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ミナミヘ ススメ  作者: 楠本 茶茶(クスモト サティ)
第1章 新種
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 5節 発見

5節  発見


 掘削した氷のコア(サンプル)は、きちんと番号をつけ、整理してから専用のケースで保存しておくのがルールである。深さは約3750mにあったこの氷から最上層にあった雪にいたるまで、すべては貴重なサンプルであった。ここが南極であることを考えてその価値を金銭に換算すると、軽く100億円を突破する金額に及んでいる。現に2012年にはボストーク湖をロシアの研究者グループが、2013年にはウィランズ湖を欧米の研究者グループが掘削を行い、それぞれが多数の新種のバクテリアを発見している。しかし本当にバクテリアだけだったのだろうか。実際にいなかったのかも知れないし、たまたま発見できなかったり見落とした可能性もある。また氷下水脈で他の湖とつながっている可能性も否定はできない。


 ミナミとススメはイザナミ湖の水を遠隔操作リモートコントロールでサンプルびんに入れ、慎重に地上に回収した。作業を始めてから2日もかけたほどの大事業だった。もちろんすべての器具は殺菌済みのものを用いるなど、せっかくのイザナミ湖の水を既存の生物で汚染してしまわないように細心の注意を払った。

 サンプルの一部はその場で顕微鏡の試料にして、雪上車の中で検鏡した。なにやらはある気配はあったが、実態としてはよく解らなかった。結局基地できちんと調べるしかないと考えていた。


『ミナミさんススメさん、こんを詰めすぎですよ、お昼にしましょう』

そう声を掛けて来たのは矢田隊員だった。


「ああ、ありがとうございます。なんせ夢にまで出てきたので、つい」

ミナミは答えた。ススメは苦笑いしている。


 今日は金曜日、だからランチは、氷上車の脇で炊いた米にレトルトカレーを掛けたもの、缶詰のコーンに出汁?油とマヨネーズを掛けたものだった。デザートは乾燥イチゴにホワイトチョコレートをコーティングしたもので、なかなかの絶品である。

 

