3節 観測隊
3節 観測隊
日本の南極観測隊と一口に言っても、かつては「みずほ基地」、「あすか基地」、「ドームふじ基地」、そして最もよく知られている「昭和基地」という4つの基地を持っていた。しかし観測の無人化と合理化もあって、つい3年ほど前に「みずほ基地」と「あすか基地」は閉鎖され、その代わりに昭和基地の敷地と建屋を増やし設備も入れ替えてリニューアルを遂げ、正式な名前も「新昭和基地」に改称している。しかし隊員はなぜかこの名称を喜ばず、やがり「昭和基地」と呼びたがり、一向に改まる気配がない。これからの物語の中で「昭和基地」と呼ぶのは、実はこの「新昭和基地」であることを、あらかじめご理解願いたい。
南極地域観測隊のうち、越冬しない部隊は「夏隊」、越冬する隊は「冬隊」と呼ばれる。 冬隊は1年4カ月に渡って「旧昭和基地」、または「ドームふじ基地観測拠点」で生活をしながら観測を行っていたものである。もともとススメたちは「冬隊」の一員として初めて出会い、似たような分野で研究を行ってきたのだ。それが気の合うヒトであったなら、恋のひとつや二つ、生まれても不思議ではあるまい。
船が来た時以外は隔絶された地になるために、無くて不自由なものは自分たちで何とかするのだ。例えば散髪は、その技能を持った隊員がいなければ相互に行うこともある。
日本出発前にささいな病気もない健康体であること、あっても治療しておくことが前提になっていたし、南極まで行くとあまりの寒さに環境中に病原菌やウイルスがいないために「風邪をひかない」ものだが、医療担当の隊員は居る。ただし昭和基地では妊娠・出産等が考慮されず、関連の設備も一切用意されていないことから、女性隊員は砕氷船乗船前に妊娠検査を受ける必要があり、妊娠が確実ならば帰国しなければならない。 基本的に夫婦での参加は認められないが、南戸夫妻の研究分野で他に代わる人がいないこと、「夏隊」に限定すること、「特殊な誓約書」を率先して提出したことによって、例外的に参加が認められたのだ。
昭和基地内のバス・トイレは共同だが、隊員一人約13平方メートル(約4畳)程度の床暖房付きの部屋1つが割り振られている。食事は調理師免許を持つ隊員の指導に従い。隊員が交代で作る。食材は基本冷凍もので、穀物3.5トン、肉類5トン、魚介類4.5トン、野菜8トン、乾物1トン、牛乳1.4トン、加工食品1.2トン、調味料2トン、菓子類1トン、その他酒類などの嗜好品も1年余の必要分をすべて持っていくのだ。もし忘れたら…エライこっちゃである。
メニューは調理担当がリクエストなども参考にして決めるが、金曜日のランチだけは「カレー」と決まっている。これは古くは大日本帝国海軍、現代の海上自衛隊に倣い、曜日感覚を失くさないための工夫であるのだろう。近年は冷凍技術の進歩により、食材は大部豊かになったが、それでも発電機の余熱を利用した野菜栽培室があるという。ただし生物的汚染を防止するために土を持ち込むことができないので、キュウリ、オオバ(シソ)、レタス、ミントなどのハーブなど野菜は種の状態で持ち込まれ、水耕またはマット等の上で栽培されている。そうしてでも、生野菜というものを人間は欲する生物なのだ。
娯楽の一環として氷を溝状に削って水を流し、「流しそうめん」を工夫したり、当番制でバーテンダーを務めながら「バー」を営業することもある。隊員のなかには防寒のためも兼ねて髭をはやしている者や、日本で髪を丸刈りにしておき帰国まで散髪を行わない者もいる。
隊員といってもその経歴は様々である。国立極地研究所の所員もいるし、観測レーダーの保守(電機メーカー)、車輛(自動車メーカー)、医療(医者)、機械設備(建設)、気象(気象庁)など様々な分野のスペシャリストが志願したり出向したりして編成されているのだ。こういった慣習は旧も新も同様に、ある意味伝統として連綿と受け継がれている。
万一罪を犯すと、領有権を凍結している南緯60度以南においては、その人間を派遣した国に裁判権がある事を「南極条約」で定めている。つまり日本人なら日本の法律で裁かれるのだ。
「南極条約」とは1961年6月23日に、互いの「南極の軍事的利用の禁止と科学的調査の自由および国際協力を定めた」条約である。締結国は日本を始め、アメリカ合衆国・イギリス・フランス・ソビエト連邦(現ロシア)・アルゼンチン・オーストラリア・ベルギー・チリ・ニュージーランド・ノルウェー・南アフリカの12カ国。また対象地域は南極大陸(全ての氷棚を含む南緯60度以南の地域)である。
その趣旨は、
南極地域の平和的利用(軍事的利用の禁止)
科学的調査の自由と国際協力
南極地域における領土主権、請求権の凍結
核爆発、放射性廃棄物の処分の禁止
条約の遵守を確保するための監視員の設置
南極地域に関する共通の利害関係のある事項についての協議の実施
条約の原則および目的を促進するための措置を立案する会合の開催
であり、いわば互いの領有宣言や国境設置、資源の開発などで摩擦を生じないようにするために必要な処置だった。
またこれに追随する形で、1972年に「アザラシの保存に関する条約」、1980年に「南極の海洋生物資源の保存に関する条約」、1991年に「環境保護に関する南極条約議定書」等が採択され、かの地の自然の保全にも注意が払われるようになってきた。いわば世界の共有地的な色合いが濃い土地であるが、未だに領有権を宣言している国も無いワケではない。それがイギリス、オーストラリア、ニュージーランド、フランス、ノルウェー、アルゼンチン、チリの7カ国である。やたらとガメツイあの国とあの国が宣言していないなんて… まるで御伽噺のようだ。まあ、有望な資源でも見つかればそのうち歴史は繰り返すだろうが…
ちなみに南極観測のための基地をもっているのは、日本および上記7カ国の他にフィンランド、ウクライナ、イタリア、インド、スペイン、ドイツ、中華人民共和国、パキスタン、ルーマニア、ペルー、チェコ、ベラルーシ、ブルガリア、ベルギー、南アフリカ、大韓民国、ウルグアイ、ブラジル、アメリカ、ロシア、ポーランドである。ちょっと意外な国もいくつかあったり、上記の南極条約締結国ともやや異なる構成だったりしてなかなか興味深い。
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