34「アウロラの花と同じ色なので」
食堂へ行く途中で一旦部屋に戻ったルイーザと合流した。
「今年の一年生は人数が多いのでしょう」
「そうみたいね」
「サロンにたくさん入って欲しいから、今日の入寮式で勧誘しようかなと思って」
ダンスサロンの会長となったルイーザはそう言った。
「まあ。早速会長としてのお仕事ね」
「ヴェロニカだって副会長なんだから、勧誘しないと」
「そうか、そうよね」
食堂へ入るとヴェロニカは軽く周囲を見渡した。
(アリサはまだ来ていないようね)
室内には二十名ほどの生徒がいた。アリサの赤い髪はよく目立つから、いればすぐに分かるだろう。
「ヴェロニカ様」
カインの親戚であるリンダがやってきた。
「リンダ様、こんばんは」
「こんばんは。あの……重ねてのお願いで恐縮ですが」
リンダはヴェロニカに向かって頭を下げた。
「どうかカインのこと、よろしくお願いいたします」
「あ……ええと、はい」
「あの子、本当は頭も良くてできる子だと思っていたので……でもまさかテストで満点を取るなんて」
涙ぐみながらリンダは言った。
「これも全てヴェロニカ様のおかげです」
「……いえ、私というわけでは……」
「あら、ヴェロニカのおかげだと思うわよ」
ヴェロニカが否定しようとすると、ルイーザが口をひらいた。
「だってカイン様は、ヴェロニカと同じクラスになりたくて頑張ったのでしょう?」
「まあ、やはりそうでしたのね」
今度は満面の笑みを浮かべると、リンダは安堵したように胸に手をあてて再び頭を下げた。
「ありがとうございます」
「あ……はい」
つられるように、ヴェロニカも頭を下げた。
「本当にあの人、お母様みたいね」
立ち去っていくリンダを見送ってルイーザが言った。
「ええ」
リンダと話している間に他の生徒たちも集まったらしい。
ヴェロニカの視界の端に赤いものが入ったように思えたので振り返ろうとしたが、寮母が入ってくるのが見えたのでそのまま席についた。
入寮式と名がついているが、実際は寮母による寮生活への心構えや注意事項が説明されるくらいだ。
そのあとは夕食を取り、軽く他の生徒たちと交流して解散となる。
「ねえ、あの子すごい真っ赤な髪ね」
食後の食器をかたづけていたヴェロニカは、ルイーザの言葉に内心ぎくりとした。
「……本当ね」
ルイーザが示した先にアリサ・ベイエルスがいた。
前世の記憶そのままの、夕日のような赤い髪に大きな瞳。そして愛らしい顔立ち。
(大丈夫……ええ、大丈夫)
ヴェロニカは心の中で自分に言い聞かせた。
(大丈夫、なんとも思っていないわ)
前世では殺そうとしたほどの憎しみを抱いた相手だけれど、今のヴェロニカにはアリサに対して全くそんな感情は抱いていない。
最初その顔を見た時は動揺したけれど――彼女へ対する悪い感情は、どこにもない。
(よかった……)
心の中でヴェロニカは大きく安堵のためいきをついた。
「ヴェロニカ!」
同じ園芸サロンのカローラが、一人の一年生を連れてやってきた。
「彼女はマリア・ランドリック。私の幼なじみなの」
「はじめまして」
マリアと呼ばれた子がぺこりと頭を下げた。
「彼女も植物が好きで、園芸サロンに入ってくれるって」
「まあ、本当?」
「こちらはヴェロニカ。サロンの副会長なのよ」
カローラはヴェロニカをマリアへ紹介した。
「よろしくね」
ヴェロニカはマリアへ手を差し出した。
「よろしくお願いします!」
元気な声でそう答えて、マリアはヴェロニカの手を握りしめた。
「とりあえず一人は確保したわね」
「ええ」
カローラとヴェロニカはうなずきあった。
「もっとたくさん入ってくれるとうれしいけれど」
「マリア、クラスの子にも声をかけてくれる?」
「任せてください!」
(明るくていい子なのね)
早速一人後輩が決まったことにほっとしていたヴェロニカは、自分たちの会話にアリサがじっと聞き耳を立てていたことに気づかなかった。
*****
入学式から五日経った。
新入生がサロン見学を始めてから三日目。園芸サロンにはすでに男子二名、女子一名が入会した。
「もっと人数が増えるといいね」
今日行う予定の、苗の植え替え準備をしながら会長のルートが言った。
「そうね」
「女子が入ってくれるといいわね」
一人だけだとヴェロニカたちの卒業後が心配だ。
「すみません……クラスの子に声はかけているのですが」
申し訳なさそうにマリアが言った。
彼女はクラスメイトを二人サロンに連れてきたが、一人は別のサロンに入り、もう一人は保留中だ。
「いいのよ、サロンはいくつもあるから選ぶのが難しいもの」
「そうよ、期限最終日に決める子も多いし」
マリアを慰めるようにヴェロニカとカローラは言った。
ヴェロニカはすぐにサロンを決めたが、ギリギリまで迷う者も少なくないのだ。
「あの……サロンの見学に来たのですが」
背後から女子の声が聞こえた。
「はい……」