「いやぁ、さすがに目が疲れたよ」

ススメはミナミに話し掛けた。

「ふふふ、歳じゃないの、あたしはまだまだ平気よ、若いから」

「だな… まあちょっと休憩しよ」

「そだね、先は長いし、無理はしない。ちょっと横になる?  あっ!」

「すでになってるさ、ダイジョブ」

二人は笑った。周りもつられて笑った。


 かれこれ静寂の約15分ほどが過ぎたところで、ススメが起きあがり、再び雪上車の中の顕微鏡に向かおうとした。その背にミナミが話しかけた。

「ねぇススメ… アタシ思ってたんだけどね」

「ああ… 何を?」

「イザナミ湖は外気に触れてないでしょ?」

「ああ、今まで数千万年はね… そりゃ確実だな」

「だからさ、死んじゃうよね、ここじゃ…」

「そ、そっか、至極しごくもっともだな」

「でしょ? 酸素って大敵だから」

「ああ… 顕微鏡で見えたとしても、酸素にヤラレタしかばねばかりになるかも… なるほどな」

「生物がいたとしても、発見した時には死んでるってこと… それじゃ意味がないわ」

「だな… 取り出すのに二日かけてるし… ロシアチームとかその辺の酸素対策してたのかな?」

「たぶんそこまでしてないんじゃない? アタシは《してない》に一票」

「発見できたのは、実は酸素に強いやつだけだったとか… なるほどな」

「だから… 湖水を完全な無酸素状態で取り出したくない?」

「でももう穴開けちゃったよ… でも… そうだ、窒素で封じておけばいいか、今更ながらでもさ」

「ああ、ナイスアイデア! さすがススメね。でも… ある?」

「今回はガスクロ用に持ってきたはずだ。あれを穴にブチマケるとか、できないかな?』

「あとサンプル瓶の中もね… 酸素は猛毒なんだもん、嫌気けんき生物には」

「そしてもう一度サンプル取り直しだな… あ、でもね、ミナミ」

「なになに?」

「このサンプルもさ、せっかく採取したからちゃんと保存しよう。何日か置いてみて、もしかして」

「もしかして?」

「もしかして酸素に適合していた生物だってさ、 だろ? だって可能性は…」


「『ゼロではない』」

2人の声が重なった。

「うん、居るかもね」

「だろ?」

「ええ」


 いつしか周りの隊員も起きだして、興奮気味の2人の会話に耳を傾けていた。

『なるほど、窒素ボンベありますよ、ガスクロ用に5本』

細田隊員が嬉しそうな声で補足した。

『な~に、ガスクロに支障がでるなら液クロがある。心配無いっす』

ここで今日のチームのチーフが言った。

『それで行こう。イザナミ湖の保全もサンプル採取も重要案件だ。私が許可を出す』

「ありがとうございます、さすがチーフ」

ススメとミナミが同時に答えた。

息の合った返答に、その場の全員が笑った。


『よし、今から無線で応援を呼ぶ。ヘリでボンベ持って来い…ってな。計画は5日延長、みんな良いかな?』

『おおおおっ』

氷原に拍手が起こった。しかし響きはしなかった。見渡す限りの氷原に音を反射する物体がないのだ。代わりに、強い風が服をかすめる音が冷たく響いた。


「よかったね、ミナミ」

周囲を気にして、小さな声でススメがささやいた。

「嬉しいね、ススメ」

応えたミナミの頬を液体が伝い、それがその場で2条の氷になった。


 ちなみに、ガスクロとはガスクロマトグラフィーという名の物質分析装置の略称である。試料を気化させて窒素ガスなどのような気体とともに「カラム」という粉体の中を通すと、物質の性質に物理的・化学的性質に応じて通過速度に差が出ることを応用して、物質を種類ごとに分別する装置だ。同様に液クロは液体クロマトグラフィーの略称である。こちらは試料を酢酸エチルなどの有機溶媒に溶かし、やはり「カラム」に通して物質を分別する装置である。例えて言うなら、どちらも運動会の障害物競走のような仕組みの機械であると言えるだろう。数人の走者(混合物:試料に相当する)が網目や跳び箱などの障害物(カラムに相当する)を越えて走ると、体格や走力によって通過時間に差が出て1位から順位が決まっていくような仕組みだと思ってもらえれば良い。


 あの日から2週間ほど経った。ミナミとススメは昭和基地で相変わらずの研究生活を送っていた。イザナミ湖の湖水からは予期したような生物も予想もしなかったような生物も発見されていた。おそらくはあのイザナミ湖の酸素がほぼない環境で独自の生活様式を持ち、適応してきた生物… それは細菌や古細菌の、特殊で固有な生物たちの博覧会のようだった。そうした新発見やら観察、分析やらレポートに追われて、あの試料は半ば忘れられていた。


 そう、外気に曝露ばくろされ、酸素の厳しい洗礼を受けてしまった「あの試料」である。


 南極は「氷の大陸」とも呼ばれることがある。大陸の定義は「オーストラリアよりも大きい陸塊」であるから、南極は相当大きいことになる。そしてその大部分は、今は雪やら氷やらに覆われている。


 今は? そう…今は。

 

 かつての気候はもっと温暖で植物が茂り、恐竜さえ住んでいた。これはUSO(うそ)ではない。ちゃんと恐竜の化石が出てくるのだから、明らかな事実として受け止めていただきたい。

 さらに… 信じ難いことかもしれないが、2億年ほど前の中生代ジュラ紀あたりまでは、南極の地面はオーストラリア、南北アメリカ、南アフリカにインド亜大陸にもじかに接していたのである。

 

 長い年月をかけて… 46億歳と言われる地球の年齢からみればたいした年月ではないが… マントルの対流などの力で地球の表面を支えるやや重い海洋プレートの位置がズレて、大陸を支えるやや軽いプレートの下に潜り込む運動の結果、超巨大パンゲア大陸が幾つかに割れて移動したのだ。

 アフリカ東海岸と南アメリカ西海岸に海岸線が相似しているのにウェゲナーという学者が気付いたのがきっかけとなって、「大陸移動説」という仮説が唱えられた。当時はあくまでも仮説である。

 

 しかし今では各地の海岸線の相似だけではなく、氷河の痕跡やある種の動物化石、カタツムリや走鳥類|(ダチョウ、ヒクイドリ、レア、エミュー、キウイなど飛べない鳥の仲間)の分布、バオバブの木の分布などからこの仮説が真実であると認識されている。


 このころには南極はまだまだ温暖な気候であり、当然酸素も豊富だった。当然ボストーク湖もイザナミ湖もあるはずはなく、ごく普通の陸地を湖水と河川が… そして当時の普通の生き物がそのあたりを占めていたに違いない。

 しかし中生代白亜紀後期頃にはそれぞれの大陸と別れ、しかも局方面の寒冷地に移動して徐々に雪と氷を頂く極地になっていったようだ。だから…

 

 あのときミナミとススメが考えたのは、イザナミ湖のどこかに「その頃の生物が生き残っている可能性」だった。しかし今は… 現実にあまり目立たない細菌や古細菌という分野であってさえも、多くの新種発見という場面に出くわせば、目の前の仕事に忙殺され、いつしか忘れていくものだ。


 現に… ミナミが久しぶりにあの試料を手にしたのは、ある意味偶然…というか、サンプル番号を間違えて試料を持ち出したことがきっかけだった。1℃に保たれた部屋から取り出すはずの試料番号はIZ-FU1301Aであったが、ミナミが実際に手にしたのはIZ-FUB01Aであった。

 そしてそのIZ-FUB01A とは一度は外気に触れてしまったために、もう役には立たないだろうと思われながらも、もしかして…という淡い期待だけで手元に残された試料だった。

 

