63「あのことを後悔する必要はないよ」
冬休みの間、ヴェロニカは屋敷へ戻っている。
パーティに参加するためエリアスと共に馬車で学校に到着すると、寮にいるカインと合流し、ホールの中へ入った。
「先輩! 新年おめでとうございます!」
「おめでとう。今年もよろしくね」
駆け寄ってきたイヴリンとアリサにヴェロニカは笑顔を向けた。
「マリアは来ないの?」
「はい……婚約する予定の方と会うそうです」
「まあ、そうなの」
「先を越されちゃいました……」
同じ会話を繰り返しながら、ヴェロニカはアリサと視線を合わせた。
アリサの顔がどこか不安そうに見えるのは、また同じことが起きないか心配なのだろうか。
(エリアスが殿下と衝突しなければうまくいくはずなのよね)
そのことは、パーティの前にフォッケル侯爵家まで迎えにきたエリアスと話してある。
「私は、殿下からダンスのお誘いを受けたら断らないつもりよ」
学校へ向かう馬車の中でヴェロニカはエリアスにそう言った。
「ですが……」
「エリアスが何をそこまで心配しているかは分からないけれど。でも、避け続けていてはいけないと思うの」
(エリアスは過保護すぎるわ)
ヴェロニカを守ろうとするのは嬉しいけれど、自分はそう弱くはないと思う。
「だからエリアスは何も言わないで見守っていてね」
「……かしこまりました」
一瞬何か言いたそうに開きかけた口を閉ざして、エリアスは頭を下げた。
「ところでエリアス。前世を思い出して、アリサが苦手な気持ちは変わったの?」
ヴェロニカは尋ねた。
「……そうですね」
「赤い色やアウロラの花も大丈夫?」
「はい」
「それは良かったわ」
ほっとしてヴェロニカは微笑んだ。
アリサがエリアスのことを好きなのは見ていて分かる。
両思いになれるかは分からないけれど、悪い印象だけはなくなって欲しいとヴェロニカは願った。
「行こうか、ヴェロニカ」
ダンスタイムの始まりを告げる曲が流れるとカインが手を差し出した。
「ええ」
その手を取り広間の中央へと向かう。
曲が変わり、生徒たちは一斉に踊り出した。
「何かあったのか」
「え?」
「すっきりしたような顔をしている」
ヴェロニカを見つめてカインは言った。
「そう? ……決めたことがあるからかしら」
「決めたこと?」
「ええ。私、書きたい話を見つけたの」
「何?」
「魔女の物話よ」
「へえ、魔女か。面白そうだな。魔女のどんな話を書くんだ?」
「それはまだ……今考えているところなの」
魔女の物語を書くと約束はしたけれど、どんな話にするかまではまだ決めていなかった。
「そうか。……魔女だったら童話もいいかもな」
「童話?」
「ああ。簡単そうで難しいけどな」
「童話……いいかもしれないわ」
それならば子供や文字の読み書きが苦手な人にも伝えられるかもしれない。
カインの言葉を聞いて話が作れそうな予感と創作意欲が湧いてくるのをヴェロニカは感じた。
「ありがとう」
「一応俺は先輩だからな、何かあったら聞いてくれ」
「ふふ、そうね。頼りにしているわ」
ヴェロニカは微笑んだ。
(ヴェロニカ先輩……楽しそうだわ)
ホールの片隅で壁の花になりながら、アリサはヴェロニカたちのダンスを見つめていた。
ヴェロニカの表情がいつも以上に明るいのは、時が戻りカインが死なずに済んだからだろう。
時が戻る前に起きた、ここでの出来事は夢で見たような感覚だった。
(でも、あれは事実で……エリアス先輩は知ってしまった)
前世で自分が殺されたことを。
カインのことは恨んではいないと言っていたが、アリサをかばわなければエリアスは死ななかったのだ。
そのことは、どう思っているのだろう。
「アリサ」
不安が胸に広がるのを感じているとエリアスの声が聞こえた。
「……先輩」
こちらを見つめる、微笑を浮かべながらも少し困ったようなその表情は、前世でよく知っていた顔と同じだった。
「あの」
歩み寄ってきたエリアスに、アリサはぺこりと頭を下げた。
「ごめんなさい」
「……どうして謝る?」
「私を庇ったせいで……前世の先輩は……」
「アリサは悪くないだろう」
「でも……」
「私はあの時、初めて誰かの役に立てたんだ」
「初めて……?」
アリサは顔を上げた。
「怪我のせいで執事になる道を断たれ、家も弟に譲り。生きていることの意味すら分からなかった私が、初めて誰かを守ることができた。それは私にとって喜びだったんだ」
「喜び……」
「だからアリサが、あのことを後悔する必要はないよ」
