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39「このことは誰にも言うなよ」

「カイン・クラーセン。この後共に来るように」

 この日最後の授業が終わると教師がそう告げた。

「来客があるそうだ」

「来客……?」

 カインはいぶかしげに眉をひそめた。

 自分に来客など心当たりが全くなかったが、手早く荷物をまとめてイスから立ち上がった。


「それじゃヴェロニカ、また明日な」

「ええ」

 教室を出ていくカインの後ろ姿をヴェロニカはじっと見つめていた。

「気になる?」

「……そういう訳じゃないわ」

 笑みを浮かべたルイーザをちらと見てヴェロニカは答えた。

「ヴェロニカ様、サロンへまいりましょう」

「ええ」

 エリアスの言葉に、ヴェロニカも立ち上がると教室から出て行った。



 カインが教師と共にやってきたのは校長室だった。

「失礼いたします」

「君がカイン・クラーセン君か」

 執務席に座っていた校長が立ち上がり、カインだけ中に入るよう促すと、奥にある扉をノックし開いた。

「君に会いたいというお客様がいらしている。失礼のないように」

「……はい」


 奥の応接室には一人の男性が座っていた。

 いかにも身分の高そうな威厳のある佇まいのその男性は、カインを見るとその目をわずかに見開いた。

 男性の側に立つ騎士には見覚えがあった。

 カインが冬休みに騎士団の訓練に参加した時に来ていた、近衛騎士団の副団長だ。

「座りたまえ」

 促され、カインは男性の向かいのソファに腰を下ろした。


「私はアンドレアス・ボスハールトだ」

 男性の言葉に、カインは思わず息を飲んだ。


「この男は以前私の護衛を務めていた」

 側の騎士を見て公爵は言った。

「君の母親とも面識がある。冬の訓練時に君を見て、苗字と年齢から私の子ではないかと言われてね。調べさせてもらったよ」


「フェリシア・クラーセンにそっくりですが」

 騎士が口を開いた。

「こうして見比べると、鼻筋は閣下とよく似ていますね」

「そうか」

 公爵は目を細めた。

「そうだな。確かに私の若い頃に似ているようだ」

「それから剣さばきや佇まいもよく似ています」

「ほう。親子というのは不思議なものだな」


「――ご用件は何でしょうか」

 カインは口を開いた。

 出産時期から推測はできるだろうが、自分がボスハールト公爵の息子である証はどこにもない。

 母親は既に死んでいるのだからカインさえ黙っていれば、誰にも知られることはない。

 それなのに何故わざわざ自分を訪ねてきたのか。


(ああ、口止めか)

 独身時代とはいえ、王子が侍女に子を産ませたなどというのは醜聞だ。証拠がなくともカインが周囲に言いふらすだけでも迷惑なのだろう。

「俺は、自分の出生を誰にも明かすつもりはありません」

「そうか? 私は公表したいと思っているのだが」

 公爵はそう答えた。


「公表……?」

「私はフェリシアを愛していたよ」

 公爵は視線を窓へと逸らせた。

「秘めた恋だった。秘めていた故に、私に結婚の話が持ち上がった。すぐにフェリシアは侍女を辞めるといって故郷へ帰っていった。……あの時は身を引いたのかと思っていたが。まさか子が宿っていたとは」

 視線をカインへ戻すと、公爵は穏やかなまなざしでカインを見た。

「彼女が亡くなったことは残念だが、君が生まれたことはとても嬉しく思っている。妻との間に息子がいるから嫡男にすることはできないが、相応の身分と生活の保障は与えよう」


