33「彼女と会ったら……どんな気持ちになるのかしら」
四月になり、ヴェロニカたちは二年生となった。
「おはようございます」
新学期初日。
朝、ヴェロニカたちが寮を出るといつものようにエリアスが待っていた。
「おはよう」
ヴェロニカが挨拶をすると、エリアスは手を差し出してきた。
「まいりましょう」
自ら差し出すより先にヴェロニカの手を取ると、エリアスは歩き出した。
「え……」
「あら、まあ。積極的だこと」
エスコートというより、ただ手をつないで歩くエリアスにルイーザは後ろからにんまりとした笑みを浮かべた。
「良かった、また一組だったわ」
掲示板に貼り出された、クラス分けが書かれた紙を眺めながらルイーザはほっとしながら言った。
「二組に落ちたらどうしようと思ってたの」
「心配するほど成績は悪くないでしょう?」
「でも心配になるもの。あ、カイン様も一組ね」
「ええ」
ヴェロニカも掲示板へ視線を戻した。
二人が一組から二組に行き、代わりに二組の二人が一組に入ることになったようだ。
(二年生か……とうとうアリサが入学するのね)
入学式は明日だが、今日はこの後入寮式がある。
おそらくそこでアリサと会うことになるだろう。
(彼女と会ったら……どんな気持ちになるのかしら)
前世の記憶を思い出したあと、フィンセントと会った時と同じように、不安が心の奥から湧き上がってくるのをヴェロニカは感じた。
「ヴェロニカ、おはよう」
教室へ向かって廊下を歩いているとカインの声が聞こえた。
「おはよう」
振り返ってカインを見上げて、ヴェロニカは少し違和感を感じた。
「……大きくなった?」
「そうか? 少し身長が伸びて筋肉も増えたかもな」
心なしかたくましくなったように見えるカインはそう答えた。
「一昨日まで騎士団の訓練に参加してたから」
「そうだったの……すごいわね」
「まあな。それより同じクラスになったな」
「ええ、よろしくね」
「ああ」
笑みを浮かべると、カインはヴェロニカの背後にいたエリアスへ視線を送った。
「あんたもよろしくな」
「――よろしくお願いいたします」
眉をひそめながらもエリアスはカインに向かって答えた。
教室へ入ると、既に席に着いていたフィンセントがヴェロニカの姿を認めて一瞬笑顔になったが、すぐにその表情を固くした。
「おはようございます、殿下」
「ああ。今年もよろしく」
視線が合ったのでヴェロニカが挨拶をすると、笑顔に戻りフィンセントはそう言うとヴェロニカの背後へ視線を送った。
「……そういえば彼は一組になったのだな」
「よろしくお願いいたします」
カインはフィンセントに向かって軽く頭を下げた。
「……ああ」
(なんだか……殿下はカインが苦手?)
返したフィンセントの表情があまり好意的でないのに気づき、ヴェロニカは内心首をかしげた。
(狐狩りで負けたからかしら)
最後の試合は一騎打ちだったと聞いている。それで負けた相手に意識しているのだろうか。
カインの方は特に意識する風もなく、一番後ろの空いていた席に向かうと腰を下ろした。
今日は二年最初の日なので勉強はなく、一年間の予定や注意事項などの説明があるだけだ。
その後は各自サロンへ向かい、一年生を迎える準備を行った。
「説明文はこれで大丈夫かな」
新しい会長となったルートが新入生へ配るサロンの紹介原稿を見ながら心配そうに尋ねた。
「そうね、分かりやすく書いてあるし。問題ないと思うわ」
「執事が淹れるとっても美味しいお茶も飲めますって入れておく?」
ヴェロニカが確認していると、隣からカローラがのぞき込んできた。
「ふふっいいわね」
「それはサロンの活動と関係ないだろ」
「でも色々な魅力があることをアピールした方がいいと思うわ」
「そうだよ。園芸サロンって地味だから、他のことでもアピールしないと人数集まらないんじゃない」
もう一人のメンバー、シェルツが言った。
「地味……」
「五人より多く一年生を入れたいよね」
