59「未来の約束ができることはとても幸せよね」
「こんばんは。今年もいい天気になりそうで良かったですね」
星祭りの夜。
待ち合わせ場所のレストランに入ると、先に来ていたリックがそう言ってヴェロニカの隣に立つカインを見た。
「こちらがヴェロニカ様の婚約者ですね。初めてお目にかかります。リック・ラングレーと申します」
「カイン・クラーセンです」
「話題のクラーセン様にお会いできて光栄です」
「……話題?」
リックの言葉にカインは眉をひそめた。
「あのボスハールト公爵に、死に別れた恋人の忘れ形見がいたという話でもちきりなんです」
「ああ……」
カインの存在を公にするのに、公爵はカインの母親との関係も事実を公にした。
下手に取り繕うよりも、婚約前の、誰も知らなかった話だと正直に明かした方が、夫人やその実家も面目を保てるだろうと考えたからだ。
息子がいたと知った公爵がすぐその子を受け入れ、さらに血筋の良いフォッケル侯爵家との縁組を進めたことで、カインの存在は社交界でも好意的に受け入れられているという。
今日のレストランは最近王都で話題となっている、出来たばかりの店だという。
「ここはラファネッリ王国の料理が食べられると人気なんです」
メニューを広げながらリックが言った。
「まあ、ラファネッリの?」
ヴェロニカは目を輝かせた。
「トマトのシチューはあるのかしら」
「ヴェロニカ様はお詳しいのですか」
「昔、ラファネッリ王国の治療院にいた時に好きだったの」
酸味の強いシチューはこの国では見かけない。家のシェフに頼んだこともあったが、あの独特の酸味が再現できなかったのだ。
「ふうん、他におすすめの料理はあるのか?」
メニュー表を見ながらカインが尋ねた。
「そうね……あとはロールキャベツかしら。寒い地域だから煮込み料理が多いんですって」
「じゃあそのロールキャベツにするか」
「私はヴェロニカ様と同じトマトシチューにいたします」
エリアスが言った。
ルイーザもトマトシチュー、リックはロールキャベツを選んだ。
「そう、この味だわ」
運ばれてきたシチューは、確かに昔食べたあの味だった。
「けっこう酸っぱいのね」
ルイーザは少し眉をひそめた。
「そうね、でもこの酸っぱいのがクセになるのよ」
(懐かしいわ……アンたちは元気かしら)
今でも手紙のやりとりはあるが、会うことのない友人の笑顔や治療院での日々が脳裏に浮かんだ。
「ヴェロニカ様は、ラファネッリの治療院にいたことがあるのですね」
リックが尋ねた。
「ええ、子供の頃に怪我をして、その傷が消えればと」
ヴェロニカは額に手を当てた。
「半年間、毎日臭いの強い薬を塗られて。結局傷は完全には消えなかったけれど、いい思い出です」
「魔術って不思議よね。治療をしたり、今日の星祭りで使うランタンも魔術なんでしょう?」
ルイーザは首をかしげた。
「そうね」
「魔術といえば。ここのデザートは魔術を使っているそうです」
リックが言った。
「魔術のデザート?」
「今夜しか食べられない、特別なメニューだとか」
メインを食べ終わると、給仕がデザートを運んできた。
「これはパイ?」
皿の上には丸いパイのようなものが一つ載っている。
「こちらは星祭りのランタンを模したものです」
給仕が手にしたろうそくで、パイの一つ一つに火をつけていった。
「まあ。燃えていないの……?」
「不思議ね」
確かにパイの表面は火に覆われているが、皮は燃えてはいないようだった。
給仕がベルを鳴らした。
火をつけていくのには時間差があったのに、テーブルの上のパイの火が全て同時に消えた。
「まあ、すごいわ!」
「本当にランタンみたい!」
ヴェロニカとルイーザが声を上げた。
「表面はお熱いのでお気をつけてお召し上がりください」
少し焦げ目のついたパイにナイフを入れる。
「あら? これは……」
パイの中には甘い香りのする白いものが詰まっていた。
口に入れるとひんやりとしていて溶けていく。
「……何だこれ」
「外は熱いのに中は冷たいわ!」
「甘くて美味しい!」
「こちらはアイスクリームといって、ミルクと砂糖などを混ぜて凍らせたものです」
給仕が説明した。
「アイス……ラファネッリの作家が書いた本に出てきたな」
カインが呟いた。
「まあ、何ていう本?」
「何だったかな。魔術について色々書いてあったんだ」
「このアイスクリームも魔術で作ったの?」
ルイーザが給仕に尋ねた。
「さようでございます。ラファネッリ王国ではこのように、様々な分野で魔術が活用されています」
「面白いのね」
このハーメルス王国では、魔術は民間ではほとんど活用されていない。
だからこうやって料理にも使えるとは思いもしなかった。
「カインが読んだ魔術の本は、学校の図書館にあるの?」
「ああ。だがどの本で読んだのか……タイトルは思い出せないな」
「そう……読みたかったわ」
カインもヴェロニカも、たくさん本を読む。
どの本に何が書かれていたのか分からなくなってしまうことがあるのだ。
「ヴェロニカ様、私が探しておきましょう」
エリアスが口を開いた。
「え……いいの?」
「私も魔術には興味がありますので」
ヴェロニカを見てエリアスは微笑んだ。
「美味しかったわね」
「ランタンを買いに行きましょう」
食事を終えて、一行は外へ出た。
普段夜は静かになるというが、今夜はランタンを手にした人々が行き交い賑やかだ。
「エリアスは、魔術に興味があるの?」
ヴェロニカは少し後ろを歩くエリアスを振り返った。
「はい」
「……どんな魔術に興味があるの?」
「どんな、といいますか……」
エリアスは考えるように視線を落とした。
「最近奇妙な夢を見るのですが。それが何の意味があるのか、解く鍵があればと思いまして」
「夢の意味? ……夢占いということ?」
「はい」
「どんな夢を見るの?」
「学校にいるのですが。怪我をして右手が不自由なのです」
「……右手が不自由?」
「どうやらあの馬車の事故で怪我をしたようで……」
どくん、とヴェロニカの心臓が大きく震えた。
「……それで?」
「ヴェロニカ様はいなくて……クラスの顔ぶれも違って。淡々と授業を受ける夢ですね」
「つまらない夢だな」
話を聞いていたカインが言った。
「それは、あれだな。もしもヴェロニカが怪我をしなければって思ったから見た夢だろ」
「そうでしょうか」
「罪悪感が見せる夢だ。魔術は関係ないだろ」
「……そうかもしれませんね」
エリアスは小さく笑った。
(え……待って。それって……まさか、前世の夢!?)