「そのようなものはいりません」

 カインは答えた。

「俺の身分は祖父から譲り受けた子爵位で十分です」

「――今ここで結論を出さなくともよい」

 公爵は言った。

「たとえ公表しなくとも、私は君の父親だ。何か困ったことがあれば言って欲しい」

「……ありがとうございます」

 頭を下げるとカインは立ち上がった。

「それでは失礼いたします」

「ああ、待て。渡すものがある」

「なんでしょう」

「今日は誕生日なのだろう?」

 公爵は懐から小さくて平たい箱を取り出し、それを差し出した。

「おめでとう」

「……ありがとうございます」

 カインは一瞬迷ったが、それを受け取り頭を下げた。



「警戒されているな」

 カインが応接室から出ていくと、公爵はため息をついた。

「仕方ありませんね。おそらく彼からすれば、母親は捨てられたものと思っていたでしょうから」

 公爵はじろりと副団長をにらんだが、もう一度ため息をついた。

「……そう思われても仕方はないか」

 これまで一度も連絡することも、その消息を調べることもなかったのだ。

 自分の結婚が決まったことで向こうから身を引いたのだから関わらない方が良いのかと思っていたが、子がいたと知っていればもっと早くに会いにいっていただろう。


「それにしても閣下に似ていますね。ふとした時の仕草や、声もよく似ています」

「そうか」

「公表することを諦めますか」

「本人の意思を尊重してやりたいが。あれにも王家の血が流れているからな」

 国王の子供は王太子フィンセント一人だけだ。

 フィンセントやその子孫に何かあった場合、王弟であるボスハールト公爵家から次の王を出すことになるだろう。

 王家の血を引くカインを、他人として縁を断つというわけにもいかないのだ。


「急いても仕方がない。改めて意思を確認しよう」

「かしこまりました」

「――本当にフェリシアによく似ていたな」

 カインの出ていったドアを見つめて公爵はつぶやいた。




「……輩。ヴェロニカ先輩!」

 何度か名前を呼ばれ、ようやくヴェロニカは気づいて顔を上げた。


「あ……ごめんなさい。どうしたの?」

「花がら摘みが終わったので、見てもらいたくて」

 カローラはそう答えて首をかしげた。

「先輩、どこか具合が悪いんですか?」

「少し考えごとをしていただけよ」

 ヴェロニカは手にしていた道具を置くと立ち上がり、花壇へと向かった。


「今日はずっと上の空でしたね」

 サロンからの帰り道、エリアスが言った。

「……そうだったかしら」

「そんなにクラーセン様が気になりますか」

「今日はカインの誕生日だったから」

 ヴェロニカは手にしたカバンに視線を落とした。

「カード、渡したかったなと思って」

「――明日お渡しすればよろしいのでは」

「そうなんだけど……」

 せっかくだから今日渡したかったと思いながら、ふとヴェロニカは立ち止まった。

 視線を送った先には、中庭のベンチに座るカインの姿があった。

 宙を見つめていたカインは視線に気づいてこちらを向き、ヴェロニカを見ると小さく笑みを浮かべた。


「お客様との面会は終わったの?」

「ああ」

 歩み寄ったヴェロニカを見上げて、カインは隣に座るよう目線で促した。

「……元気がないみたいだけど」

「――父親が来た」

 カインはぽつりとつぶやくように言った。


「お父様?」

「本当の父親は生きているんだ。……俺のことは知らないと思っていたが、冬に騎士団の訓練に参加した時にいた近衛騎士が俺の母親を知っていた」

「近衛騎士……もしかして、この間の公開演習の時にいた?」

「公開演習?」

 カインは聞き返した。


「貴賓席に、近衛騎士団の紋章をつけた人たちと男の人がいて……どうして見に来ているんだろうって、気になったの」

「一緒にいた男って?」

「威厳のある雰囲気で……そう、髪色はカインと一緒だったわ」

「――それが父親だ」

 ふ、とカインは息を吐いた。

「まあ……」

「ボスハールト公爵だ」


「ボスハールト……王弟の?」

 エリアスが思わず聞き返した。

「王子時代に侍女だった母親に手を出した」

