29「ほんのわずか、糸を巻き戻すだけだもの」
「初めまして。リック・ラングレーと申します」
星祭り当日。
現れたルイーザの見合い相手は、人当たりの良さそうな、爽やかな雰囲気の青年だった。
「ルイーザの友人でヴェロニカ・フォッケルと申します」
「ルイーザさんからの手紙でお名前はよく拝見しております。フォッケル侯爵領にも商会の支店を置かせていただき、大変お世話になっております」
「私もラングレー商会のお名前は存じております。お店に行ったことはないのですが……」
「店で扱うのは庶民向けの商品が多いですからね」
リックは笑顔を見せた。
「貴族向けの商品はお屋敷に出入りする者が扱いますので、使用されたことはあるかもしれません」
「まあ、そうなんですね」
「毎年年末は王都でお得意様のご挨拶に回るのですが、今年は星祭りにルイーザさんとご一緒したいと思いましてお誘いしたんです」
「それじゃあ私たちはお邪魔でしたね」
「いえ、フォッケル家の御令嬢とお会いできて光栄です。新しい方との出会いの機会は常に大切にしたいですからね」
先刻とは少し違う、商売人らしい笑顔を見せてリックは言った。
(仕事の出来そうな人ね)
リックと会話を交わしながらヴェロニカは思った。
礼儀正しいし、ルイーザのお相手として問題がないように見える。
「それでは食事に行きましょう。おすすめの店を予約しておりますので」
そう言ってリックは三人を促した。
星祭りの夜とあってどの店も混んでいたが、リックが予約した店は裏通りにあり、落ち着いた雰囲気の個室でゆっくりと食事をとることができる。
料理もどれも美味しくて、また来たいと思える店だった。
「いい人じゃない」
化粧室でヴェロニカはルイーザに言った。
リックは物腰も柔らかく話題も豊富で、頭も良いのだろう。
「そうよ、いい人よ。紹介してくれた方もまったく問題がないって。……だからちょっと困るの」
ルイーザはそう言った。
「困る?」
「お断りする理由がないのだもの」
「お断りしたいの?」
「……やっぱり王都で暮らしたい気持ちがあるから」
視線を落としてルイーザは言った。
「入学して初めて王都に出てきたの。うちと違って人が多くて華やかだから。それにダンスだって……」
学校に通うのに出てきた王都から帰りたくないと思う生徒は少なくないと、前世でも聞いたことがある。
農作地しかないような田舎の領地と、あらゆるものが集まってくる王都では、明らかに雰囲気も文化も異なるからだ。
「でももう互いの親も婚約させる気満々で……」
貴族の結婚は親が決めることが多い。
しかも問題のない相手なのだ、おそらくこのままルイーザとリックの婚約は決まるのだろう。
「すぐ婚約するわけではないのでしょう?」
ヴェロニカはルイーザの肩に触れた。
「それに卒業するまでは王都にいられるわ。今は、そうね、ダンスの練習をたくさんしましょう」
「……そうね」
ルイーザはヴェロニカを見て微笑んだ。
食事を終えると一行は外へ出た。
街は多くの人であふれ賑わっている。
「ヴェロニカ様、はぐれないようお気をつけてください」
エリアスは手を差し出した。
「?」
「繋いでいた方が安全ですから」
そう言うと、エリアスは首をかしげたヴェロニカの手を握りしめた。
「ではまいりましょう」
「え、ええ」
「今日は積極的ね」
ヴェロニカと手を繋いで歩き出したエリアスにルイーザはつぶやいた。
「ルイーザさんも、はぐれるといけませんから」
リックが手を差し出した。
「……はい」
ルイーザが差し出された手を取ると、リックも歩き出した。
広場に向かう途中の屋台でランタンを買う。さまざまな色紙を使い模様を描いたランタンの中からそれぞれ好きなものを選んだ。
ヴェロニカは白地に赤い花を散らしたものにした。
「天気が良くてよかったですね」
全員分の会計を済ませてリックが言った。
元々冬は雨雪が少ないが、それでも降ることはある。
雨が降ってしまうと祭りにランタンを使うことができず、その翌年は不作となってしまうというジンクスがあるのだ。
「本当に」
「皆様寒くはありませんか? まだ時間がありますから温かい飲み物でもいかがでしよう。おすすめはすりおろしたリンゴを入れたホットワインですが、お酒が苦手ならば温かいリンゴジュースにウイスキーを少し垂らしたものが温まっていいですね」
「……さすが商人。気配りが上手いのね」
「勉強になります」
ヴェロニカがつぶやいた隣でエリアスがうなずいた。
飲み物で身体を温めて広場へ向かうと、既に多くの人々が集まっていた。
「エリアスは参加したことがあるの?」
ヴェロニカはエリアスを見上げた。
「はい、昨年。ヴェロニカ様は」
「領地の星祭りは参加したわ。広場に櫓を作って、そこからお父様が大きなランタンを捧げるのを側で見ていたわ」
「そうでしたか」
「ここの方が人も多いし、きっとすごいのでしょうね」
広場への入口で、ランタンに火をつけてもらう。
細い木と紙を組み合わせて作られたランタンの中には蝋燭があり、そこに火をつけると色とりどりの灯りになるのだ。
これだけ大勢がランタンを持っているのに、一度も火事が起きたことがなく、また不思議なことに新年になった瞬間、火は眩い光となり一斉に消えるのだ。
それはランタンが魔術によって作られているからだという。
(……不思議だわ)
手にしたランタンを見つめてヴェロニカは思った。
魔術とはなんなのだろう。
病気や怪我を治したり、不思議な道具を作ったりすることができる力。
(私が死に戻ったのも……やっぱり魔術なのかしら)
そう思っていると、日付の変わる時間が近づいたことを示すラッパの音が鳴り響いた。
わあっと歓声が上がり、人々が手にしたランタンを高く掲げていく。
無数の灯りが広場を埋め尽くす景色はとても幻想的で美しかった。
灯りを捧げながら、人々は思い思いに祈りをこめる。
(来年……どうか無事に過ごせますように)
ヴェロニカも祈った。
(エリアスもカインも……そして私も。皆に前世のような不幸が起きませんように)
新年を告げるラッパが高らかに鳴った。
人々のランタンが強い光を放ち始め、広場が真っ白な光に包まれた、その瞬間。
ヴェロニカの視界が真っ赤に染まった。
「助けて!」
「熱い!」
「ママぁ!」
広場を真っ赤な炎が埋め尽くしていた。
あちこちで叫び声と激しい音が聞こえる。
けれどヴェロニカには熱さも何も感じなかった。
(え……何?)
