28節 管制
28節 管制
カナタとセイラ、そしてアンナとばぁば4人で手を繋いでいた。その身体ごとサラドンとの討議の場を提供していたのである。いちいちサラドンの多細胞体に変化してお互いのコトバで説明するより、サラドンを通じて、まるでテレパシーのように「通じ合う」「感じ合う」方がよほど速いし、理解も深い。
今彼らが分析しているのは、シェニー以下の代表団各員と鷺坂の体内にあったサラドンとの話の突き合わせである。先ほどの協定を結ぶ際にみんなで握手を交わしたそのときに、手首から身を乗り出したお互いのサラドンの一部ずつを交換してきたのだ。なに、人間にはちょっと汗をかいたかな…くらいの触感しかない残らないのでバレる気遣いはない。
彼らの「感じ合う」ココロの会話のほんの一部を再現してみよう。念のために登場するサラドンたちを紹介すると、タチャン、ラチャン、ナチャン、バチャン、他に某国代表団の7人に憑いてきたサラドン7体である。
「代表団は8人だったな… 1体少ないな」
「ああ、ひとりは感染してなくてね。でもシェニーと一緒に亡命するって」
「スリーパーじゃないのか?」
「ダイジョウブ、たぶん」
「今度誰か感染してみろよ。D-アミノ酸入りのメシと一緒に行けば入れるだろ」
「なんせそのルイってヤツは潔癖でね、今まで入り込む隙がなかったんだよ」
「わかったわかった。さて、代表団の中で操りきれなかった奴はいたか」
「だいじょうぶ、ルイ以外はね」
「まかせといて」
「心配ないって」
「じゃ、心の底では反対の奴はいるかい?」
「ははは、そういう考え起こすたびに手酷い頭痛をプレゼントしたから… もうほぼ条件反射」
「じゃあ、今回の協定はほぼ本心と考えても良いか」
「うん、大丈夫」
これは共通した答えだった。
「亡命についてはどう?」
「他に家族と自分と両方助かる道はないって、本心から思ってるさ。心配ないよ」
「某国にしちゃ珍しく本音で語ってるんだよ、今回は」
「いつもはヒドイひねくれようらしいよ、ばぁばの脳内DB(データベース:記憶)によると…」
「まあまあ… じゃ次はさ、亡命がうまくいったとして次に何を要求してくるかな」
「シェニーはね、日本でピルクと暮らしたいって… そんなに良いかね、あの女」
「え、じゃぁピルクとはちょっと違いうみたいだよ」
「ピルクには好きな男がいるってさ」
「えっ? そいつがもしかして代表団の命を狙う可能性があるかもって」
「どうするのかしら、そのビートってヤツ」
「それがね、ビートにも感染できてなくて… 頑張ったんだけどなかなか潔癖でさ」
「私もトライしたけど、サバイバルの達人みたいで綺麗好き、隙がなかったよ」
「ねぇ、ビートと相棒がさ、もしも代表団を消すとしたらどうするだろうね」
「ああ、カナタのDBによると…可能性はあるね。移動はヘリか、それとも人は来ないでミサイルかな」
「ばぁばのDBだと… ミサイルの強力な赤外線は衛星から追尾されてバレバレだから、多分ヘリだな」
「だとしたら、みんなが危ないよ…この基地のレーダーでしっかり監視してもらわなくちゃ」
これはラチャンである。心配性なところはセイラそっくりだ。
「それに… アタシはそのルイってヤツをまだ信じられないな… 念を入れた方がいいよ」
「な~に、もともとオレに媚びてたヤツだし、ためらいもなく賛成してたから心配ないさ」
シェニーに憑いていたサラドンがそう言って保証した。
こうしてサラドンの会話を黙ってココロで聞くだけでも大きな収穫があった。
手だけを繋いでいでいれば良いのに… いつしかカナタの手はセイラの腿の上に置かれ、セイラはカナタの肩にもたれてうっとりした表情を浮かべていた。
「しかたないねえ」
ばぁばの目にはそれが眩しく映ったが、当面両親には黙っていることにした。いまのところすべて順調に動いているのだ。わざわざ禍の漣を立てることもあるまい。
翌朝…
