4.人はそれを悪女と言うのでは
さっさと片を付けてきますから!
そう言い残してクリスティーナは馬車に乗って王国へと戻って行ってしまった。
文字通りトンボ返りである。往復にかかる時間の方が滞在時間よりも明らかに短いのだから。
「本当に無茶をしてくださっていたのですねクリスティーナ様」
「たいしたことではない、といったところであなたは見抜くでしょうから誤魔化しはしませんが。あの子が自分で決めたことです。あなたが気にすることではありません」
「ですが」
「あの子は帝室に連なるものとしてあなたの保護に努め伯爵令嬢としての責務を果たしたのです。それだけですよ」
だから気にすることではない、ときっぱりと言い切るジークフリードに視線を向ければ穏やかに微笑む顔がある。
その笑みはやはり揺らぐこともなく、だからこそ心が読めないとため息をつきたい。
だがほんのひと時とはいえ垣間見た兄妹の関係は信頼に満ちた良好なものに見えた。
ならば偽りを言う理由はないのだろう。まして妹の気持ちを偽ってまでアリアを優先するような理由などもっとないだろう。
「それにどうせあの子はさっさと戻ってきますよ。婚約破棄を勝ち取ってね」
「それもご丁寧に相手から申し出て下さるそうですものね」
「まああちらの国王がそれほど愚かとも思いませんから多少は長引くかもしれませんが」
結果は変わらないだろう、とジークフリードは告げる。
なにせ当事者であるクリストフは婚約破棄する気満々であり、クリスティーナは便乗する気満々なのだ。
ついでに言うと暗に皇太子の方は愚かだと言っている気がするのだが、なんだかもうそれでいいかなという気もしないわけでもない。
「これ幸いとしっかり慰謝料をぶんどって凱旋してくると思いますよ」
「ぶんどってって」
「隙を見せたならむしり取るだけむしり取る。貴族の基本中の基本ですとも」
「……こわ」
なにそれ貴族怖い。
なんていうかふと思い出したのは白鳥だった。
水上ではあれほど優雅でありながら、水面下では必至という程の勢いで水を掻いているとかいう。
「他人事のように思われているところ申し訳ありませんが、近々あなたも当事者になる世界ですからね」
「弱肉強食う……」
「良くお分かりのようだ」
そういえば言われていた。
最優先でカストル帝国の帝室に迎え入れるべき存在だと。
あれ?と首を傾げたのは今更と言えば今更かもしれなかった。
「でもどうやってです?そんなようこそ帝室へ、なんてわけにもいかないでしょうし」
「わかりやすい手段となると皇室関係者との婚姻ですね」
あっさり言われた言葉にさすがに絶句する。
そんなあっさりと言うことだろうか。ああ、けれど政略結婚なんて手段がぽんぽん出てくる貴族からすると文字通り手段でしかないのだろうか。
「だからクリスティーナは言ったでしょう?私などはいかがですか、と」
「え?あれって本気なんですか!?」
「もちろん本気ですとも。あの子は一度たりとも口から出た言葉に責任を持たなかったことはありませんよ。ほら、私皇位継承第2位ですから」
立派な帝室関係者です、と言われてもそうですねとしか言いようがない。
初対面にも等しい人と、と言うべきか。そういうことを考えたことありませんとでも言うべきか。
でも、とふとジークフリードの言葉をもう少し本気で考えてみて眉を顰めれば、人を見ることに長けた人は見過ごしてはくれなかったらしい。
「私ではご不満ですか?」
「いえ、そういうのではなくて……貴族の方からされたら政略結婚というのは疑問すらない当たり前のことかもしれないのですけれど」
「ああ、そういうことですか」
「はい。ジークフリード様は嫌ですとかではないのです、本当に。ただ私はジークフリード様というかたを良く知らないので。結婚と言われても」
ピンとこないのだ。
だって少なくともアリアの考え方では結婚とは愛し合った者たちが将来を誓って行うものだから。
だからもう、本音をぶちまけてしまうのであるならば。
「クリストフ様とだって考えたこと、なかったんです」
なにせ相手は王族である。高根の花なんて言葉すら足りない文字通り別世界の人のようなものだ。
