45「あんたは自分で執事になることを選んだんだから」
「は?」
二日後。
王立図書館で会ったカインに婚約打診のことを伝えると彼は目を見開いた。
「婚約の打診? 公爵家から?」
「知らなかったの?」
「――知るかよそんなの」
カインは深くため息をついた。
「……将来がどうとかいって、結婚相手の希望はあるのかって聞くから、心に決めた相手ならいるって答えて。誰だとしつこく聞かれてヴェロニカの名前は出したが……まさか、勝手に打診するとは」
カインはもう一度ため息をつくとヴェロニカを見た。
「それで、侯爵は何と?」
「うちから公爵家の申し出を断るのは難しいって」
「……公爵からじゃなかったら断りたいということか?」
「そうじゃないわ」
ヴェロニカは慌てて首を振った。
「私が望むなら喜んで申し出を受けるって」
「ふうん。じゃあ、ヴェロニカはどうなんだ?」
「……私、は」
視線を落としたヴェロニカの耳が赤くなった。
「お話を受けてもいいと思うわ」
「本当か?」
「……パーティの時に、色々と話してくれたでしょう。それで、私も自分の心に向き合ってみようと思って」
ヴェロニカは顔を上げるとカインを見た。
「不安はあるけれど……カインとだったら大丈夫かと思ったの」
「そうか」
ぽん、とカインはヴェロニカの頭に手を乗せた。
「じゃあよろしくな」
「……はい」
「ああでも、俺の知らないところで勝手に侯爵家に打診したのは許せないから。向こうと話をつけてから改めて申し込むよ」
「ええ」
ヴェロニカは笑顔で答えた。
書架に向かうと、ヴェロニカは本を探し始めた。
少し離れた場所で本を探し始めたカインにエリアスが歩み寄った。
「クラーセン様」
「ん?」
「パーティの時に、ヴェロニカ様とどんな話をなさったのでしょう」
「どんな話って?」
「……ヴェロニカ様は以前、婚約に積極的ではなかったですから」
「ああ、嫉妬が怖いってやつか?」
カインはエリアスを見た。
「自分の黒い感情に怯えず向かい合えばそんなに怖いものじゃないことが分かる、みたいなことを言ったな。あとはそういう感情を小説なり詩なりに書いてみたらいいって」
「……だから詩集を探していたのですね」
エリアスはヴェロニカへ視線を送った。
「それで婚約に前向きになられたと」
「自分がヴェロニカの気持ちを変えたかったのか」
エリアスの横顔を見ながらカインは言った。
「……そういう訳ではございませんが。不安をお支えしたいと思っております」
「あんた、何でヴェロニカの執事になろうと思ったんだ?」
「ヴェロニカ様は我が家の恩人です。そのご恩に報いるためにお仕えしたいと望みました」
「親に命じられて?」
「いいえ。私の意思です」
カインを見てエリアスは答えた。
「それ、後悔しているのか?」
「後悔ですか?」
「執事じゃなきゃ、自分がヴェロニカに求婚できたのにって」
「――いいえ」
やや間があってエリアスはそう言った。
「執事にならなければ、ヴェロニカ様とお近づきにはなれませんでしたから」
あの事故でヴェロニカが庇わなければ、自分は大怪我をしていただろうし、執事になれなくなっていたかもしれない。
「ヴェロニカ様にお仕えすることが、私の存在意義なのです」
「ふうん。大変だな、主従ってのは」
「……クラーセン様は、なぜヴェロニカ様との婚姻を望まれるのですか」
「俺もヴェロニカに救われたからな」
カインはそう答えた。
「救われた?」
「俺の母親は父親に弄ばれて捨てられたと聞かされていて、ずっと王侯貴族には恨みしかなかった。入学して王太子の顔を見て、その憎しみがさらに増えたが……ヴェロニカと出会って一緒に過ごすうちに、そんな恨みとかどうでも良くなった」
そう言って、カインは口元に笑みを浮かべた。
「人間、満たされるとその分マイナスの感情が心からあふれて、外に出ていくんだな」
「……そうでしたか」
「俺を恨むなよ」
カインはすっと真顔になった。
「あんたは自分で執事になることを選んだんだから」
「分かっています」
軽く頭を下げると、エリアスはカインの側から離れていった。
「カインと何を話していたの?」
歩み寄ってきたエリアスを見てヴェロニカは尋ねた。
あんなに長く二人が話しているのを見たことがなかった。
「大したことではございません」
「そう……あ」
ヴェロニカは一冊の本に目を留めると手に取った。
「魔女の本ですか」
エリアスが表紙を見た。
「ええ」
目次を見ると、魔女の伝承や、今も残る魔術について書かれてあるようだった。
(私も読んでみようかしら)
時を巻き戻せるかは書いていないだろうけれど、何か役立つことが書かれているかもしれない。
ヴェロニカは近くのイスに座ると本を広げた。
――この世界は三人の魔女が作った。
暁の魔女が光を与え、時の魔女が季節を生んだ。
そうして大地に生まれた人間に、宵の魔女が愛憎の感情を与えた。
魔女たちは光と闇の間に棲み、時折人間に知恵や加護を与えたり、気に入った人間は愛し子とすることもあるという。
(愛し子……)
ヴェロニカは星祭りの時に見た幻覚を思い出した。
あの時に聞こえた声は『我が愛し子』と言っていた。
(愛し子って、何なのかしら。それに殺されたって……誰が、誰に?)
あれは何のことを言っていたのだろう。自分と関係があるのだろうか。
(……考えても分からないものは分からないのよね)
ため息をつくとヴェロニカは本を閉じた。