 視線を落としてカインは言った。

「そうだったの……。それで、カインのことを知って演習を見に来て、今日も来てくれたの?」

 ヴェロニカは尋ねた。

 前世では、カインは騎士団の訓練に参加することはなかったのだろう。

 だから公爵も、カインが罪を犯すまで彼の存在に気がつかなかったのか。


「……俺の存在を公表したいだの、生活を保障するだの言っていた。断ったが」

「どうして?」

「王弟の隠し子だなんて、面倒な存在だろう」

 鼻で笑うようにカインは言った。

「あっちには正統な後継息子もいる。俺の存在なんて邪魔なんだろうが、野放しにする訳にもいかないだろうから監視しておきたいんだろう」


「……そんなことはないんじゃないかしら」

 ヴェロニカは言った。

「きっとカインのことを大切に思っているのよ。だって自分の子供なんでしょう」

 前世で、公爵は罪を犯したカインを引き取っていた。邪魔ならば投獄したままで良かったはずだ。

 少なからずカインへの愛情があったからこそ引き取ったのだろう。

「それに、邪魔だと思っていたら代理人を立てずにわざわざご自身で演習を見に来たり、会いに来たりしないわ」

 ヴェロニカの言葉に、カインは視線を落とした。


(父親とはいえ初対面の人を信用しろというのも難しいけれど……)

 前世で会ったことのある公爵は、優しい人だった記憶がある。

 きっとカインのことを息子として心配しているのだろう。

「……そうだろうか」

 カインはつぶやいた。

「ええ、私はそう思うわ」

「そうか。……しかし、ヴェロニカは驚かないんだな」

「え?」

「俺の父親が公爵だっていうことに」

「あ……そう、ね」

 ギクリとしながらヴェロニカは言葉を探した。

 前世で知っていたからとは言えるはずもないし、今更驚いてみせるのも変だろうか。

「思いがけないことすぎて、実感が……。ということは、カインはつまり……殿下のいとこなの?」

「――そうだな」


「まあ」

 ヴェロニカは初めて驚いたように口を開くと手でその口元を隠した。

(わざとらしいかしら……)

「このことは誰にも言うなよ」

 不審に思われないか不安だったが、カインは特に追求することなくヴェロニカとエリアスを見てそう言った。

「……ええ」

(そうよね、カインは王族の血を引いている……王子様!?)

「ようやく実感が出てきたか?」

 改めてカインの血筋を認識したヴェロニカの様子に、カインは小さく笑うとその頭にポンと手を乗せた。

「まあ、父親が誰だろうと俺は俺だ」

「……そう……そうね」

 カインを見てヴェロニカはこくりとうなずいた。


「あ……そうだ。渡したかったものがあるの」

 思い出してヴェロニカはカバンを開いた。

「お誕生日おめでとう」

「……ああ」

 差し出されたカードをカインは受け取った。

「渡せてよかったわ」

「へえ。本のカードか」

 そのカードは本の装丁を模したもので、焦茶に金で装飾が施されていた。

 開くと中には綺麗な文字でお祝いの言葉が書かれ、その隣には乾燥した花が貼られていた。


「ありがとう。これは押し花?」

「ええ。サロンで育てた花で作ったのよ」

「そうか、綺麗だな。宝物にするよ。こっちの方がずっと嬉しいな」

「え?」

「さっき父親からも何か渡されたから」

 カインは胸元にしまっていた箱を取り出した。

「お父様からのプレゼント?」

「ああ」

 箱を開けると、中には黒字に金で模様が描かれた丸いピンブローチが入っていた。


「まあ、綺麗ね」

 ヴェロニカは箱を覗き込んだ。

「この柄は……公爵家の紋章じゃないかしら」

 前世のお妃教育で習った記憶を思い出してヴェロニカは言った。

「そうなのか?」

「確か……」

「間違いありませんね」

 ブローチを覗き込んでエリアスが言った。

「紋章入りのものをくれるなんて、やっぱりカインのことを大切に思ってくれているんだわ」

「――どうだか」

 ピンブローチを見つめて、やがてカインはそれをまた箱にしまった。


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