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48「ああでも。殿下には感謝しています」

 翌日。

 いつものようにヴェロニカがルイーザとともに寮を出ると、エリアスが待っていた。

「おはようございます、ヴェロニカ様」

「おはよう」

「ルイーザ様もお変わりなく過ごされたようですね」

「ええ」

「参りましょうか」

 そう言って、エリアスは歩き始めた。


(あれ……?)

 いつもなら、エリアスはヴェロニカの手を引いていくのに。

「婚約者がいる女性の手は握れないわよね」

 違和感を感じたヴェロニカの耳元でルイーザがささやいた。

「え? ああ……そうなのね」

(本当に、鈍いのも罪よね)

 分かったような分からないような顔のヴェロニカにルイーザは苦笑した。



 教室に入ると、既にカインが席についていた。

 彼と会うのは婚約の書類を交わしたとき以来だ。

(……どういう風に接すればいいのかしら)

 少し前まで友人だったのが、婚約者になったのだ。カインに対する気持ちはほとんど変わっていないと思うが、立場が変わってしまった。


「おはよう」

 ヴェロニカの姿を見てカインは笑顔を浮かべた。

「……おはよう」

「これ」

 前の席に座ろうとしたヴェロニカに、カインはノートを差し出した。

「……これは?」

「新作」

 小声で一言だけカインは言った。


「まあ」

(カインが書いた小説ね!)

 ヴェロニカはノートを受け取った。

「教室では開くなよ」

「分かっているわ。楽しみね」

 ヴェロニカはノートを鞄へとしまった。

「あとこれは、この間言ってた本」

 カインはもう一冊、厚みのある本を差し出した。

「ありがとう!」


「それは、何の本でしょう」

 嬉しそうに本を抱えるヴェロニカにエリアスが尋ねた。

「リチャード・マーカーがデビュー前に書いた短編を集めたものよ。私家版だから図書館にもないの」

「公爵が持っていて借りたんだ」

 カインが言葉を継いだ。

 公爵もリチャード・マーカーのファンで、ほとんどの著作を持っているのだという。

 それでこの本を持っていないか、聞いてみたのだ。

 息子もまた読書家で、同じ作家が好きだと知って公爵はとても嬉しそうだった。


「あんたも読むか」

 カインはエリアスに尋ねた。

「……よろしいのですか」

「初期の作品が好きって言ってただろ」

「じゃあ、読み終わったらエリアスに貸すわね」

「ありがとうございます」

(良かった、いつも通りに接することができて)

 ヴェロニカは内心ほっとした。


 教室の扉が開くと、ディルクを従えたフィンセントが入ってきた。

 フィンセントは部屋の後方にいるヴェロニカたちへ視線を送り――何か言いたげな表情を浮かべたが、そのまま席へ座った。




「みんな、今学期もよろしく」

 園芸サロンに集まったメンバーを見渡してルートが言った。

「今日の作業はハーブの収穫と、来年の春に咲く花の種蒔き準備だ。ハーブの摘み方はカローラの指示に従ってね」

「よろしくね」

「それじゃあ始めようか」

 ルートの言葉にメンバーたちは一斉に動き出した。


「そうだヴェロニカ先輩。婚約おめでとうございます」

 皆でハーブを摘んでいるとイヴリンが言った。

「ありがとう」

「昨日は皆さんに囲まれていて声がかけられなかったので」

「色々聞かれていましたよね」

「ええ……やっぱり相手の素性に驚いたみたいで」

 マリアに言われて、苦笑しながらヴェロニカは答えた。


「公爵様の隠し子でしたっけ」

「クラスでも話題になってました」

「……そうなの」

 やはり、王弟に隠し子がいたという事実は大きな関心事なのだろう。

(クラスではあまり話題になっていなかったけれど……)

 カインはクラス内では周囲と距離を取っているし、近づかせない雰囲気を漂わせているから、本人には聞けないだろうけれど。

 おそらくカインやヴェロニカのいない所では話題にしているのだろう。


「ヴェロニカ先輩は……どうしてその方と婚約したのですか」

 アリサが尋ねた。

「そうね……先方から打診があったのが一番大きな理由だけど。あとは、彼となら婚約してもいいと思ったの」

 少し考えてヴェロニカは答えた。

「一緒にいても気負わなくていいし、私の弱いところを受けとめてくれるから」


「わあっ素敵ですね」

 イヴリンが声を上げた。

「私もそういう人と出会いたいです。マリアは婚約者がいるんだっけ」

「うん……親戚で小さい時から知ってる人」

「そうなんだ。アリサは?」


「え、私は……」

 イヴリンに話を振られて、アリサは一瞬目を見開いた。

「……まだそういうの、考えていなくて……」

「そうなの?」

「じゃあ、好きな人はいる?」

 マリアの言葉に、アリサの顔が赤く染まった。


「ええっいるの?」

「誰? 学校の人?」

(好きな人がいるんだ)