新昭和基地のレーダーに反応があった。高度はおよそ300m、速度は時速約150km前後で、しかもときどき低空飛行になっているようだ。中型のヘリと思われる反応が某国の船の方角からこちらにやってきているという。三谷は即刻サイレンを鳴らし、緊急呼集を掛けて警戒態勢を命じ、フル武装でレーダースコープを注視させていた。この日レーダーの感度が安定せず、ときに反応が大きくなったり小さくなったり、急に高度が低くなったりして担当隊員をいらだたせた。しかも…基地から10kmほど離れたところで三度高度が下がり、動かなくなったのである。それから30秒ほど経って、基地が揺れた…と同時にヘリのやってきた方角から衝撃波とやや遅れたドーンというまるで雷のような大音響が届いた。
「墜ちた…かな」
「…のようですね」
「捜索して確認しなければなるまい」
「はい… 手のかかることです」
「止むを得まい」
もともと臨戦態勢だったので、支度は早かった。すぐに捜索ヘリが飛び立った。
こうして基地内の注意が墜落したと思われるヘリに向いた頃…
基地からワザと離れたところに駐機しておいたもう一機のヘリがローターを回し始めていた。言うまでもなく、昨日某国代表団が乗ってきたヘリである。
操縦士はもちろんルイ、傍らのリュックはなにやら蠢いており、女の子の泣き声が聞こえる。つい先ほど、ルイは朝食を終えてゆったりとくつろいでいた。そんなとき急に基地内に警戒態勢が発令され、基地全員の目が外にむいたため、逆に内部の代表団への監視がガラ空きになったのだ。ルイは即席の計画を立て、迷わず実行に移った。何のための警戒体勢か? それは母国のヘリによる基地の襲撃に違いあるまい… オレがこのヘリを手に帰れば、戦力大幅アップは間違いない。
まず無線のアンテナに繋がる同軸ケーブルを切り、アンテナを蹴り倒したのだ。こんな大事なときに、なんだこれは… だれがやったんだ… とあとから起こるであろう騒ぎで時間を稼ぐつもりだった。しかも昭和基地の通信能力を一時的にだがほぼゼロに… 大幅に削減することができる。こちらに注意を引き付けておいて、本当の目的は… できるなら子供の人質をとって、今後の闘いを有利に進めたい。基地の生活エリアに出向いてみると、運良くアンナがトイレから出て来たところだった。挨拶して通り過ぎてから不意に反転してアンナを襲い、粘着テープで口を塞ぎ手足を巻いての自由を奪うとすばやく毛布にくるみ、肩に担いでヘリまで駆けたのである。
ルイの上着の右横には隠しポケットが付いており、普段は覆いのついたファスナーで開かないようになっている。彼のような操縦士はこうしてスペアキーを身に着けているのが某国軍の標準だった。日本ではこんないい加減な管理は許されないが、これがスピード重視の某国流のやり方なのである。いざというときは鍵を受け取りに行く時間を惜しみ、即行動しろということで、大変実戦的なやり方である。もし兵士が勝手に飛んだりした場合は、もちろん即刻の処分が待っているので、よほどの自殺志願者が十年に一度くらい過ちを犯したりもしてきたが、某国軍はやり方を変えようとはしなかった。
ヘリコプターという乗り物は、その辺の乗用車のように急に始動したり発進(飛行)したりできない乗り物であるだけに、無駄な時間は極力省いているのだ。無論先日の武装解除のことも知っていながら、無視して保持し続けていたカギである。
この世で乗車前に「始業点検」をする方が何人いることだろうか。99%以上の日本人はドアを開け、そのままエンジン始動、暖機運転せずにも走り出すだろう。それだけ普段乗る車の信頼性が高いという証でもある。実はプロのトラッカーでさえほんの僅か、しかも会社の言いつけでしぶしぶやるケースがほとんどである。まあ万一不調だったなら、その辺に停めてゆっくり点検するなり、JAFを呼べば良いハナシだ、地上を走るクルマなら…
しかし… 飛行機やヘリの飛行中に万一のことが有った場合、「停まってゆっくり」考えたり処置したりするゆとりはない。絶望に泣きながらでも飛び続けるしかないので、諄いほどの点検を行うし、それが操縦士の心得でもある。
ただ例えばエンジン停止は墜落を意味するワケでもない。飛行機ならば滑空、ヘリならばオートローテーション(降りる竹トンボのように、落下によるローターの回転で揚力が生じる飛行)で高度の3倍は飛行できると言われている。その間に滑り込む適地を見出せたならば… という条件付きで助かることがあるかも知れない…