そんな人と結婚なんて文字通り考えたことすらない。
それをよりにもよって発言権すらないような場所で勝手に婚約をぶちあげられるなんて。
「しかも伯爵令嬢であるクリスティーナとの婚約破棄も合わせて、と。なるほどそれはさぞ驚かれた事でしょう」
「正直逆上したクリスティーナ様に殺されるかな、まで考えました」
あんな大衆の場で婚約破棄なんて面子を潰されては怒るなというのが無理な話である。
将来的な不敬とかよりも何よりもあの場で命の危機を感じるのは当然だろう。
幸いなことにいまもアリアの首は繋がっているが。
「どうも思っていた以上にあちらの次期国王は頭が残念なようですね」
にっこり穏やかな雰囲気だから誤魔化されそうになるが、言っていることはまったくもって容赦がない。
むしろこれだけ容赦ないことを言っているのに誤魔化されそうになるあたりジークフリードという男の纏う雰囲気が恐ろしくもある。
全く警戒させないくせに懐に刃物を隠すことなく堂々と持っているようなものではないのだろうか。
「まあそれはさておくとして。ではアリア嬢は特別私との結婚が嫌というわけでもない、と」
「それはまあ……嫌という程ジークフリード様を嫌う理由もありませんし」
「それは良かった。ではここからは私の努力次第ということですね」
そうですね、と返そうとして首を傾げる。
その言い方ではまるでこれから努力をしようと言っているようなものであるが、主語はアリアとの結婚である。
それらをまとめると、つまり。
「え、私と結婚できるように努力するって聞こえたのですが」
「そう言いましたよ?」
「いえ、おかしいですよね?どうしてわざわざ努力までされるのです?」
「結婚を申し込むのですから当然では?」
なるほど確かにおかしくはないが、そもそも大前提がおかしい。
どうしてアリアとそこまで結婚したがるというのか。
「あ、帝室への確保という意味ですか!」
そういえば帝室に招き入れるわかりやすい手段として婚姻と言われたばかりだ。
さすがに第1皇位継承者との結婚の話しがそんなポンポン出るはずもないから、その次となると。
と考えたけれどいやいやと再度心の内で首を振る。
1位には劣るとはいえ2位とて決してそんな容易に切れる手札ではないだろう。
「良く知りませんが第2継承権をお持ちでしたら婚姻話などいくつもおありでしょう!?」
「まあ、それなりにはありますね。でもご安心ください」
「はい?」
「今のところ私の好きにしてよいと陛下からも皇太子殿下からもお言葉を頂いていますから」
なるほど。そうではない。
結婚相手は好きにしたらいいと言われたとしてもどうしてそれがアリアとという話になるのか。
「まあ理由は大きく上げると2つですね。1つはあのクリスティーナがあれほど気に入った方という事」
「珍しいんですか?」
「それはもう。あの子の観察眼を私は信じていますしね」
「もう一つはなんでしょうか」
「……笑いません?」
「人の言葉を理由もなく笑うのは失礼だと思っています」
「それはよかった。実は一目惚れをしまして」
「……………」
にっこりとそれは綺麗な笑顔で告げられた言葉をどこまで信じていいのだろう。
そもそもこれはそのまま信じていい言葉なのだろうか。
嘘だというのであれば悪趣味なと思う。
事実だというのであれば、こんな平凡な顔をした、しかも庶民のどこに。
いや、それよりもと気づいてしまって血の気が引くのを感じた。
アリアにはアリアの主張がある、とは言いたいが事実としてアリアは現状ファリス王国の王子を誑かし伯爵令嬢との婚約を破棄させた女である。
それが隣国に逃げたと思えば今度は隣国の第2皇位継承権持ちの男が一目ぼれしたというのだ。
「私、酷い悪女じゃないですか!?」
「ああ。そういえば、地位を持つ男を誑かす立派な悪女と言えなくもないですね」
わたしを誑かしてくださいますか?なんて笑顔で言われて。
いったいジークフリードという男はアリアのどんな反応を期待しているのだろうか。
混乱した頭の片隅でそんなことを考えるしかできなかった。