「……はい」
笑顔でそう言ったエリアスに、アリサも笑顔になってうなずいた。
(あら)
曲が終わってヴェロニカがフロアを出ていくと、エリアスとアリサが中へ入って行くのが見えた。
「ふうん。あの執事、二曲目はヴェロニカに申し込むんだと思ってたが」
同じように気づいたカインが言った。
「そうなの?」
「ま、いつまでも未練を残しておくわけにもいかないしな」
「未練?」
「いや、こっちの話だ。何か飲むか」
小さく笑って、カインはヴェロニカの手を取った。
二人は飲み物や軽食が置かれたコーナーへと向かうと、イスに腰を下ろした。
「卒業したら騎士団に入るが、その前に一度領地へ戻る予定だ」
カインが言った。
「領地へ?」
「領主ではなくなるからな。名ばかりとはいえ手続や片付けるものがあるんだ。ヴェロニカも一緒に行くか?」
「カインの領地へ?」
「ああ。大したものはないが、魔女にゆかりのある場所がある。かつて時の魔女が訪れて死んだ獣を生き返らせたという逸話が伝わっている湖だ」
「まあ、面白そうね。行ってみたいわ」
「じゃあ行くか」
「ええ」
(カインの生まれ育った場所……どんなところなのかしら)
まだ見ぬ場所へと思いを馳せていると、歓声が聞こえてきた。
視線を巡らせると、女生徒たちに囲まれるフィンセントとディルクの姿が見えた。
何か探すように会場内を見回していたフィンセントは、ヴェロニカの姿を認めるとこちらへ歩み寄ってきた。
「ヴェロニカ。新年おめでとう」
「王太子殿下に新年のお喜びを申し上げます」
ヴェロニカは立ち上がると膝を折りフィンセントへ挨拶をした。
「ああ。ヴェロニカにも今年一年の幸福を」
笑顔でそう答えて、フィンセントはヴェロニカへ手を差し出した。
「ヴェロニカ。私と踊ってくれる?」
「……ええと」
その手を取ろうとして、ヴェロニカは一瞬迷ってカインを見た。
既にカインとは踊っているのだから誰と踊っても問題はないのだが、婚約者の目の前で元婚約者からの誘いを受けるのは少し気が引けた。
カインはヴェロニカの腕を取り自分へと引き寄せ、フィンセントに向いた。
「ヴェロニカを誘うのはこれが最後にしていただきたいですね」
「……分かっている」
「俺はここで休んでるよ」
耳元でそう言って、カインはヴェロニカを離した。
ヴェロニカがフィンセントの手を取ると、二人はフロアの中央へと歩いていった。
「……君の婚約者は寛大なようで狭量だな」
ヴェロニカと向き合うとフィンセントは言った。
「え?」
「それでもあの執事よりはましか。……勝者の余裕というやつか」
呟くようにそう言って、フィンセントはヴェロニカの腰に手を回し踊り始めた。
(今世ではあまり殿下とは踊っていないけれど……身体は覚えているのよね)
フィンセントとのダンスは、カインよりも踊りやすい。
前世では何度も練習したからだろう。
(私たち以外に前世を覚えている人はいないけれど……でもあの月日は確かに存在していたのよね)
魔女に魅了されたヴェロニカが破滅したこと。
エリアスが死んだこと。
そうしてこの国が炎に包まれたこと。
それらは幻ではなく、確かに起きたことなのだ。
(そのことも物語として形にしたいわ)
ヴェロニカはそう思った。
「この後、王宮でのパーティに向かうんだ」
視線が合うとフィンセントは口を開いた。
「そこで婚約者候補の者たちと会う予定だ」
「……そうなんですね」
「私は正直、今でもヴェロニカを婚約者にしたいと思っている」
「それは……」
「君のことが好きなんだ。……昔、君に婚約破棄を告げたあの日から」
ヴェロニカの瞳を見つめてフィンセントは言った。
「え……あの日から?」
思いがけない告白にヴェロニカは目を見開いた。
「愚かだと分かっている。自ら一方的に破棄したくせに、その直後から君に未練を残し続けて。けれど、いい加減私も自分の道を決めないとならないからな」
ヴェロニカを見つめるフィンセントの顔は、どこか晴れやかに見えた。
「だがその道を選ぶ前に、君に自分の気持ちを伝えたかった」
「……そう、でしたか」
ルイーザから、フィンセントが自分のことを好きらしいとは聞かされていたけれど。
まさか十歳の、あの時からだったとは。
「ヴェロニカには私の気持ちなど、迷惑だろうが」
「……いえ」
ヴェロニカは首を振ると、フィンセントを見上げた。
「殿下が、素晴らしい方と出会えることを願っています」
「ああ。ありがとう」
フィンセントは笑顔で答えた。