相当運が良ければ、だが…
以前にヘリの飛行のためにどれだけの準備が必要であるかについ触れた。ただ、今は急ぎの時である。ルイは命をコマ札に替えたつもりで、点検の9割方をフッ飛ばしてミクスチャーをフルリッチ(ガソリンを多めに含ませた混合気体を給気する状態)にセットし、フレアの声と共に鍵を右に回した。
スターターが作動してエンジンがうまい具合に掛かってくれた、クラッチを繋ぐとローターがゆっくりと回転を始める。ルイはアンナをリュックに詰め替え、呼吸ができるように毛布を少し寛げ、鼻の通気を確認した。ややエンジンが温まったところで、こちらにせまってくる人影を確認した。まだ300mはあるだろう。飛立つには少し暖機運転が足りなかったがもはや仕方がない。
燃料、油圧、回転数、ローターのピッチ等様々な諸元の確認を急いで済ませると、回転数とローターのピッチ角を上げてゆっくりと宙に上がっていく。
下では追いついた人間が誰かが何かを叫んでいるが、どうせ聞こえはしないし、内容は想像がつく。この期に及んで…
「ははは、待たないよ…」
拳銃をぶっ放されてもやむを得ない場面だが、相手はジャップだ、その気遣いはないだろう。
冷笑をのこして、ヘリは新昭和基地のヘリを追いかけるように飛び去って行った。
下で叫んでいたのはゲンジこと白旗隊員である。
「あ、今度はさっきのウチのヘリが危ない」
そう気付くと、基地に慌てて戻っていく。彼もなかなかの齢で、足取りは乱れていたが、仲間を案ずる一心で懸命に駆けていた。
くそっ、ここで白旗を上げてたまるもんか…
「隊長、困ったことになりました、どことも無線が通じません」
たしかにルイの仕業で基地の業務無線機能は絶たれていた。
「いま状況を調べている、これから修理にかかるところだ」
「隊長、雪上車を動員しましょう、あれならモービルアンテナが付いてます。レシーバーも付けてあるしアマチュア無線もできます」
「よし、雪上車1号車は事故現場へ即刻出動だ。基地との交信はいつもの2メータ(145メガヘルツの波長は約2m)のコールチャンネル(145.00MHz)、コールサインは8J1RL/(南極移動)の呼び出しで行う。2号車も出動準備を整え即刻ここで待機、当面本部とする。副長、衛星電話で《しれとこ》と連絡をとり、連絡周波数を指示、それとヘリ応援を要請せよ… おっと武装付きで要員も最大。おそらくアンナちゃんは人質にされている… 命が掛かっているんだ、どんな手段でも構わん、必ず取り返すとな」
「ラジャー」
「あとは…」
「隊長、さきほどのヘリとの連絡は?」
「今は無理だ。無線アンテナとケーブルをやられてる」
「ではアマチュア無線で呼びたいです」
「許可する、雪上車から非常通信でやってみろ」
「ラジャー」
日本側は誤解していた、某国ヘリは墜落などしてはいなかったのだ。もともと高度100フィート(約300)mと低空飛行とを繰り返し、決めたポイントの高度300mで時限信管を20秒にセットした爆弾を投下したあと高度を下げながら全速力で避退したのだ。これで爆発までに400mほどの距離をとることができた。衝撃波と爆風が過ぎた後で一旦着陸したに過ぎない。
しかしこれを日本側から見ればどう思えるだろうか。衝撃波と爆音を感じたと思ったら、ヘリの飛行の軌跡が消え、もし機影がレーダーで捉えられていたとしても《停まった点》にしか見えないはずだ。
「おれが隊長ならな、墜落したと思うだろうよ」
へりの中でそう嘯いているのはビートだった。
「そうすると今頃は警戒体勢と解いているころでしょうね」
と応じたのはラミーである。
「ふふ、それよりレーダーと送信スイッチは切ってあるだろうな」
「もちろんです。墜ちたヘリが電波を出すワケないですから」
「しばらくは電波管制状態(電波を送信できない状態)でいないと墜落偽装はできんからな」
「合点承知之助」
それで新昭和基地は見事に騙されたのである。
墜落を偽装して… そのあとどうするのか? ビートには明確な作戦があった。
