6.お出かけしましょう
ぷすんと目の前で机に突っ伏した少女が頭から煙が出ているような気がしてジークフリードは堪えきれずに口元を抑えて笑ってしまったのだが。
どうやら笑い声は抑えきれていなかったらしくじとりとした恨みがましい目が向けられて。
笑いは治まるどころかいっそう増してしまった。
「ジークフリード様って笑い上戸か何かなんですか」
「そんなことはないと思いますよ。感情を読み取られるというのはある種の隙となるからね」
偽りなく返事を返したのだが、どうやら信じてもらえていないならしい。
むすりとしながら唇を尖らせるアリアの姿には貴族らしさというものは全く見えない。
貴族のように己を取り繕うことはなく、どこまでも素直に己の感情を表すその姿は、なるほど宮廷闘争に明け暮れるものからすると眩しく見えるのかもしれない。
ジークフリード然りクリスティーナ然り、そしてクリストフもまたということだろうか。
無論それを差し引いてもジークフリードから見ればクリストフの行動は愚かとしか言いようがないが。
恋とは打算も何もなく、ただそうなってしまうものだと言われてしまえばあいにくジークフリードは何も言えない。
少なくとも恋に心を乱していない自分では言えないのだろう。
「少し休憩に街まで出てみますか?」
「え、いいんですか?」
「もちろん。あなたの護衛と言う意味でいつでもとは言えないだけで邸から出てはいけないという程ではないのですよ?」
「……聞いていませんけど」
「言っていませんからね。リスクは減らすに限るでしょう」
街まで出ても良いと邸から出てはいけないは同じ意味ではない。
とはいえ邸から出ても良いがイコールで街まで出てもいいともならないのだ。
はたしてアリアがどこまで自覚しているかはわからないが、アリアの身は現状では安全とは言い難いのが事実だ。
「……つまりジークフリード様は私が邸の外に出ることに軽視できぬ程度にはリスクがあると?」
「隠し立てしても仕方ありませんからね。その通りです」
「理由はもちろんクリストフ様、ということなのですよね?」
「ええ。クリスティーナから何度か連絡が来ているのですが。あの男なかなか粘っているようで」
そこはやはり腐っても王族だったということなのだろう。
恋に目を曇らせたとはいえ次期国王としてそれまで与えられてきた教育のあれこれまで失ったわけではないということだ。
貴族、それも帝室に近い者としての教育を受けてきているクリスティーナですら容易に勝ちを得られないほどに。
「あの様子ではおそらく自分でクリスティーナの相手をしながら裏であなたを探させていますね」
口にはしないが血眼という言葉がふさわしいほどに。
なるほど、そこは盲目というわけだとジークフリードは笑ったことは誰にも言ってはいない。
同時にまったく面倒なとため息をついたこともだ。
恋に目をくらませて置きながら、そのくせ次期国王としての能力は失ったわけではない。
能力を持ちながら判断を誤るなど国政に携わる者から言わせてもらうならば最悪だ。
「無論憐れまれるべきはそんな愚かな男に翻弄される者ですがね」
あれを次期国王として戴かなければならないファリス王国の民、そして文字通り人生を乱されているアリアこそが。
己の責務、立場を忘れ恋に狂った王族など始末に負えないと思いはするが。
「そう言えるのはあるいは私が知らぬからなのかもしれませんね」
「あの……?」
「ああ、失礼。なんでもありませんよ。というわけでクリスティーナの帰還はもうしばらくかかりそうですし」
その間、アリアにはみっちりとあれこれ覚えてもらうつもりではあるが、まさかその間ずっと邸に詰めっぱなしというわけにもいかないだろう。
窮屈というほどの狭さではないとは思うが、人は閉塞感を感じた時点で息苦しさを感じるものだ。
邸から出られないという時点でアリアからすればストレスでしかないだろう。
それを当然のことだ、耐えろなどという権利はきっとジークフリードにはない。
「でも……それではご迷惑では」
「大丈夫でしょう。私もそれなりに剣は使えますし。あと私自身皇位継承権持ちですからね」
「はい?あの、それがなにか」
「私にも護衛がついています。というわけで、それなりの規模で動かれない限り、そう滅多なことはないでしょう」
言うまでもなく、ジークフリードの護衛についている者は帝国騎士団の中でも精鋭である。
そんな連中をどうこうするには、それなりの規模が必要になるはずだが、友好国とはいえ他国にそんな規模の軍を容易に送れるはずもない。
まして王族が動かしでもした日には露呈した瞬間に国際問題となることは間違いない。
クリスティーナへの対応を考えるにさすがにそこまでクリストフも愚かではないだろう。
「というわけで街へ行きましょうか。まだきちんと見たことはないでしょう?」
「はい!ぜひ街を歩いてみたいです!」
問題ないと判断したのだろう。
ぱっと輝くアリアの笑顔に、やはり悪女という言葉とは縁遠そうな人だなあなんて思いながら。
ジークフリードは穏やかに笑った。




