51「そう。辛かったのね」
(全員……? 殿下や……陛下たちも?)
「なん、で……」
『ノクスの怒りを買ったのだ』
別の女性の声が聞こえた。
「ノクス?」
『人間が宵の魔女と呼んでいる者よ』
『あれの愛し子を殺されたせいで怒り狂っておるのだ』
「愛し子?」
『ヴェロニカという娘よ。知っているでしょう』
「ヴェロニカ様が……殺された?」
彼女は療養院で罪の償いと心の治療を行っていると聞かされていた。
それが、殺されたとはどういうことなのだろう。
『毒を盛るよう王太子が命じたのだ』
『あなたと王太子が婚約するのに邪魔だからって』
「え……殿下が?」
『彼女が嫉妬深くなって壊れてしまったのはノクスに魅入られたせいね』
次から次へと信じられないことを告げられて呆然とするアリサに声は言葉を続けた。
『ノクスは愛憎を司る。あれに魅入られれば人間の心など持たぬ』
『勝手にとりついて、そのせいで殺されたのに人間のせいにして。国ごと滅ぼしてしまうなんてやりすぎだわ』
ため息が聞こえた気がした。
『だから時間を戻すことにしたの』
「時間を……戻す?」
『私は時を司る魔女。数年の時間を巻き戻すくらい簡単よ』
『あの娘がノクスに魅入られるのを防げばこのようなことは起きぬからな』
『そのために、あなたにも手伝って欲しいの』
何か柔らかなものがアリサの頬に触れた気がした。
「手伝う……?」
『時間が戻れば記憶も消える。同じことが起きないようにし見守って欲しいの』
『ヴェロニカは覚えているかもしれないがの』
ふいに赤い光がアリサの目の前に現れた。
『そなたは我の愛し子。魔女の愛し子ならば時を戻しても元の記憶を残すことができるからの』
「愛し子……私が……?」
『我の花と同じ色を持つは愛し子の証』
言葉に呼応するようにアリサの髪が淡い光を放った。
「……愛し子って……何ですか」
『我らの好む魂を持つ者だ』
「同時代に二人も存在するのはとても珍しいわ。……だからヴェロニカへの影響が強くなりすぎてしまったのかもしれないけれど』
白い光が現れると、赤い光がゆっくりとアリサの周囲を回った。
『あなたには嫌な記憶を残してしまうから。お詫びに一つ、望みを叶えてあげるわ』
「望み……?」
『ええ、欲しいもの、叶えたい夢。何かあるかしら』
「叶えたい……」
アリサの脳裏に優しい笑顔が浮かんだ。
「あ、あの。それじゃあエリアス先輩が怪我をしないようにして下さい!」
『エリアス?』
「幼い頃に馬車の事故にあって怪我したせいで、執事になれなくて……でもとても優しくていい人で。それなのに私を庇って死んでしまって……」
怪我さえしなければ、彼の人生は変わるはずだ。
『ふふ、自分より他人のことなのね。分かったわ』
白い光が大きくなった。
『それじゃあその事故が起きる前まで時間を戻すわね』
『アリサよ』
赤い光がアリサの肩へと近寄った。
『そなたは我、暁の魔女の愛し子。そなたには荷が重かったようだが、我はそなたを見守っているぞ』
「……ありがとうございます」
二つの光が大きくなり、アリサの視界を覆った。
そうして気がつくと、アリサは九歳の姿で家のベッドに横たわっていたのだ。
*****
「……そう、だったの……」
長いアリサの話が終わると、ヴェロニカは深く息を吐いた。
もしかしたらとは思っていたが、死に戻った原因はやはり魔女だったのか。
(星祭りの時に見たのは……幻ではなかったのね)
街中が炎に包まれてきた、あれはこの国の、前世での最期だったのか。
時間が戻ったのがまさか自分の死が原因とは、思いもよらなかった。
「先輩にも記憶があるかもしれないと思っていて、この間の図書館で探りを入れてみて。でも確認するのは確証を持ってからにしようと思ったのですが……」
アリサは視線を落とした。
「また私が魔女の加護を受けているかもしれないって言われ始めて。先輩はもう別の人と婚約してしまったし、私が王太子の婚約者に選ばれたら嫌だと思って、怖くなって。それで今日、話をしようと思ったんです」
「……殿下の婚約者になるのは嫌なの?」
「嫌です。愛し子といっても何が出来るわけでもないですし。それに殿下は怖いです」
「怖い? ……確かに、前世の殿下は怖いところもあったけれど……」