かつてヴェロニカが見たように、エリアスもまた前世の夢を見ているのだろうか。
(でもどうして……もしかして魔女のせい?)
エリアスを狙っているという宵の魔女の影響で、エリアスもまた前世の夢を見て、前世を思い出そうとしているのだろうか。
(それは……ダメだわ)
カインに殺された前世など、思い出して欲しくない。
(どうしよう……)
「ヴェロニカ? どうした、顔色が良くないな」
カインがヴェロニカの顔を覗き込んだ。
「……そう?」
慌てて顔を上げるとカインに笑みを向ける。
「風が冷たいせいかもしれないわ」
「確かに寒くなってきましたね」
「温かい飲み物を飲まれますか?」
前を歩いていたリックが振り返った。
「ええ、飲みたいわ。去年飲んだ温かいリンゴジュース、美味しかったもの」
ヴェロニカはそう答えた。
飲み物で身体を温め、ランタンを買うと広場へ向かう。
「星祭りのランタンは初めて持つな」
「……星祭りに参加したことがないの?」
ランタンを見つめながら呟いたカインの言葉に、ヴェロニカは思わず聞き返した。
「ああ、興味がなかったからな」
「でもカインは領主なんでしょう?」
各領地で行われる星祭りは、領主が主催となり開かれるものだ。
「そういう行事は代理人に任せている。俺は爵位を持つだけだ」
「……そうなの」
「それに幸せだの未来だの、そんなものは俺には関係ないと思っていたからな」
そう言って、カインはヴェロニカの顔を覗き込んだ。
「だが、これからは毎年ちゃんと祈らないとだな」
「ええ」
カインと視線を合わせてヴェロニカは微笑んだ。
ランタンに火をつけてもらい、広場に入ると集まった人々の熱気に満ちていた。
(去年はここで幻を見たのよね)
前世、この国が炎に包まれて滅ぼされた悪夢のような幻。
(でもあの幻は現実で……アリサはそれを覚えている)
それはどんなに恐ろしいことだろう。
(私やカインがこうやって、前世のような罪を犯さずに幸せに生きていけるように、アリサにも幸せになって欲しいわ)
そしてエリアスも。
(ルイーザにリック様……それから、殿下も)
皆が幸せになって欲しい。
そう願いながらヴェロニカはランタンを見つめた。
新年を告げるラッパの音が鳴り響く。
強く光り始めたランタンの光が、人々の歓声と共に広場に満ちていった。
『ヴェロニカ』
頭の中に声が響いた。
(その声は……魔女?)
『ええ、私は時の魔女。星祭り前後は私たち魔女の、人間に与える影響が強くなるわ。宵の魔女が狙う彼に気をつけて』
(彼って……エリアス?)
『ええ』
(エリアスが……前世の夢を見ているかもしれないの)
『それは、宵の魔女の影響ね。この数日は彼と、王太子を近づけさせないでね』
(殿下を……?)
『宵の魔女は王太子を憎んでいるから』
広場の光が消えた。
「すごかったな」
カインの声にヴェロニカは我に返った。
「……ええ、すごかったわね」
「ヴェロニカの領地もこんな感じなのか?」
「うちは……規模は小さいけれど、でも綺麗よ」
「そうか。そっちも見てみたいな」
「ええ、今度行きましょう。カインの領地でも見てみたいわ」
「……ああ、そうだな」
カインと視線を合わせて笑みを交わした。
(こうやって……未来の約束ができることはとても幸せよね)
来年も、十年後も。
共に年を越せる相手がいる。
(だから……エリアスが、宵の魔女に魅入られないようにしないと)
この数日間は魔女の影響が強くなると時の魔女は言っていた。
そしてエリアスとフィンセントを会わせないようにと。
(でも、今は冬休みだから……会うことはないはずだわ)
「ヴェロニカ。明日の学校でのパーティは参加するのでしょう?」
安堵しかけたヴェロニカの耳に、ルイーザの声が聞こえた。
「あ……ええ」
(そうだわ、忘れていた)
明日のパーティには参加すると表明してある。
理由もなく休むのは難しいだろう。
(殿下も……来るのかしら)
去年は王宮ではなく学校のパーティに参加していたけれど。
胸に不安が広がるのを感じながら、ヴェロニカはフィンセントが来ないことを願った。