4.エヴァ・ワトキンソン博士とその祖母、パーティー・アニマルのヴァネッサに
前の手紙を書いてから、ずいぶん時間が経ってしまった。
フィールドワークに出かけていたので、しばらく手紙を書けるような環境にいなかったのだ。
君もそろそろ博士号をとっている頃だろうと期待して、宛名に『博士』と入れてみたのだが、どうだろう?
時間というのは相対的なものであり、重力ポテンシャルや移動速度によって流れる速さが変わるから、自転や公転の速度が異なる惑星に住む君と私の間には、大なり小なり時間のズレがあるはずだ。
そもそも私が移動した惑星間の距離や、その移動に費やされた時間はまったく見当がつかないので、私には君たちの近況について、想像することしかできない。
だがそれはそれとして、君の健康と活躍、飼い犬のノギン博士にお気に入りのドッグフードが与えられること、それからお婆さんのヴァネッサが相変わらず元気にクラブで踊りまくっていることを願う。
さて、私は自身の研究目標を「魔法と物理学を包括的に説明する統一理論を打ち出すこと」と定めた。
前にも書いたことだが、この世界にはインターネットがない。したがって、地球では常識だった「まず先行研究を片っ端からあたる」というようなやり方は、かえって効率がわるいようだった。
論文をかき集めることもできないし、街の図書館には専門的な文献がない。論文を読みたければ大学図書館へ行かなければならないが、この世界では在野の科学好きおじさんに過ぎない私は、おいそれと大学に立ち入ることを許されなかった。
そしてこれも前に書いたとおり、苦労してアポイントをとった専門の研究者もあてにならない。
とくれば、残された道は研究の対象に直接アプローチすることだ。
結果からいえば、これが最良の方法だった。
この世界で、魔法使いたちが魔法を何に使っているかといえば、その多くが戦闘である。
というのも、ここでは『魔物』と呼ばれる害獣が、街を一歩出れば当たり前に闊歩しているからだ。
これはさすがに想像が難しいかもしれないが、クマがめちゃくちゃ出るとでも思ってほしい。
そのため、害獣駆除を生業とする人たちが相当数いて、彼らの中で強力な魔法使いが重宝されている。
そこで私は、一月ほど彼らの仕事に同行させてもらった。
実際に魔法を使うところをこの目で見るためだ。
たった一月の間に20回ほど死にかけたが、真理に近づくために命を賭けているという野蛮な高揚感が、私をいっそう駆り立てた。
物理学者である私が、このようなフィールドワークをするとは思ってもみなかったが、意外なことに、象牙の塔にこもって数式やデータと睨めっこしているよりずっと性に合っているみたいだった。
生まれ変わって専攻する学問を選ぶ機会があれば、次は民俗学者か動物学者になろうと思う。
話は逸れたが、私はそこで魔法というものをこの目で観察し、それを使う手順や彼らの体感、魔法についての彼ら自身の解釈について、詳細にヒアリングすることができた。
以前、私は自分が出会った魔法学者をボロクソにこき下ろしたが、彼らが魔法というものについて本質的な探究が出来ないことには訳があった。
害獣駆除や野盗の討伐など、その身を危険に晒して戦う魔法使いたちは、自分たちの技術を安全な場所から興味本位で分析しようという研究者たちを軽蔑していたのだ。
その面において、彼らの仕事に同行し、同じ危険に身を晒して自らの探究に殉じようという私の態度は、彼らの信用を得るのに一役かったようだ。
さて、肝心の研究についていうと、いろいろな情報を得られたが、それらを総合して理論を組み立てるのに苦労しているといったところだ。
かろうじて分かったことを挙げるとすれば、彼らは「イメージを現実に反映している」ということだ。
まるで怪しげな自己啓発書にでも書いてありそうなことだが、今のところ得られた情報の限りでは、これが魔法の全てであるように思える。
だが、これは重要な示唆だ。
イメージ、心、意識──おそらく、そうしたものを、脳という器官の中で細胞同士が起こす一種の反応と捉えている限りは、この魔法という事象に納得のいく説明を加えることはできない。
脳を飛び出し、神経を通り、筋肉を動かし、身体の、外へ……。
身体の、外。
──これが重要な気がする。
自己の肉体から離れて、外側にある対象へ。
あるいは、世界へ。
それは、言葉に似ているかもしれない。
空気の振動、インクの付着、そういう、単に物理的な作用を超えて、対象に意味内容を伝えるという点において。
対象? この場合、対象とはなんだ?
いや、手紙を書いているつもりが、メモ書きみたいになってしまった。
すまない。
いろんな考えが頭の中でいっぺんにぐるぐる回っていて、上手く文章にまとめることが出来ないのだ。
そう、とにかく、イメージだ。魔法使いたちはこのイメージを補強するために、いろいろな手段を用いる。以前、魔法学者が魔法を使う手段を分類していると書いたが、それはまったく皮層的な分類であって、本質はイメージにある。特定の言葉、特定の図形、特定の動作に現象を紐づけて、イメージを補強する。
特定の動作……たとえばダンスのような?
思えば、彼らの使う呪文も、詩的な韻律、リズム? を持っている。
音律、拍動、記号、絵画……。
言語を超えた──いや、言語未然のイメージ?
表現は外に向くと同時に、自己の内側にも向く?
何か、重大な見落としがあるような気がする。
言語化されない想念
解釈によって損なわれるもの
球形の牛
計算のための過度な単純化
【不可能図形】
・エッシャーの絵画
・ペンローズの三角形
・悪魔の音叉
(部分では成り立つが、全体では成立しない。
理論的には矛盾するが、感覚では捉えられる)
「客観的事実」なる言葉の自己撞着
「客観」なるまなざしの主体は存在しない
人間は誤った推論によって言語を習得する
モノクロの周辺視野を、脳が補完して色を見せる
エヴェレットの多世界解釈
重ね合わせ
二重スリット実験
洞窟のイドラ
物自体
【理性的探究】
観測され
説明され
記述され
計算され
分析され
証明されたもの
それだけが真実である。
──────全部、逆なのではないか?