46「ああ、幸せの傷だ」
「お暑い中、本日はようこそお越しくださいました」
「お招きありがとうございます」
出迎えたボスハールト公爵夫人に、ヴェロニカは父親の侯爵と共にお辞儀をした。
カインとの婚約のことで話がしたいと、公爵家に招待を受けた。
案内された応接室は多くの花で華やかに飾り付けられ、歓迎の意を示しているように思えた。
「侯爵様とは何度がお会いしたことがありますが、お嬢様とは初めてですね」
「はい。初めてお目にかかります」
「奥様に似てお綺麗なお嬢様ですね」
夫人は微笑んだ。
前世では会ったことがある。おっとりとした雰囲気だが、芯のある婦人だと聞いたことがある。
「ありがとうございます。……しかし、公爵に……その、別にご子息がいたとは驚きました」
口ごもりながら侯爵が言った。
「ええ、本当に……」
笑顔で答えて、夫人はふと真顔になった。
「変に憶測をされたくありませんので、始めに申しておきますが。カインの母親のことは、婚約する時に夫から聞かされておりました」
「そうでしたか」
「婚約前の話ですし、結婚してからは大切にしていただいているので、過去の話と割り切れておりますの。子供がいたことを知らされた時は驚きましたが……。それも過去の話ですし、私としては、私の息子の立場が脅かされなければ構わないと思っておりますの」
夫人はヴェロニカを見た。
「ですから、フォッケル侯爵家のような立派な家に婿として入っていただければ安心できますわ」
貴族の結婚は家同士の繋がりが重要になる。まして王弟のボスハールト公爵家だ。
万が一カインが後継になるようなことがあれば、夫人も、その実家も立場がないのだろう。
扉が開くと、公爵とカインが入ってきた。
(なんだか……いつもと雰囲気が違う?)
制服や、先日王立図書館で会った時のラフな装いと異なり、レースを使った白いタイをブローチで留め、刺繍を施したベストを着用したカインは、いかにも上級貴族の子息らしい雰囲気があった。
(やっぱりカインって、王族の血を引いているのね)
いつもより大人びて上品な雰囲気のカインに、ヴェロニカは心がドキドキするのを感じた。
「初めてお目にかかります。カイン・クラーセンです」
立ち上がった侯爵の前に立ちカインは挨拶した。
「ああ、初めまして。こうして見比べると似ていますな」
公爵とカインを見て侯爵は言った。
(確かに……親子だわ)
別々に見た時は、あまり似ていないように思ったけれど。
佇まいがよく似ていて、並んだ姿は親子だとすぐ分かるくらいだった。
「先日の婚約打診の件ですが、カインに怒られましてね」
腰を下ろすと公爵はそう切り出した。
「私は良かれと思ったのですが。自分の力でお嬢さんに相応しい男になって婚約を申し込みたかったのだから、勝手に打診をするなと」
「立派なご子息ですね」
侯爵は答えた。
貴族の婚姻は家同士の結びつきが重要になる。
子供の婚約を親が決めることは当然とも言えるが、カインは既に子爵位を持つ一人前の貴族だ。
実の親に頼らず自身の力でヴェロニカとの婚約を成そうとしていたのだ。
「そうは言っても、親として子供のことは心配ですからね」
「ええ、全くです」
公爵はうなずいた。
「この人、カインに好かれたくて必死なのですわ」
夫人が口を開いた。
「空回りしておりますけれどね」
「……仕方ないだろう。十八年も会ったことがなかったのだから、好みも何も分からぬのだ」
夫人の言葉に公爵は眉をひそめた。
「私はカインに幸せになってもらいたいのだ」
「子供の幸せは親にとっても幸せですからね。――うちも、ご存知でしょうがヴェロニカには一度婚約解消して辛い思いをさせましたので」
侯爵はヴェロニカを見た。
「婚約者選びは慎重になっておりましたが。このようなご縁が出来て光栄に思っております」
「ああ、私も安心した」
公爵はヴェロニカに向いた。
「どうか、カインをよろしく頼む」
「……こちらこそ、よろしくお願いいたします」
ヴェロニカは頭を下げた。
「それで、正式な婚約には王家の許可を取らないとならないのだ。まだカインの存在を明かしてはいないが、王位継承権の問題も出てくるだろう」
「王位継承権……」
(それって、カインが王様になる可能性があるということ?)