 検鏡の寸前、ミナミは過ちに気付いた。


 やだ、アタシってやっぱりドジだなぁ… まあいいや、久しぶりだし… 

半ば呆れつつも以前の経過を思い出して、ミナミはススメを電話で呼び、一緒に検鏡することにしたのだった。


 ススメがやってきた。サンプル瓶を一目見るなりミナミに訊ねた。

「ミナミ、この黒いのな~に?」

「黒いの? えっそれ何? あ、ホントだ、なんだろ… 入ってるね」

「じゃ、はじめから?」

「もち…」

「いったい何なんだ?」

「そんな、石とか砂とか入るワケ無いでしょ」

それはそうだ。イザナミ湖の掘削現場あたりには一面の氷原しかない。石や砂など希少すぎる。

でもたしかにIZ-FUB01A のサンプル瓶の底には小さな黒い塊が沈んでいた。


「あっ、だとしたら…」

「…だよね、隕石… とびきりちっちゃいヤツ… 燃え残り」

「だな…」


 さすがはこの二人、南極の事情を熟知している。実は… 他の大地に比べ、南極というところで隕石を発見する難易度はさほど高くはない。確かに行くのは大変だが…

その理由はなかなか興味深い。


 氷原に落下した小さな隕石は、落下の衝撃と摩擦熱で氷原にめり込む。この隕石を抱えた氷原は、重力に従い氷河となって徐々に下方へ移動する。移動した先に山脈にあると、後ろから押された氷原はふもとに沿って反り上がる。そこに南極特有の「カタバ風」がブリザードのように吹きつけると、氷は削られていくのに隕石は削られないので地上に露出して残るという理由らしい。昭和基地に比較的近い「やまと山脈」はちょうどこうした立地であり、「やまと隕石」という名前が付くほど大量で良質な隕石が採取されてきたという経緯があった。


 2010年の時点でこうして採取された南極隕石の総数はなんと4万8000個を数えたという。これは人類が所持する全隕石のうちの約70%を占めていたことになる。ちなみに日本が保有していた南極隕石は約1万7000個である。

 さらに見つけた隕石はたいてい極寒かつ不毛な氷原中にあって「生物汚染(地球に棲む生物が触れたり棲んだりすること)」や人工物による汚染が僅かであり、風化もしにくかったという希少性もある。


「さ、見てみるか、ミナミ」

「うん」


 しかし… というより案の定というべきだろうか、特に変わったものを見つけることはできなかった。それどころか、見つかるのは既に見つけてある嫌気的(酸素がキライな)細菌の死骸と思われる物体がブラウン運動しているものばかり…

 10分ほど顕微鏡をにらんだところで、ミナミは強烈な眠気に襲われてきた。ふとみればススメも首がぐらぐらと揺れ、すでに夢の世界にあるようだ。おそらく何も居やしないし、さっきお昼ご飯食べ過ぎたからな、だからサンプルも間違えたんだよ… もうダメ、ちょっと眠ろう… と思う間もなく…


 あああ、何分か眠ってしまったみたい。ミナミは目覚めた後に、今寝ていたことをようやく悟った。


 伸びをしてからむくりと首をもたげ、そっと顕微鏡を覗くなり息を飲み、目をそっとこすり息を大きく吸い込み、再び食い入るように覗いたと思ったら… 動かなくなった。しかし眠ったのではない。

 

 ミナミの左手が静かに動くとススメの腿をそっとつねって目を覚まさせた。怪訝そうに起き上がるススメにむかってそっとクチビルに手を当てて沈黙を命じながら、自らの顕微鏡を覗くように手真似で促した。

 

 ススメはそっと顕微鏡を覗くなり息を飲み、目をそっとこすり息を大きく吸い込み、再び食い入るように覗いたと思ったら… 動かなくなった。その様子を見て、ようやくミナミに微笑む余裕が生まれたようだ。ススメはようやく顕微鏡から目を離し、ミナミを見ながら興奮を抑えて静かに言った。


「さすがはヨメ殿だ。新種だな… 間違いない」


 ミナミは笑って肯いたが、答えなかった。正確には嗚咽をこらえたあまり、声が出なかったようだ。

ミナミの頬の2筋の液体を、ススメは「美しい」と思った。


 二人が見たものは… 先ほど検鏡したときには影も見えなかった「何か」生命のようなものだった。しかもそれは大型であり、少なくとも今まで見たこともない形で、表面の膜をコウイカのように動かしながら泳ぎ漂っていた。


 ススメがピントをもっと合わせようとしたとき、顕微鏡本体がガタっと動いた。再び覗いたとき、先ほどの生命体はどこにも見えなかった。急いで視野の周辺を見ても居なかった。ススメはミナミに

「大変だ、居なくなってる」

と声を掛けた。ミナミが見ても、やはり居なかった。


「大失敗だ、写真撮れば良かったな」

「きっと揺れたからだよ、ちょっと待ってみよう。さっきもね、目覚めてから覗いたら… 居たの」

「そうだな。その間にカメラ… いや動画撮影の準備をしとくか」

ススメも賛成した。そしてテキパキと撮影の支度を始めた。


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