28「まだ誰かと婚約したいと思えないの」
「ヴェロニカ。またあなたの新しいうわさが出回っているわよ」
「新しいうわさ?」
部屋を訪ねてきたルイーザの言葉にヴェロニカは首をかしげた。
「ヴェロニカを巡って王太子殿下と『氷の騎士』が争っているっていううわさよ」
「氷の騎士?」
「カイン様のことよ。いつも無表情で怖いから氷みたいだって」
「……騎士っていうのは?」
「狐狩りのあと、騎士団に入らないか勧誘されていたんですって」
「カインが騎士団に?」
ヴェロニカは目を丸くした。
「あの人、剣技も上手いらしいわよ」
「そうなの……」
意外だと思ったが、騎士になるというのはいい道のように思えた。
不遇な生い立ちのカインが前向きになれる未来があるのなら、それは彼にとって幸いだろう。
「それで、ヴェロニカはカイン様のことをどう思っているの?」
ルイーザは身を乗り出した。
「え?」
「殿下のことは友人として好きって言っていたじゃない。カイン様は?」
「カインは……彼も、友人として好きよ」
「そう? ずいぶんと心を開いているように見えたけど」
「心を開く?」
「ええ。殿下やエリアス様よりもね」
「そう……かしら。でも、ルイーザと一緒にいる時と同じ感じよ。だから友人として好きだわ」
「じゃあ友人以上に好きになる可能性は?」
「好き……」
(それは……カインに恋をするということ?)
ルイーザの言葉にヴェロニカは首をかしげた。
確かに、カインと一緒にいたり、話をすることは楽しいけれど。
前世のことがあったせいで、ヴェロニカは誰かを好きになろうとは思えなかった。
「それは……ないわよ」
「ふうん」
そう思いながらもヴェロニカの頬が知らず赤くなるのを、ルイーザは興味深そうに見つめた。
「……そういうルイーザは、好きな人はいるの?」
「いないわね」
ルイーザは首を振った。
「お見合いした方とはどうなったの?」
「一応手紙はやりとりしているわ。そう、それでね、冬休みに王都に来るから星祭りに行こうって」
「まあ、いいじゃない」
「ヴェロニカも一緒に行ってくれる?」
「私も?」
星祭りは大晦日の夜に開かれるもので、『時の魔女』に一年を無事に過ごせたことへのお礼と、新しい年がいい年であるようにと祈る祭りだ。
王都や各領地の広場に人々があつまり、灯りを捧げて新しい年が来るのを皆で待つ。
時間を司る時の魔女は天候を操る力も持ち、作物の実りにも影響を与えるとされていた。
「どうして私も一緒に行くの?」
「お相手がいい人か、見て欲しくて」
「……私に分かるかしら」
人を見る目があるかどうか、正直自信がない。
「二人きりになるのはまだ早いかなというのもあって……エリアス様も連れてきていいから」
「そうねえ。私も王都の星祭りはまだ行ったことがないから、いいわよ」
エリアスは勝手についてくるだろうけれどと思いながら、ヴェロニカはうなずいた。
領地では毎年参加していたけれど、王都の星祭りには行ったことがない。
前世でも人混みは嫌だと言って行かなかった。
「ありがとう。じゃあよろしくね」
ルイーザは笑顔でそう返した。
*****
「騎士団? ああ、誘われた」
数日後、図書館の中にある休憩室で会ったカインに尋ねると、そう肯定した。
「騎士になるの?」
「冬休みに騎士団の訓練に参加してから考えるつもりだ」
「学生なのに、訓練に参加なんてできるの?」
「二年生でも何人か参加するらしい。そうやって早めに騎士志望者を確保するそうだ」
そういえば前世で、優秀な学生には各組織から早めに卒業後の打診があると聞いたことがあるのをヴェロニカは思い出した。
「じゃあ将来有望だと見込まれているのね」
「……それはどうだろうな」
少し照れたように口端を緩めてカインは言った。
「でも騎士と訓練するのは大変よね。怪我しないよう気をつけてね」
「ああ。ヴェロニカは冬休みどうするんだ」
「ルイーザと星祭りに行く予定よ。お見合いした方が王都に出てくるから、一緒に行って欲しいって」
「見合い相手?」
「地方の商会の方ですって」
「ふうん。――ヴェロニカは、婚約者選びはどうなっているんだ?」
「私? まだ何も決めていないわ」
「じゃあ俺がなる余地はまだあるな」
「……それは……」
「俺は本気なんだけど」
カインはヴェロニカの顔をのぞき込むように身を乗り出した。
「俺じゃだめか?」
すぐ間近で見つめられて、ヴェロニカは顔に熱を帯びるのを感じた。
(カインが……婚約者……)
恋をすることは考えられないけれど、いつかは誰かと結婚しなければならないのだ。
カインがその相手となることは、ありえない話ではないと思う。
「……だめという訳では……」
「だめじゃないんだ」