 イヴリンとマリアに詰め寄られるアリサを見ながら、ヴェロニカは意外に思った。

 前世では、今頃アリサはフィンセントと親しくなりつつあるころだった。

 けれど今のところ、二人が接触している様子は全くなかった。

(アリサも……前世とは別人みたいよね)

 もっと明るくて誰とでも親しくなり、人目をひきつけるような華やかさがあったけれど。

 今のアリサはその髪色が目立つくらいで、あとは他の子たちとそう変わらないように思う。


「好きというか……」

 口ごもりながらアリサは答えた。

「……幸せになって欲しい人がいて」

「幸せに?」

「その人が幸せになるのを、見届けられたらいいなって思ってるの」

 摘んだハーブを見つめながらアリサは言った。


  *****


「ありがとう。とっても面白かったわ」

 図書館の休憩室で、カインにノートを返しながらヴェロニカは言った。

「犯人がわかった時は意外すぎると思ったんだけど、読み返してみたら確かにそれを匂わせる伏線があちこちにあって。とてもスッキリしたわ」

「そうか」

「本当にカインはすごいわ。忙しいのに小説まで書けるなんて」

 この夏休みも騎士団の訓練に参加したと聞いている。それに一組になるのに勉強も頑張っただろう。

 その上小説まで書けるのだからすごいと思う。


「ヴェロニカだって刺繍をするだろう。それと同じだ」

「……同じかしら」

「それぞれ得意なことが違うからな」

「それは、そうね」

「俺からすれば、あんな細かい刺繍ができるヴェロニカの方がすごいからな」


「ありがとう」

 お礼を言って、ヴェロニカはふふっと笑った。

「どうした」

「……婚約しても、前と変わらないのが、何だかいいなあと思って」

 以前よりも、心の距離は近くなったと思う。

 けれどこうやっておしゃべりする時間は変わらず穏やかで楽しく、嫉妬や不安の感情が出てくることはない。

(カインには誰も接触してこようとしないからかもしれないけれど)


 前世のフィンセントには、側妃になろうとする女生徒たちが多く集まってきていた。

 けれどカインは、本人が他の者と関わろうとしないからか――将来的に婿入りする立場からか、彼を狙おうとする者が周囲にいない。

 だからヴェロニカも安心していられるのだろうか。

(もしかしたら今後出てくるかもしれないけれど……)

 カインはそういうヴェロニカの負の感情を受け止めてくれると言った。

 それも前世と大きく違う。


(私は……殿下と心を通わせていなかったのね)

 相手を信頼することができなくて、だから嫉妬で身を滅ぼした。

 ヴェロニカはそう思った。


「変わらない方がいいのか」

 カインは尋ねた。

「……急に変わったら怖いと思ったから」

「そうか。少しずつ婚約者らしくなっていくのがいいのか?」

「そうね」

「じゃあ善処するよ」

「善処?」

「自制するのも大変なんだ」

 そう言ってカインはヴェロニカの頬に手を触れた。

「キスのひとつもしたいからな」

 見る間に赤く染まった頬を撫でるとカインは口元に笑みを浮かべた。



 寮に戻るとカインは四階へ向かった。

 夏休み前までは二階の二人部屋だった。

 けれどカインが公爵の庶子であると公表されたことで、夏休み明けから最上階の個室へ移動させられたのだ。

(余計な世話だな)

 特別待遇は望んでいないと伝えたのだが、王族の血を引くならばその待遇も変えなければならないと言われたのだ。


 階段を上がり、廊下へ出る。

 その奥、突き当たりにある特別室からちょうどフィンセントが出てくるのが見えた。

「――カイン・クラーセン」

 カインの姿を認めてフィンセントは歩み寄ってきた。

「父上から聞いた。王位継承権を放棄するそうだな」

「……はい」

「理由は」


「俺は、公爵の認知も不要と思っています」

 カインは答えた。

「……俺は長く公爵や王家へ不信を抱いていました。今後もなるべく関わりたくはないと思っていますので」

「……そうか」

「ああでも。殿下には感謝しています」

「感謝?」

「ヴェロニカとの婚約を解消してくださり、ありがとうございます」

 フィンセントを見据えてカインは言った。

「おかげで俺は彼女と出会うことができましたから」


「……ああ」

「では失礼します」

 そう言い残してカインは部屋へと入っていった。



「感謝、か」

 フィンセントは呟いた。

 確かに自分が婚約破棄を言い出さなければ、ヴェロニカは今もフィンセントの婚約者だったはずなのだ。


 いい加減、気持ちを切り替えなければならないとは分かっている。

 けれど毎日のように教室で顔を合わせる、その度に忘れようと思った感情が揺り動かされるのだ。

(……王となるのにこんなことではいけないことも、分かっているのだが)

 忘れられるならば何年も未練をひきずらないだろう。

 そう思い、フィンセントはため息をついた。


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