大きな街路樹が炎に包まれながら人々へ向かって倒れていくのが見える。
『こんな国など滅べばよい』
炎が燃え盛る中、声が響きわたった。
それは狐狩りの前日に聞いた女性の声によく似ていた。
『我が愛し子を死なせた国など燃え尽くしてくれよう』
「やめ……」
『ヴェロニカ』
声を上げようとしたヴェロニカを何かが包み込む気配を感じた。
『これは夢。悪い夢……でも過去に起きた悪夢』
「……え?」
『同じことは繰り返させない。あなたは私が守るから』
白い光がヴェロニカの視界を覆った。
「ヴェロニカ様」
エリアスが心配そうにヴェロニカの顔をのぞき込んだ。
「どうなさいましたか」
「……あ……」
ヴェロニカは瞬くと周囲を見回した。
広場に集まった人々が楽しそうに笑い合いながら家路につこうとしているのが見える。
「……光が」
「すごかったですね。今年は特にいつもより強い光だったように思います」
リックが言った。
「驚かれましたか」
「……ええ、そうね」
エリアスの言葉にヴェロニカはうなずいた。
(今のは……夢?)
広場を焼き尽くす炎は、その熱さは感じなかったけれどとても幻のようには思えなかった。
それに聞こえた二つの声。
どちらも以前聞いた覚えのある声だ。
(過去に起きた悪夢って……まさか、前世のこと?)
前世でこのような火事が起きたなど聞いた覚えがない。
(国を焼き尽くすほどの……愛し子を死なせた? どういうこと?)
「ヴェロニカ様。大丈夫ですか」
視線を落としたままのヴェロニカにエリアスが声をかけた。
「……ええ。少し疲れてしまったみたい」
「それはいけませんね。帰りましょうか」
エリアスが手を差し出した。
ヴェロニカがその手を取ると、四人は人の流れに乗って歩き出した。
*****
『ノクスよ、何故こんなことをする』
『奴らが妾の愛し子を殺した、その報復じゃ』
『そもそもそなたが人の子に干渉したからであろう』
『人は心がもろいのよ。私たちが干渉すれば容易く壊れてしまうわ』
『その壊れた心が愛おしいのだ』
『そなたという者は……』
『国を滅ぼすなんて過干渉だわ』
『愛し子を殺した罰じゃ』
『仕方のない奴じゃの。ホーラよ、この乱れた王国の時を戻せるか』
『それくらい簡単よ。ほんのわずか、糸を巻き戻すだけだもの』
目覚めるといつもと違う部屋だった。
(――ああ、そうだわ。家に帰ってきたんだったわ)
冬休み中は王都の屋敷に帰っているのを思い出して、ヴェロニカはゆっくりと起き上がった。
奇妙な夢を見ていた。
視界が赤く染まった中で聞こえる三人の声。
その内の二人は前にも聞いたことがある声だ。
昨夜――星祭りの時に灯りが消えた瞬間に見た幻と共に聞こえた声。
けれどもう一人は初めて聞く声だ。
(関係があるのかしら……前から聞こえる声や、前世のことと)
初めて聞いた声は『時を戻せるか』と言っていた。
それはヴェロニカが前世で死んだあと時間を遡ったことと関係があるのだろうか。
(三人の女性の声……やっぱり魔女?)
これまで起きてきた不思議な出来事は、魔女によるものと思えば納得できるような気がした。
自分が死に戻ったのも魔女の力によるものなのかもしれない。
(でもどうして……なんのために?)
どうして夢に見たり、声が聞こえたりするのだろう。
(それに殺しただの滅ぼしただの……なんのことなのかしら)
考えても分からなくて、ヴェロニカはため息をつくとベッドから立ち上がった。