基地からは確実に確認のヘリか雪上車が来る。そして… 確認するより前に、墜ちたと思って知らず気を抜き油断をしているだろう。どちらが来ても良い… そいつを地対地誘導式ミサイルで打ち抜く。本来歩兵が持つ対戦車兵器だが、そんなことはどっちでも良い、撃破することだけが目的だ。これでこれからの基地攻撃中に背後を襲われる心配はなくなるだろう。ちょっと心配なのは、《しれとこ》からの応急派兵だが、あのジャップどもはそこまで機敏に動けはしないだろうし、第一この作戦を読まれることもないだろう。バレる前にやっつければ良いだけの話だ。
さて… 電波管制状態のビートたちは得意気であったが、反面新昭和基地を飛び立ったルイとの連絡を、知らぬことながら自ら断ったことにもなる。爆音を聞いていたルイは、ヘリが遭難したかも知れないと推測し、懸命の飛行を続けていた。ルイのヘリは、飛行はできたが武装は昨日日本に接収されたままだった。もしもあったなら空中攻撃かミサイルかで基地に攻撃をかけるつもりだったのに… しかし無いものは無いのだ。こうなるとヘリ一機でできることは《カミカゼ》のような特別攻撃と言う名の自殺だけだ。それだけでは何にもなりはしない。ルイは諦めて《遭難機》の元へ向かったのだった。
ルイが操縦するヘリコプターの中、呼吸がラクになったせいかアンナがおとなしくなった。いつの間にか泣き止み、ルイの操縦を見ている。口の粘着テープのせいでまともに話すことはできないが、唸り声だけ出すことができた。ヘリは順調に飛行し、あっという間にビートたちの《遭難機》を見つけることができた。昭和基地からルイより先に飛び出したヘリがもっと上空で周回を続け、様子を窺っている。
なぜか…
一つには白旗隊員の連絡が間に合い、ヘリのアマチュア無線を通じてルイのヘリが後続した情報を得ていたからである。これは大きかった。もう一つは《墜落》し《爆発》したはずのヘリなのに、どう見ても爆発した様子がないからだ。破片が散らばっていることもなく、機体も正常に見える。しかし… 無線機で応答を呼び掛けても返信はなかった。
「おかしいな…」
「おかしいな…」
同様にルイも異状を感じていた。いちはやく着陸を決意し、着陸操作に移った。その様子をアンナがじっと見ていた、まるで操縦を覚えようとしているかのように熱心に。
一方ビートとラミーは戸惑っていた。電波管制状態を装っているため、受信はできても応答することはできない。今現れた日本の国籍マークを付けたヘリは想定内として、あの自国軍のヘリに乗るのはいったい誰なのだろう? 見極めるまでは下手に送信はできなかった。
本来の彼らの作戦は、墜落と見せかけておいて基地を油断させ、調査隊を派遣させ、戦力を削いでおいてから再び飛び立ち、不意を襲って代表団を、場合によっては基地ごと覆滅させようというものだったので、今だけは《死んだフリ》をすることが絶対に必要だったのだ。こうして応援ヘリが来た以上は黙って着陸させて破壊、または飛行不能にしておきたかった。獲物はまさに上空まで誘い出されたのである。着陸すれば対戦車迎撃用の有線誘導式地対地ミサイル等で破壊できる。某国軍はいまのところたった二人だけだ。
しかしノドから手が出る程ほしいはずのルイという応援戦力は、この場のこの作戦についてだけは不必要だった… どころか邪魔にしかならなかったのである。
この某国軍同士の巡り合わせが、あとで思わぬ結果を招くことになるとは、神ならぬ身では予知できなかった。
それを知らないルイは、友軍のヘリから50mほど離れたところに着陸しようとした。高度約5m… いよいよ最後の、もっともデリケートな着陸操作が要求されるところで、不意に手からサイクリックスティック《操縦桿》が引き離された。
「あっ! ああっ!」
アンナがリュックごとでんぐり返しで突進してきたのである。
今までおとなしくしていた… それが油断を誘っていた。ヘリは大きくバランスを崩し、ローターの一部が地の氷原を叩いた。あたりに氷が吹き飛び、ローターの先端が折れて周囲に散った。ヘリは右前から氷原に叩きつけられたが、幸い炎が上がることはなかった。ルイは操縦席から機外に放り出され、意識が途切れた。
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この下の画面からよろしくお願い致します。 楠本 茶茶