ヴェロニカは思わずカインを見た。
「王位など、俺には関係ありません」
「そういう訳にはいかない。なにせ現国王の子は一人しかいないからな」
口を開いたカインにそう答えて、公爵はヴェロニカたちを見た。
「相手がフォッケル侯爵家ならば何の問題もないだろうが、婚約時期については改めて伝える」
「はい」
「それから、結婚時期だが……実はカインは卒業後、騎士団に入ることを望んでいてな」
公爵は視線をカインへ送った。
「騎士団へ入団後、二年間は宿舎に入らなければならない決まりがある。結婚はその後になるが……大丈夫だろうか」
「どうだい、ヴェロニカ」
侯爵が尋ねた。
「……それは、はい。大丈夫です」
ヴェロニカはこくりとうなずいた。
「騎士になることがカインの目標ならば、応援いたします」
自分の素性を恨み、心を閉ざしてきた――前世では罪まで犯したカインが前向きになってできた目標だ。
それはヴェロニカにとっても叶えて欲しい望みでもあるのだ。
「そうか。ありがとう」
嬉しそうに公爵は笑顔を見せた。
「公爵家の方とは上手くお付き合いできそう?」
顔合わせが終わり、休憩を兼ねてヴェロニカとカインは庭園へ来た。
しばらく散策したあと、東屋にあるイスに並んで座るとヴェロニカはカインに尋ねた。
「そうだな、それなりには」
「それなり?」
「……最近初めて会ったばかりなのに、父親顔されるのは正直うっとおしいけどな」
「まあ」
ふふっとヴェロニカは笑った。
そう言いながらもカインの顔は嬉しそうに見えたからだ。
「婚約には陛下の許可がいると言っていたけれど……大丈夫かしら」
「何の問題もないだろう。ヴェロニカの血筋は確かなんだし」
カインは王家の血を引く。王族の血を管理するために婚姻には国王の許可が必要ということなのだろう。
「そうね。……それにしても、自分が婚約するなんて不思議な気持ちだわ」
少し前までは、誰かと婚約したいなどと思うことすらなかったのに。
「まだ怖いか?」
カインが尋ねた。
「……そうね。すぐ消えるものでもないわ」
死に戻ってから約八年。前世の記憶は遠い過去のようにも思えるけれど、忘れてはいないのだ。
「それに……怖いのは嫉妬心だけじゃないの」
ヴェロニカは視線を落とした。
「何だ?」
「……一度婚約を解消したことがあるから……ないとは思うけど、もしかしたらまた、と思うと……」
前世では罪を犯して婚約を破棄され、幽閉された。
今世でも、望んだこととはいえ同じ相手に婚約破棄された。
また同じことがあるかもしれないという不安はある。
「――婚約解消の理由は怪我だったか」
「……ええ」
「見てもいいか」
「え?」
ヴェロニカは顔を上げた。
「額の傷」
じっとヴェロニカを見つめてカインは言った。
「……ええ」
ヴェロニカが小さくうなずくと、カインはヴェロニカの前髪をかきあげた。
(どうしよう……醜いって思われたら)
ふいに昔、フィンセントに言われた言葉が蘇る。
そうだ、カインに傷が醜いと思われるのも怖いのだ。
「傷があってもヴェロニカは綺麗だ」
カインは言った。
「それに、この傷が理由でヴェロニカは王太子と婚約解消したんだろう? だからこうやって俺と婚約できる。この傷は幸運の証だ」
「幸運……」
「ああ、幸せの傷だ。俺にとっても、ヴェロニカにとっても」
「……私……幸せになれるの?」
思わずヴェロニカの口から言葉がもれた。
自分が幸せになることなど、考えたことがなかった。
前世のような罪を犯さないために、誰も恨んだり嫉妬したりしないように。何よりもそれを心がけていた。
カインやエリアスの幸せは望んでいたけれど、前世で罪を犯した自分は幸せになってはいけないのだと、心のどこかでそう思っていたことにヴェロニカは気づいた。
「当然だろう」
ふっとカインは笑みを浮かべた。
「どうしてそんなことを思うんだ?」
「それは……」
「何をそんなに不安に思っているかは知らないが。不安は全部受け止めるし、俺がヴェロニカを幸せにするから」
カインはもう一度ヴェロニカの前髪をかきあげると、顕になった傷痕にそっと口付けた。
「な?」
「……ええ」
「大丈夫だ。ヴェロニカは幸せになれるから」
カインの指先が目元を拭い、ヴェロニカは自分の目から涙が流れていたのを知った。