5.ひとめぼれと言いはしたが
まるで自分が酷い悪女ではないかと悲鳴を上げる少女の姿に珍しく本気でジークフリードが笑っていたということを気付く者は無論誰もいない。
なるほど確かに客観的にみればこの少女は隣国の次期国王を誑かし婚約破棄をさせたうえ自分は王家から逃げ、そのくせ今度は帝国の皇位継承権持ちを誑かしたということになる。
どこに出しても恥ずかしい立派な悪女である。
悪女は言い過ぎかもしれないが、傾国と言ってもいいだろう。
とはいえ本人を見ればそれはないと笑いたくなるのも当然と言えば当然だ。
なにせ気の毒になるほどジークフリードが見つめる先で少女は顔を青くし頭を抱えているのだから。
本人にそんなつもりがないというのは明白、これが演技だというのであればたいしたものだ。
一方でジークフリードが告げた一目惚れという言葉も嘘ではない。
もちろんそれはアリアの容姿に対してというものではないし、アリアがそこを誤解していることも分かったうえで何も言わないのだが。
そもそもアリアはジークフリードからすれば第一印象からして他者に対して一歩抜きんでているのだ。
あのクリスティーナがああまで好意的という理由によって。
ヴァンテンベルク家はカストル帝国の帝室と血縁という意味で近い。
いくら帝室の権威が盤石であろうと権威に群がる連中というものは絶えないものであり、無論カストル帝国とて例外ではない。
ジークフリードにせよクリスティーナにせよ笑顔を浮かべながら腹の底で利を求めて近寄ってくる連中というのは文字通りはいて捨てるほどに見てきている。
見抜けなければとうに食いつかれ骨までしゃぶられている、そんな立場だったのだ。
否応なく人を見る目は磨かれる。磨けなければ生きていられなかった。
そんな妹があれほどの好意をアリアに向けているというその特異さはジークフリードの意識を引くには十分すぎる理由だった。
(帝室からすれば喉から手が出るほどに欲しい金の瞳、すなわち強大な魔力の資質を持つ者とはいえ)
あの扱いは破格すぎる。もとよりクリスティーナの婚約は文字通り政治的な理由しかないのだから理由がなくなれば即破棄に動くつもりだったとはいえだ。
皇太子の恋人、しかもそれなりに執着しているように思える者を皇太子を出し抜き誘拐紛いで帝国に連れてくるなど軽視できぬ程度にはリスクがある。
そしてクリスティーナはそれらを理解しないものではない。つまりすべて理解したうえでアリアを連れてきている。
興味を持つなというのが無理な話だ。
「あの、ジークフリード様」
「ジークフリードで構いませんよ?ああ、長くて呼びにくいのでしたらジークでも」
「それはさすがに無礼が過ぎるというものでしょう……」
「私は気にしませんけどね」
「……おいおい考えます。あの、それで」
言われたからわかりましたと即答しない程度には頭も回る。なるほど、それなりに好ましい。
けれどそれだけだ。ではなぜかと問われれば、それだけではないとみるからだ。
この娘は庶民の出だ。それは間違いない。
ならば普通は今のジークフリードの言葉に対しては額面通りに受け取るのが普通だろう。
なのにアリアはその先まで読んだ。
いくら本人が許可をしていようともそれは無礼だ。その無礼さは人目につけば己の身を危うくさせると。
そこまで読める者がただの庶民というわけもないだろうに、間違いなくアリアの身の上は庶民。
しかも巨大な魔力の資質も持つ。手中に収めておきたいと考えるのは当然だろう。
「まあ、あの子はおそらくそれだけではないのだろうけれどね」
「はい?」
「いえいえ、なんでもありませんよ。それであなたが言いかけたことは何です?」
「なんだろう、この誤魔化された感……」
ぽつりと呟かれた言葉ににこりと笑みを返せばアリアの顔がひきつっている。
おかしいな、人が良いと評判なのにと思っていればそんな思いに気づいているのかアリアの顔はいっそう引きつっている。
とはいえ今は何を言ったところで無意味なのだろう。
言葉を交わせばわかりあえるなんて関係はまたジークフリードとアリアの間にはないし、言葉がなくてもなんて言うのはさらに遠い。
「具体的には私はこれからどうすればよいのでしょう?」
「そうですね。優先すべきは礼儀作法と宮廷での考え方と言ったところですね。並行して魔力の扱い方も覚えてはいただきますが、優先順位は少し劣ります」
「いいんですか?」
「はい。先ほども言いましたがいまのあなたは人より優れた素質があるというだけです。いますぐ扱いを覚えなければ危険ということはありません」
今まで何ともなかったでしょう?と問えばなるほどとアリアは頷いている。
これで実は、などと言われたりしたらそれこそ問題だが、アリアの才を思えばそんなことになっていれば話はカストル帝国まで届いている事だろう。
アリアが持つ素質とはそれほどのものであり、だからこそ帝室は最優先で身柄の確保に努めるのだ。
「というわけでこれからしばらくはみっちり座学となります」
「え」
「お嫌いですか?」
「嫌いとまでは言いませんけれど……座学だけってなると少し苦手かなとか。ちなみに教えてくれるのはどんな人なんですか?」
「私ですよ」
「え」
笑顔で自分を指させば、今度こそアリアの顔が固まっている。
そんなに自分はおかしなことを言っただろうかとアリアの顔を見つめれば、あ、とかう、とか呻き、悲鳴が響き渡った。
「ジークフリード様は皇位継承権第2位なんですよね!?」
「はい」
「そんなにお暇なんですか!?」
「暇ではないですよ?」
「暇ではないのになんでそうなるんです!?」
「それはもちろん後々帝室に関わる方の教育ですから迂闊な者には任せられません、というのが公的な理由ですね」
「ということは私的な理由もありますね!?」
噛みつくように告げられた言葉に見過ごしませんか、と笑う。
この混乱ぶりでは見過ごしたところでおかしくないだろうに、きっちり追及してくるのはたいしたものだ。
私的な理由はあるのかと問われれば、もちろんある。
「アリア嬢と親しくなる機会をみすみす見逃すわけもありませんし。せっかくの機会は有効活用すべきでしょう?」
「そこまでされるほどの機会というものとも思えないのですが」
「そこは認識の差ですね。私にとってはそういうもの、とご理解ください」
確かに正直に言うならばわざわざジークフリードが教えなければいけないという理由はない。ついでに言うならばそんなに暇でもない。
それをなぜかと問われればアリアに告げた通り、せっかくの機会だというものが半分。
もう半分は打算としか言いようのないものだ。
皇室での確保を最優先とするべき存在が目の前にいるのだから皇位継承権を持つ者として当然だろう。
興味はある。好意的な感情もある。
だがそれだけで行動できるほどジークフリードは身軽な人間ではないのだ。
背負った責務があり、そのための行動としてアリアの傍でアリアと言う人間を見ていたい。
そのためにはそれはもう都合が良いのだ。
ひとめぼれしたから、なんていう理由は。
そんなジークフリードの想いをアリアが知ることは当然なく。
悲鳴を上げながら頭を抱える姿は、かわいそうなほど普通の少女の姿だった。




