缶コーヒー
日が暮れてからの大雪だった。真希がフェリーから
降りると、車で迎えに来ているはずの修二がいなかっ
た。この大雪でたくさんの車が峠で立ち往生してお
り、港まで行くには時間がかかってしまうとのことだ
った。時刻はすでに二十二時手前。最寄りの駅から発
車する列車はもうない。真希は、港から一番近い中核
都市のT駅までタクシーで行き、そこで修二と待ち合
わせる事にした。
T駅に着いたのは二十三時過ぎ。駅に降り立つと、
すでに電気の半分は落ちて、通る人もまばらだった。
舞い落ちてくる綿雪を手で払いながら、真希は構内へ
と向かった。太い柱の所まで来ると、真希はそこを陣
とし、修二を待つことに決めた。そこからなら、ロー
タリーに入ってくる車も見えるからだ。
同窓会で意気投合した修二とは、図らずも遠距離恋
愛となった。恋人に会うために新調した服は、およそ
大雪の降る夜中、外気にさらされた駅の構内で数時間
も過ごせるような仕様ではなかった。ハーフコートに
ミニスカート。救いは、足元がロングブーツだったこ
とだけ。じっとしていると冷気が体の芯まで入り込ん
でくる。手で体を擦ったり、足をさすったり、真希は
冷気に対抗しながら、ロータリーを見つめた。修二の
車は見えない。
真希は肩を落とし、壁際の自販機に向かった。歩く
と固まった関節にちょっとだけ温かい血が流れ込む気
がした。ホットコーヒーの缶がガチャンと音をたてて
転がり落ちた。真希はその缶を掴むとコートの下に滑
り込ませた。手のひらに収まるようなサイズの缶し
か、今の真希には暖をとるモノがなかった。戻ろうと
足を出した時、突然視界にのっそりと人影が入った。
ホームレスだ。男がジロジロとこちらを見ている。気
づくと構内には真希と男の二人しかいなかった。
やだ。
真希はできるだけ、その存在を視界に入れないよう
にした。
陣に帰ると、真希はまた、冷気との攻防を始めた。
足踏みをし、缶をほっぺや首に当てた。無情にもすぐ
に缶は冷めた。冷気よりわずかに温かいだけの物質と
化してしまった。冷めた缶コーヒーをバッグに入れ、
真希は再び自販機の前に舞い戻った。一本だけでは、
とても冷気に逆らえない。真希はガチャン、ガチャ
ンと缶コーヒーを二本にした。缶を握ると、自然に
ほうっと声が出た。
その時、また、目の端に姿が映った。ホームレス。
男はチラチラとこちらを伺っている。
何なの。
真希は顔を別の方向に向け、目が合わないように歩
き始めた。
陣に着き、二本の缶をブーツから出ているタイツの
部分に当てた。しばらくもってくれるかな。真希はロ
ータリーに目をやった。車の往来でわずかに見えてい
たアスファルトも、静かに降り続く雪に覆われ見えな
くなっていた。修二の車はまだ来ない。
缶コーヒーが冷めた頃、時計に目をやった。針は深
夜の一時を回っていた。四肢の感覚はもうなくなって
いる。真希は、白く、弱々しいため息をつくと、冷め
た二本の缶コーヒーをバッグに入れた。その時、
ゆら。
何かが視界に入り込んだ。
ゆら。ゆら。
ホームレス。あのホームレスがこっちに向かって来
ている。真希は、こわばった体を更にこわばらせると
バッグをぎゅっと握った。周りには誰もいない。怖い。
男のかぶっている毛糸の帽子は茶色くくすみ、服に
は油染みのような汚れがべっとりとついていた。両手
に何かを抱えている。真希の前まで来ると男は足をと
めた。
「ん」
低くしゃがれた声を出し、段ボールと新聞紙を置
いた。それきり、男は何も言わず向きを変えた。
段ボール・・・新聞紙・・・。
「暖をとれってこと?」
真希の声が聞こえたのか、男が振り返った。そし
て、腰を低くし、申し訳なさそうに、どうぞ。と手
でジェスチャーをした。油染みのついた背中をもっ
と丸め、男は不器用に遠ざかって行った。
トントントン。
男は肩をたたかた。つむっていた目を開けると、
若い恋人同士が並んで座ってた。寒さに震えていた
我が子くらいの娘は無事に待ち人に会えたらしい。
きちんと折りたたまれた段ボールと新聞紙が差し
出された。そして、ちょこん。その上に缶コーヒー
がのせられた。
「あったかいをいただいたお礼です」
何度も頭を下げた恋人たちは、雪のロータリーに
向かい、姿が見えなくなるまで手を振っていた。