「先輩を殺したんですよ」
アリサはヴェロニカを見た。
「……それは、仕方ないと思うわ。あの時の私は……生きていても意味がなかったもの」
それに前世のフィンセントならば、ヴェロニカを殺しても仕方ないだろう。
本当ならばアリサを殺そうとした時に、処刑されていてもおかしくないくらいだ。
それが療養院へ入られたのは、おそらく両親が陳情してくれたからだろう。
(でも、そのせいで国が滅んでしまったのね)
そうして時の魔女により時間が巻き戻ったのだ。
アリサにとって、またフィンセントと婚約することは前世の繰り返しになってしまう。
ヴェロニカ同様、アリサも婚約は避けたいのだろう。
「生きていて意味がないなんて、そんなことありません」
「ありがとう。……そう、何度か聞こえた声は魔女の声だったのね。あの時、エリアスと遭遇したのも、アリサの願いを叶えるために魔女が導いたからなのね」
「先輩と遭遇?」
「十歳の時、街にいたら『助けて』という女性の声が聞こえて。馬車が男の子たちに向かっているのが見えて……それがエリアスと弟さんだったの」
「……それで、どうしたんですか」
「エリアスを突き飛ばしたの。私が代わりに怪我をしたんだけど……エリアスたちは無事で済んだのよ」
「怪我⁉︎」
「額に少しね」
ヴェロニカは目を見開いたアリサに、傷が見えるように前髪をかき上げた。
「……跡が残っているんですか」
「でも、この傷のお陰で婚約解消できたから。これは幸運の傷なの」
カインに言われた言葉を使ってヴェロニカはそう答えた。
「そう……だったんですね」
アリサはヴェロニカに向かって頭を下げた。
「エリアス先輩を助けてくれて、ありがとうございます」
「……お礼なんかいいわ。私はあなたをたくさん傷つけたのだし」
「でも、それはヴェロニカ先輩のせいじゃありません」
アリサは首を振った。
「魔女に魅入られていたのだっけ……。でも、それは心の中に嫉妬する気持ちがあったからだわ」
ヴェロニカは言った。
いつから魅入られていたのかは分からないけれど、確かに自分はフィンセントに近づこうとする者たちに嫉妬していたのだ。
魔女に魅入られたせいで、その感情が強く出てしまっていたのだろう。
「それは……でも、誰でも嫉妬はするものではないですか」
「……アリサも?」
「私は……正直、エリアス先輩と仲がいいヴェロニカ先輩に嫉妬します」
うつむいてアリサは答えた。
「私、嫌われているし……前世では私のせいで死んだから。先輩が幸せになるには関わらない方がいいんですけれど……」
「もしかして、アリサはエリアスが好きなの?」
前にイヴリンたちに聞かれた時のこととアリサの様子に、ヴェロニカがそう尋ねるとアリサの頬が赤くなった。
(まあ、そうだったの)
前世での、アリサとエリアスの関係をヴェロニカは知らない。
けれどカインに襲われたアリサを庇うくらいなのだから、仲は良かったのだろう。
「エリアスはアリサが嫌いという訳ではないわ。アウロラの花が嫌いなんですって」
「アウロラが?」
「花祭りの時にそう言っていたの。何故か嫌なんですって」
「……そうですか」
「花と同じ色の髪色が苦手でも、アリサの中身を知れば苦手な気持ちも減ると思うのよね。いい子だってエリアスに言うわ」
エリアスが怪我しないことを願った、アリサの優しい心根を知ればエリアスも彼女に好感を抱くようになるかもしれない。
「……ありがとうございます。でも、大丈夫です」
ヴェロニカの申し出に、アリサは首を横に振った。
「エリアス先輩は怪我をしなかった。……私はそれで十分です」
口元に小さく笑みを浮かべてアリサは言った。
「そう……アリサはいい子ね」
ヴェロニカはアリサの手を取った。
「あなたは、国が滅ぶのを見てしまったのよね。怖かったでしょう?」
幻の中で見た炎に包まれた街の景色は、今もヴェロニカの脳裏に焼きついている。
一瞬だけでも恐ろしかったのだ。その場にいたアリサはどんなに怖かっただろう。
「……はい」
アリサの目にじわりと涙が浮かんだ。
「ずっと怖くて……誰にも言えなくて……」
「そう。辛かったのね」
(前世に苦しんでいたのは私はだけじゃなかったのね)
ヴェロニカはアリサをぎゅっと抱きしめた。