよね?」
「キーッヒッヒッヒ! どうやらお風呂上がりのご様子。どうせならコーヒー牛乳でもいかがかな?」
「おお! 婆さん話がわかるねぇ!」
井実さんはキッチンに戻ると、キンキンに冷えたコーヒー牛乳を二人分用意してくれた。
俺と十七夜月は腰に手をあてながらコクコクと喉を鳴らしてそれを一気に飲み干すと、プハーッと大きく息を吐く。
うん……やはり風呂上りのコーヒー牛乳は最高だぜ!
「それにしても、本当に三人で切り盛りしてるんですね。いくらお部屋が少ないとはいえ大変じゃないですか?」
「ケヒャヒャヒャ! 儂の体が動くうちは問題ありませんじゃ。一人で五人分は働いてみせますわい。それに人志のやつも料理だけじゃなく、掃除に警備にと、三人分は働いてくれとる」
俺が食堂の椅子に座って足をブラブラさせていると、十七夜月と井実さんが向かいの席に座って世間話をし始めた。
確かにこのお婆さんは年齢を感じさせないほど……というか人ではありえないほど機敏な動きをするからな。
黒井さんも料理だけじゃなく、若い頃には全日本剣道選手権大会で優勝するほどの実力者だったらしく、その腕っぷしで宿の警備もこなしているとのことだ。
しかしそれでも、従業員が三人だけというのは少し無理がある気がするな……。
「じゃが、儂はいつお迎えがきてもおかしくないしのぉ……。あの金持ちめがまともに運営してくれるなら、宿の権利も譲ってやってもよいと儂は思うのじゃが、雪乃様にとっては先祖代々の土地じゃからな……」
「女将さんって例の吸血王の子孫かなんかなんですか?」
「うむ、かつてヨーロッパからこの地にたどり着いた吸血王と、この地に住んでおった美しい娘が恋に落ちてのぉ……。二人は結ばれ、子を成した。その子孫が雪乃様というわけじゃ」
「え~? 吸血王なんて本当にいたんですかぁ~? なんか信じられねーなぁ~」
テーブルにぷにぷにのほっぺをぺったりくっつけながら思わず茶々をいれると、十七夜月に反対のほっぺをギュウゥッと引っ張られた。
痛い! 痛いって! 悪かったよ、もう話の邪魔しねぇから!
俺が十七夜月に許しを乞うていると、井実さんが話を続ける。
「キーッヒッヒッヒ! いたかもしれないし、いなかったのかもしれん。じゃが、吸血王の子孫である雪乃様は、実際に……」
「「実際に?」」
俺と十七夜月がゴクリと息を呑みながら続きを促すと、井実さんはゆっくりと目を閉じ……そして「カッ!」と見開いた。
「雪乃様は――」
『ぎゃあぁぁぁぁーーーーーーッ!!』
井実さんがなにかを言いかけた瞬間、突如どこからか男性の悲鳴が聞こえてきた。




