62「人は……変わります」
赤い炎が消えると、全てが真っ白だった。
「え……ここは……?」
確かに今、炎に襲われたはずなのに。
熱さも音も何もない。
ヴェロニカは汚れていない自分の手のひらを見て、それから綺麗なままのドレスを見回した。
「先輩!」
ふいに声が聞こえた。
「アリサ……エリアス」
振り返ると二人が立っていた。
「これは一体……」
「もしかしたら、『時の狭間』かもしれません」
「時の狭間?」
歩み寄ってきたアリサの言葉にヴェロニカは眉をひそめた。
『そう、ここは時と時の間。時の流れが止まった場所』
女性の声が聞こえた。
『前世の記憶があるあなたたち三人を私が連れてきたわ』
「その声は……時の魔女?」
「記憶のあるって……」
アリサはエリアスを見た。
「先輩は……どこまで知って……」
『その男には我が全て教えた。死んだ後のこともな』
宵の魔女の声が聞こえた。
「全て……」
「はい」
エリアスはヴェロニカに向かうと、胸に手を当てた。
「一度目の人生で身体が不自由になった私が、今世ではヴェロニカ様が助けてくださったおかげでこうして健康な身体で過ごせること。感謝しております」
「……カインのことは……」
「ヴェロニカ様と出会ったことで、彼は以前とは別人になりました。カイン様のことは恨んではおりません」
『そのカインならば死んでしまったわ』
「え」
時の魔女の言葉にヴェロニカは目を見開いた。
『ヴェロニカを炎からかばって、自分が炎に飲まれてしまったの』
「そ……んな……」
「ヴェロニカ様!」
膝から崩れ落ちたヴェロニカをエリアスが慌てて支えた。
「どう……して……」
『恨んではおらぬが妬ましかったのだろう? エリアス』
宵の魔女が笑うように言った。
『あの男はそなたが手に入れられぬものを手に入れたからの。それにあの男も王家の血を引いている。妾もせいせいしたぞ』
『ノクスの王家嫌いは相変わらずだな』
もう一人、暁の魔女らしき声が聞こえた。
「……どうして、王家を嫌うのですか」
アリサが尋ねた。
『この国は元々妾の土地ぞ。なのに奴らは妾の存在を認めず、痕跡を消そうとしておる』
「魔女の土地?」
「……以前オリエンテーリングの時に行った『魔女の森』のことでしょうか」
思い出してエリアスは言った。
「オリエンテーリング? ……あの森が魔女の森?」
『そうじゃ。妾の森を奪い、王家の所有とした。挙句妾を悪しき魔女と呼び妾だけ祭らぬ。ほんに憎い奴らよ』
「……だから宵の魔女だけ祭りがないのですね」
「でも……それは昔の話ですよね。王太子殿下やカイン様を恨むのは違うのではないでしょうか」
アリサが言った。
『王太子は妾の愛し子を殺し、浮気した男ぞ。お主がよく知っているであろう』
「――それは前世のことで、今は関係ありません」
姿の見えない魔女に向かってアリサは言った。
『本質は変わらぬ。あれはどうせロクな王にはならぬ』
「……人は……変わります」
ヴェロニカの口から震える声が出た。
「どんな人にも善と悪、両方の素質があります。出会いや環境……巡り合わせで、いい人にも悪人にもなるんです」
前世、カインは恨みが募り人を殺した。
けれど今のカインは父親とも和解し、騎士を目指す優しい青年だ。前世とは全く違う。
フィンセントもまた、己の行動を反省できるようになった。
二人とも元から持っていた性質は同じだが、環境が変わったためその性格も変わったのだろう。
「だから……死ぬなんて……」
ヴェロニカの瞳から大粒の涙がこぼれた。
『ノクス。そなたの愛し子が泣いておるぞ』
暁の魔女の声が聞こえた。
『そなたはどうして愛し子を困らせるのだ』
『――妾ではない。人間の愚かな行為のせいじゃ』
『その人間に執着しているのはおぬしであろう。本当は人間が恋しいくせに』
『ヴェロニカ。可哀想に』
ひんやりとしたものがヴェロニカの濡れた頬に触れた。
『特別に、一日だけ時間を戻してあげましょう』
「……え?」
ヴェロニカは顔を上げた。
『何度も時を戻してやり直すことは、本来ならばあってはならないけれど。あなたは魔女に振り回されているものね』
「……本当ですか」
『その代わり、宵の魔女になにか代償を与えてくれるかしら。これ以上、あなたに悪影響を与えさせないために』
「代償……」
自分が与えられるものはなんだろう。
宵の魔女は王家に土地を奪われ、汚名を着せられたという。
ならばその汚名をそそぐことができれば一番良いのだろう。
(でも私にそんな力はない……できることといえば……)
「私……魔女の物語を書きます」
しばらく考えてヴェロニカは言った。
『物語?』
「魔女の本当の姿を物語に書いて、他の人たちに知ってもらえたらいいと思って。……上手く書けるかは分からないし、どれだけの人に読んでもらえるかは分からないけれど」
それでも、書き残しておけば誰かが読み継いでくれるかもしれない。
カインに言われて、自分も何か書いてみたいと思っていた。
けれど何を書けばいいのか、その題材が見つからず悩んでいた。
今、魔女の物語を書いたらいいのではと思いつき、目の前が開けたようにヴェロニカは感じていた。
『我らの物語か。それは面白そうだ』
暁の魔女が言った。
『そうね。それでいいかしら、ノクス』
『……よいだろう』
『じゃあ年が明ける、その瞬間まで時間を戻すわ。素敵な物語を期待しているわね、ヴェロニカ。私たちの愛し子』
白い空間が強い光に包まれた。
*****
大勢の歓声が聞こえて、ヴェロニカは目を開いた。
「新年おめでとう、ヴェロニカ」
隣に立つカインが笑顔で言った。
(本当に……時間が戻った?)
周囲を見回して、エリアスと視線が合うと彼は小さく頷いた。
「……おめでとう。今年もよろしくね」
カインと視線を合わせて微笑む。
「ああ。しかしすごかったな。ヴェロニカの領地もこんな感じなのか?」
「うちは……規模は小さいけれど、でも綺麗よ」
「そうか。そっちも見てみたいな」
「ええ、今度行きましょう。カインの領地でも見てみたいわ」
「……ああ、そうだな」
ヴェロニカの感覚では昨日と同じ言葉を口にすると、カインも笑顔で同じ言葉を返した。
(そう、来年も再来年も……ずっとカインと一緒に新年を迎えるためにも)
学校でのパーティを無事に終えなければ。
ヴェロニカはそう決意した。