57「また痕が残ったら大変だったな」
「今年の星祭りも一緒に行く?」
馬術大会の翌日。朝食を取りながらルイーザがたずねた。
「リック様と一緒に?」
「そう」
「お邪魔じゃないの?」
せっかく婚約したのだから、二人で行った方がいいのではないだろうか。
そう思いヴェロニカは聞き返した。
「そんなことないわよ、お祭りは皆で行った方が楽しいもの。それに、今年は別のお店を予約しているんだけど、広いから大勢でも大丈夫だって。カイン様はどうするの?」
「まだ聞いていないわ」
去年、カインは冬休みに騎士団の訓練に参加していた。
星祭りの日は休みだったはずだから、空いているかもしれない。
「じゃあ聞いてみて、一緒に行けるなら誘いましょう」
「ええ」
「エリアス様は来るでしょう?」
「多分……」
(星祭り……)
ヴェロニカは去年見た光景を思い出した。
街中が炎に包まれた、あれは幻などではなく前世で本当に起こったことなのだ。
愛し子である自分が殺されたという理由で、国ひとつ滅ぼしてしまう魔女の力はとても恐ろしいものだ。
(エリアスは……大丈夫かしら)
昨日、パーティが終わった後。アリサが部屋に訪ねてきた。
そうして暁の魔女から聞いたという話を教えてくれたのだ。
(宵の魔女が私の代わりにエリアスを狙っている……)
それはとても恐ろしいことだった。
エリアスは心が強いからたやすく魅入られることはないと、魔女も言っていたというけれど。
(エリアスに魔女のことを教えた方がいいのかしら……でも)
そうなると前世に起きたことも伝えなければならないだろう。
あの事故で怪我をしたこと、そうしてカインに殺されたことも。
(そんなこと……言えないわ)
「ヴェロニカ? どうしたの?」
考え込んだヴェロニカにルイーザは首をかしげた。
「あ……考えていたの……ええと、冬休みはどうしようかって」
ルイーザに答えて、ヴェロニカは残っていたお茶を飲み干した。
今日は女生徒主催のお茶会が開かれる。
会場となる食堂に、それぞれのグループが趣向を凝らしたコーディネートを二年生がセッティングしていった。
招待客の男子生徒がどのテーブルに着くかはくじで決まる。
入り口で各テーブルで作成した招待状が入った白い封筒を渡されるのだ。
「ドキドキします」
ヴェロニカたちと同じグループになった、給仕役を務めるイヴリンが不安そうに言った。
「大丈夫よ、サロンでも練習したでしょう」
園芸サロンでお茶をする時に、今日のためにとエリアスからお茶の淹れ方を教わったのだ。
「そうなんですけど……やっぱり本番だと思うと」
「自信を持って。イヴリンなら大丈夫よ」
ヴェロニカは微笑むとイヴリンの背中をぽんぽんとたたいた。
「男子たちが来たわ」
封筒を手にした男子生徒たちが次々に入ってくると、それぞれのテーブルへと向かっていった。
「ヴェロニカのグループだったのか」
三人目。バラが描かれた招待状を手にしたフィンセントが笑顔でテーブルにやってきた。
「殿下。……ようこそお越しくださいました。どうぞこちらへ」
一瞬動揺したが、それを顔に出さずにヴェロニカは席へと案内した。
本来ならば、お茶会では席順が重要になる。
階級や関係性などを考慮し、皆が楽しく過ごせる並びにする腕前が主催には求められる。
けれど今回は学生同士であり、また参加者は直前まで分からないということで来た順に座ってもらうことになっていた。
「先輩っどうしましょう。王太子殿下にお茶を出すなんて……」
「私には無理ですっ」
泣きそうな顔で一年生たちが訴えた。
「大丈夫よ。ゆっくり、丁寧に順番にこなしていけば」
「でも……」
「殿下の話し相手はヴェロニカに務めてもらうから。もし失敗してもヴェロニカが助けてくれるわ、ね」
「……ええ」
ルイーザの言葉にヴェロニカは頷いた。
確かに、王太子にお茶を淹れたり相手をするのは緊張するのだろう。
この中で一番緊張せずに接することのできるヴェロニカが担当するのが一番いいのかもしれない。
(でも……正直、殿下と話すのは気まずいわ)
ずっと、婚約者候補とならないよう避けていたし、本人に向かって断ってしまったこともある。
しかもフィンセントが自分のことを好きかもしれないと聞かされたばかりなのだ。
どんな顔で相手をすればいいのだろう。そう思いながらもヴェロニカはフィンセントの前の席へと向かった。
長いテーブルを挟んで招待客役の男子生徒と、主人役の二年生女子が向き合って座る。
一年生たちがティーセットを運んできた。
「本日はバラをテーマにいたしました」
ルイーザが説明した。
浮き彫りを施した真っ白な平皿の上には、カラフルな砂糖で飾りつけた焼き菓子が花びらのように並べられている。
白い花瓶には淡い色のバラを飾り、平皿と揃いのティーカップで出すのは赤い色のお茶だ。
緊張した顔で一年生たちがティーポットとお湯を運んできた。
習った通りに慎重にお湯を注ぎ、砂時計をひっくり返して蒸らす。