「今年の新入生は多いっていうものね」
少し落ち込んだようにみえるルートを横目にカローラとシェルツがうなずき合った。
二年生は六十名ほどで例年それくらいの人数だが、今年の一年生はかなり多く、九十名ほどになるという。
人数が多い理由は、王太子フィンセントの誕生に合わせて子供を作った貴族が多いからだ。
王太子と近い年齢の子がいれば、女子ならば妃に、男子ならば側近となるなどして王家と近づきになり、それはひいては家の発展に繋がる。
だからベビーブームが起きたのだ。
そうして親の期待を背負って生まれた一年生は、二年生や卒業していった先輩よりも積極的にフィンセントに近づこうとしていたため、前世のヴェロニカはさらに不快感や嫉妬心を強くしていったのだ。
(でも、今は誰が殿下と親しくしても大丈夫だけれど)
入学して一年が経ったけれど、自分の中に誰かへの嫉妬心というものがほとんど生まれなかったことにヴェロニカは安堵していた。
むしろ婚約を避けるためにもフィンセントにはいい人との出会いがあって欲しいと思っている。
(そう、きっとアリサが入学してきても、大丈夫よね)
ヴェロニカは自分の心に確認するように言い聞かせた。
「ねえ、ヴェロニカ」
寮へ帰るとすぐにルイーザが部屋を訪ねてきた。
「花祭りの時に、リック様に私がダンスの仕事をしたいと思ってるって言ったの?」
「え? ……そういえば言ったような……」
ヴェロニカは思い出そうと首をかたむけた。
「……あの時ワインで頭がふわふわしていて、よく覚えていないのよね」
けれど確かにそんなことを言ったような記憶がある。
「そう……ヴェロニカにお酒は早かったのね」
「いけなかったかしら?」
「ううん、そうじゃなくて……」
ルイーザは手にしていた封筒を持ち上げた。
「リック様から手紙が届いたの。商会の近くに社交場を作る計画があるんだけど、そこにダンスホールを建てようと思ってるって」
「ダンスホール?」
「ええ、それで、私に……ダンスの仕事をしたいならば、そこの支配人になるのはどうかって」
「まあ。すごいじゃない」
ヴェロニカは思わず両手をたたいた。
「ダンスホールの支配人なんて、かっこいいわ」
そう言って、ヴェロニカはルイーザの表情が暗いのに気づいた。
「……嫌なの?」
「そうじゃないわ。すっごく魅力的な仕事だって思ってる」
ルイーザはため息をついた。
「でも、私が支配人だなんて、そんなのできるわけないじゃない」
「あらどうして?」
「だって支配人なんて何するの? それにまだ十七歳の小娘よ?」
「別に卒業してすぐという話ではないんじゃないかしら」
いくら婚約者になる予定だとはいえ、いきなりルイーザを責任者にして全てを任せるということはないだろう。
「しばらくは誰か別の人が支配人になって、ルイーザはその下について勉強して、いずれは、ということになるのが現実的よね」
「……それは、そうね……」
「リック様はそうやってルイーザのことを考えてくれているのね」
ヴェロニカは微笑んだ。
「いい方じゃない」
「……ええ」
「まだ婚約するのはためらっているの?」
「それは……」
「ダンスサロンの先生にも相談してみたら?」
言いよどんだルイーザに、ヴェロニカはそう言った。
「専門家だから何かいいアドバイスをくれると思うわ」
「……そうね」
ルイーザはこくりとうなずいた。
夕方となり、入寮式の時間が近づいてきた。
(……どうしよう)
鏡の前で身なりを確認しながらヴェロニカは息を吐いた。
とうとうアリサと会うのだ。
今のヴェロニカはフィンセントの婚約者ではないし、彼に対して恋愛感情もない。
だからアリサの顔を見ても嫉妬といった感情を抱くことはないはずだけれど。
(それでも……私は彼女を殺そうとしたもの)
逃げ出したくなるような、胃に痛みを感じるようなこの感覚は、緊張なのか、罪悪感なのか。
(でも……逃げられないものね)
覚悟を決めるようにヴェロニカは大きく息を吐いた。