「……でも、私はカインのことは友人と思っているから……」
「別に友人と婚約したっていいだろう」
笑みを浮かべると、カインはさらに顔を近づけた。
「気が合う相手の方が……」
「そこまでです」
伸びてきた手がカインの肩をつかむとヴェロニカから遠ざけた。
「カイン・クラーセン様」
離れた場所にいたはずのエリアスが、明らかに不快な表情でカインを見た。
「本の話をするのにそこまで近づく必要は無いはずですが?」
「そこは雰囲気によるだろ」
「節度を弁えてください」
「うるさい執事だな」
カインは眉をひそめた。
「人が口説いてんだから、邪魔するな」
「それは看過できませんね」
エリアスは立ち塞がるようにカインの前に立った。
「ヴェロニカ様に悪い虫がつかないよう守るのも私の仕事ですから」
「そうやって近寄ろうとする男全員排除してたら行き遅れるぜ?」
「ご心配なさらずとも、ヴェロニカ様にふさわしい方は必ずおられますので」
「とか言って、あわよくば自分がって思ってるんだろ」
ヴェロニカに聞こえないよう、声をひそめてカインは言った。
「私は執事です。主に対してそのようなことは……」
「そんなこと言ってる間に俺に奪われるぜ」
ジロリとエリアスはカインを睨みつけた。
「……ふふっ」
二人のやり取りを見守っていたヴェロニカは思わず笑みをもらした。
「二人は仲がいいのね」
「は?」
同時に声を上げた二人に、ますます笑みが深くなる。
前世で直接面識はなかったけれど、二人の間に起きたことを考えると、今のようなやりとりができるのは前世に比べてその関係も良好なのだろう。
(そうよ、カインは人を殺そうとするような人ではないし、エリアスも怪我をしていないし執事になれるもの)
きっとこの二人は前世のようにはならない。
そう確信してヴェロニカは安堵した。
「ヴェロニカ様。先ほどカイン様に口説かれていたのですか」
図書館を出て寮に帰りながら、エリアスが尋ねた。
「……そういうことになるのかしら」
「何を言われたのですか」
「私の婚約者になる余地があるなって」
「……それで、何と答えられたのです?」
「私は友人と思っているからって。友人だから婚約してはならないということもないのでしょうけれど」
見ず知らずの相手と婚約することもあるのだ。
カインの言っていたように、気心が知れている相手の方が良いのかもしれない。
「――それは、カイン様と婚約されても良いということでしょうか」
ややこわばった声でエリアスは尋ねた。
「うーん……どうかしら。正直、まだ誰かと婚約したいと思えないの。やっぱり怖いもの」
どうしても前世で嫉妬にまみれていた記憶があるせいで、特定の相手ができることを怖いと思ってしまうのだ。
「そうですか」
「あまり悠長なことを言っていられないのはわかっているけれど。でも今はまだいいわ」
小さく首を振ってヴェロニカはそう答えた。
*****
「ヴェロニカは、新年はどこで過ごすの?」
翌日、教室でフィンセントに尋ねられた。
「ルイーザと王都の星祭りに参加して、一日は学校のパーティに行く予定です」
新年は各地でパーティが開かれる。
冬休みは家に帰ることができるため各自好きなパーティに参加することができるが、夏休みよりも短いため学校に残る生徒のために、学校でも新年のパーティが開かれるのだ。
「そうか」
「殿下は王宮の儀式があるのですよね」
「ああ」
星祭りは王宮でも行われる。一年で最も重要な祭りだ。
「だが学校でのパーティは参加する予定だ」
「王宮のパーティには出られないのですか」
前世では、義務だからとフィンセントは王宮のパーティに参加していたしヴェロニカも一緒だった。
だからフィンセントも学校の方は出ないと思っていた。
「ああ。下手に出ると面倒だからな」
「面倒?」
首をかしげたヴェロニカに、フィンセントは小さく笑みを向けた。
「ヴェロニカ。パーティで最初のダンスの相手は決まっているのか?」
「いえ」
「では私と踊ってほしい」
「……殿下とですか」
「嫌か?」
「……嫌ではありませんが……」
「ならば問題ないな」
「誘導が上手いわね」
側で会話を聞いていたルイーザがつぶやいた。
「殿下が王宮のパーティに参加されないのは、婚約者候補の御令嬢方に会いたくないからです」
ディルクが言った。
王宮のパーティには学校に通っていない年齢の令嬢たちも参加できる。学校に通っているフィンセントへアピールする絶好の機会だ。
「やはりそうなのね。それに参加せずにヴェロニカを最初のダンスパートナーに選ぶ……周囲へ知らしめる効果はかなりありそうね」
「――」
ルイーザとディルクの会話を聞きながら、エリアスは内心ため息をついた。