砂が落ちきるとティーポットを持ち、それぞれのカップにお茶を注いでいった。
学生同士とはいえ、一年生と二年生とでは接点も少なく馴染みもない。それでもなんとか会話をつなぎ、お茶の味も良く、和やかな雰囲気でお茶会は進んだ。
カップの中身が少なくなったところで二杯目の準備にとりかかる。
新しい茶葉を入れたティーポットで同じようにお湯を入れて蒸らす。
一年生がお茶を注ぐためにティーポットを持って席を回った。
「あっ」
フィンセントのカップに注ごうとして、緊張したのだろう。
ポットを持つ手が震えてお茶がカップの外へこぼれると、フィンセントの手にかかった。
「つっ」
「殿下!」
熱さで顔をしかめたフィンセントを見てヴェロニカは慌てて立ち上がった。
「大丈夫ですか」
テーブルの近くに用意してあるおしぼりを手に取るとフィンセントの側に駆け寄り、赤くなった手におしぼりを巻きつけた。
「殿下、医務室へ行きましょう。ルイーザ、あとはお願いね」
「分かったわ」
真っ青になって立ち尽くすお茶をこぼした一年生に視線を送ってから、ヴェロニカはフィンセントと医務室へ向かった。
(先生はいないのかしら……)
医務室は、鍵がかかっていなかったけれど無人だった。
「殿下、こちらへ座ってください」
仕方なく、ヴェロニカはフィンセントにイスをすすめるとその傍らにボウルを置き、水を注いだ。
「ここに手を入れて冷やしていただけますか。先生を探してきますので……」
「いや、少しかかったくらいだから冷やすだけで十分だ」
ボウルに手を入れながらフィンセントはそう答えた。
「ですが……」
「校医もそのうち戻ってくるだろう」
「……わかりました」
(どうしよう……気まずいわ)
医務室でフィンセントと二人きりという状況にヴェロニカは困惑した。
フィンセントを一人置いていく訳にもいかないし、何を話していいのかも分からない。
「ずいぶんと手際がいいのだな」
所在なくしていると、フィンセントが口を開いた。
「あ……去年、お茶を淹れる練習の時に私もお湯がかかりましたので」
あの時カインに助けてもらったことを、そのまま真似しているだけだ。
「そうだったのか。……痕は残らなかったか?」
「はい、何も」
ヴェロニカは手の甲をフィンセントに見せた。
「そうか、それは良かった。また痕が残ったら大変だったな」
フィンセントはほっとした顔を見せたが、すぐにその表情を硬くした。
「……カイン・クラーセンには額の傷を見せたのか」
「え? ……はい」
「彼は何と言っていた」
「……ええと、傷があっても……その、綺麗だと」
自分で言うと恥ずかしくて、ヴェロニカは口ごもりながら答えた。
カインにとっては「幸運の証」だとも言われたけれど、それはフィンセントには言わないほうがいい気がした。
「そうか……そうだな、傷があってもヴェロニカの美しさは失われない。……あの時、それに気づくべきだった」
ヴェロニカを見つめてフィンセントは言った。
「そうすれば今も君は、私の婚約者だったのに」
「それは……」
もしもあの時、婚約を解消しなかったらどうなっていたのだろう。
エリアスは怪我をしなかったが、ヴェロニカの執事見習いとはならなかった。
他国へ治療に行くことも、領地に帰ることもなかったら、アンやルイーザという友人はできなかった。
カインと親しくなることもなかっただろう。
(なにより……私はきっとまた、宵の魔女に魅入られていた)
前世と同じことを繰り返したら、また国が滅んでしまうかもしれない。
それだけは避けないと。
「私は……婚約を解消したことで、新たな出会いを得ました」
ヴェロニカはフィンセントを見た。
「治療院で出会った友人や、ルイーザたち……彼らと出会えたことは、とても幸運だと思っています」
「……幸運」
「はい。それに私は……お妃には向いていないんです」
魔女に魅入られる隙がある自分には、妃などという重役を務められそうにない。
「……確かに、ヴェロニカには妃という立場は負担かもしれない」
視線を落としてそう言うと、フィンセントはヴェロニカを見た。
「それでも私は……君に妃となって欲しいと、今でも思っている」
「それは……」
「未練がましいと思われるだろうが、私は君のことを……」
「失礼いたします」
ふいにエリアスの声が聞こえた。
「エリアス……どうしたの?」
「戻られないので様子を見に来ました。校医はいないのですか」
医務室に入ってきたエリアスは室内を見渡した。
「ええ」
「あとは私が引き受けますので、ヴェロニカ様はお戻りください」
「お前……」
フィンセントはエリアスを睨みつけた。
「でも……」
「ああ、ごめんなさいね」
その時校医が入ってきた。
「どうしたの、怪我?」
「殿下に熱湯がかかって……」
「どれ」
「参りましょう、ヴェロニカ様」
エリアスに促されて部屋から出ていくヴェロニカの背中を、フィンセントはじっと見つめていた。