スコップの入った箱を手にしていたヴェロニカは振り返り、一瞬硬直した。
真っ赤な髪の、その顔は確かにアリサだった。
「一組のアリサ・ベイエルスです」
アリサはぺこりと頭を下げた。
「ようこそ、僕は会長のルート・デルフト」
「……副会長のヴェロニカ・フォッケルです」
我に帰るとヴェロニカも自己紹介をした。
(アリサって……前世ではダンスサロンだったはずじゃ)
夏休み前のパーティではアリサのダンスが注目を浴び、フィンセントが彼女に興味を持つきっかけでもあった。
(でも見学だから……最終的にはダンスにするのかしら)
「ヴェロニカ、準備はこっちで引き取るから彼女にサロンの説明をしてくれる?」
ルートが言った。
「え、ええ」
「お預かりします」
ヴェロニカが手にしていた箱をエリアスが受け取ると、花壇へと運んでいった。
(……大丈夫、他の人たちと同じように接すれば)
自分に言い聞かせて、ヴェロニカはアリサに向いた。
「この園芸サロンは、花壇で植物を育てたり、植物や庭園設計などの知識を学んだり、あとは専門家を招いて講義を受けることもあるの」
「はい」
「今日は、温室で育てていた苗を花壇に植え替える作業をするのよ」
花壇を示してヴェロニカは言った。
「直接花壇にタネを植えると枯れてしまうことが多いから、ある程度育つまで温室で育てるの」
「はい」
ヴェロニカの説明を、アリサは時折理解していることを示すように頷きながら聞いていた。
「……こんな感じで、地味な作業が多いけれど、でも手をかけた植物が育っていくのを見守れるのが楽しいの」
「そうなんですね」
「一緒に苗を植えてみる?」
「いいんですか?」
アリサは目を輝かせると頷いた。
「お願いします」
「それじゃあ、エプロンを……」
「ヴェロニカ様」
エプロンを取りに行こうとしたヴェロニカの目の前に、エリアスがすっとエプロンと手袋を差し出した。
「ありがとう」
ヴェロニカがお礼を言うとエリアスは微笑み、一瞬だけアリサを見るとすぐにまたその場を離れていった。
「それじゃあこのエプロンと、手袋をつけてくれる?」
「あ、はいっ」
そんなエリアスをアリサは不思議そうな顔で見送ったが、ヴェロニカの言葉に慌ててエプロンを受け取った。
準備を終えると皆で花壇を耕し、事前に作った設計図に従い花を植える位置に穴を開け、そこに苗を植えていく。
二年生が一年生に教えながら、作業は順調に進み無事終えることができた。
「皆、手際が良くて助かったよ。去年の僕たちより上手いんじゃないかな」
植え替えの終わった花壇を見渡してルートが言った。
「ふふ、そうかも」
「じゃあ片付けをしたら今日は終わりにするから」
「ヴェロニカ様。それは私が持ちますのでこちらをお願いいたします」
苗が入っていた木箱を持ち上げようとしたヴェロニカに声をかけると、エリアスは手にしていた拭き取り用の布が入った小さな箱を手渡した。
「……サロンでは気を遣わなくていいと言ってるのに」
園芸サロンでの仕事は男女平等で、あまりにも重いものを運ぶといった作業以外は皆ですることになっている。
「いえ。重いものを持たせるわけにはまいりませんから」
けれどエリアスは笑顔でそう言うと、ヴェロニカが運ぼうとしていた箱を持ち上げた。
「あの黒髪の人は、ヴェロニカの執事見習いなの」
ヴェロニカとエリアスが並んで倉庫へ向かう姿を見つめていたアリサに、カローラが声をかけた。
「執事……見習い?」
「ボーハイツ子爵っていう、執事学校を経営している家の人でね、卒業したらヴェロニカの執事になるのよ」
「だからああやって色々とお世話してるんですね」
マリアが納得したようにうなずいた。
「そうなんですか……」
アリサはもう一度、二人の後ろ姿へ視線を送った。
「今日見学に来たアリサさんは、サロンに入るかしら」
エリアスと並んで歩きながらヴェロニカは口を開いた。
「……ヴェロニカ様は、入って欲しいのですか」
「ええ。女子はまだマリアだけだし、一人でも多く入って欲しいもの」
最初は緊張したけれど、アリサとは普通に接することができた。
それにアリサも楽しそうに作業をしていたし、園芸サロンに興味があるように見えた。
(そうよね、今は彼女に嫉妬する理由なんてないのだもの。先輩後輩としてやっていけると思うわ)
「そうですか」
「……なにか問題があるの?」
歯切れの悪いエリアスをヴェロニカは見上げた。
前世では、エリアスはアリサを庇いその命を落としたけれど。今日の様子を見るに二人は初対面のはずだ。
「問題といいますか」
エリアスは少し眉を下げた。
「あの赤い髪色が、少し……」
「髪色?」
「アウロラの花と同じ色なので」
「……そういえば、苦手だと言っていたわね」
花祭りの時にそんな話をしていたのをヴェロニカは思い出した。
「ええ。ですが、ヴェロニカ様がそばにいれば大丈夫です」
笑顔になるとエリアスはそう答えた。