18節 同盟
18節 同盟
この夜、同盟が結ばれた。場所は301である。仲間になったのは、タチャン、ラチャン、ナチャンおよび南戸一家だ。
共通の敵がいるとそれに対抗する同盟が固く深くなるのは、ヒト同士の人間関係と変わらない。サラドンは一部の仲間を犠牲にする覚悟で、忍者作戦を支持してくれた。
「忍者作戦」のポイントを重複を恐れずにざっと繰り返しておこう。
・相手がサラドンの存在を知らないこと
・サラドンの思考誘導や言語誘導といった特殊能力を、相手に気付かれないうちに最大限利用すること
・普通なら勝てない交渉を、サラドンの力を借りて大幅縮小または計画中止の方向に誘導すること
…ということになる。
こちらの手の内を見せず、相手に気付かれぬように情報を集め、意表を突き、謀略で勝つ。そのつもりで作戦を立て、躊躇なく実行する。これがススメとカナタが構想した「忍者的戦術」なのだ。サラドンの隠密性こそ、この役目には相応しい…
だからこそ、サラドンの全面協力が無ければ全く意味の無い「ただの妄想」になってしまう。サラドン、キミ達の能力を最大に活かすことだけが、この南極の難局を救えるんだ。
たとえば… 次の数学のテストで満点取るぞ、おおう! と気勢を上げる。
実際は「普通」に毛の生えた程度の「おざなりの準備」でテストに臨み、14点で撃沈… それが普通だ。
ところがサラドンが居ればどうだろう。
①サラドンを天井裏に配置し、センセの問題作成を盗み見作戦
②サラドンを印刷室に配置し、印刷原稿のコピーを隠し撮りまたは一枚失敬作戦
③サラドンをコピー機に配置し、模範解答をコピーするとこを隠し撮り作戦
④サラドンに数学のセンセに感染してもらい、テスト問題…いや模範解答垂れ流し作戦
満点取っちゃうのはあくどすぎるだけでなく疑われもするから、得点はほどほどに抑えるとしても、とにかく作戦の幅というか、自由度が全く変わって来ることになる。
今回の実戦で、「たとえばサラドンに感染してもらって、マインドコントロールしやすくすること」だけでも大いに助かるだろう。仮に某国代表がメンツや地位に恋着せずに環境保護を最優先に考えてくれるならば… 召喚または帰国後の粛清の恐怖心を麻痺させたり忘れてもらえれば… 交渉しすくなることは誰しも納得できるだろう。
ススメは再度「自分の気持ちと作戦」をあらいざらいぶちまけた。どちらかと言えばサラドンの方に犠牲が多く出るかも知れない作戦だからだ。それを… 今回はサラドンから歩み寄ってくれたことを意識しての発言だった。
相手の意識と思考をコントロールしてほしいのだ…と。
それができるのは、サラドン、キミ達だけなんだ…と。
こういう話し方が自己愛が強いサラドンの性格を揺さぶったのかも知れない。つまり、褒められると嬉しくなっちゃう… 悪い言い方をすると「おだてに弱い」サラドンの性質にちょうど適合したのだろう。
ついでに思い切って、ミナミとススメがサラドンが感染していない事情も直接訊ねてみた。
意外な理由だった。オトナだったから感染しなかった… という理由ではなかったのだ。ただ話が専門的になってしまうこともあり、あとからわかってきた事実もあるので、それを加えてアバウトに書いておくことにしよう。
まだサラドンが発見されたばかりの頃。数千万年の間酸素のない世界に慣れ続けてきたサラドンにとって、酸素との闘いは非常に過酷だったらしい。大部分のサラドンが命を落とし、太古の記憶を手繰り出すのに成功したサラドンだけが生を保つことができたのだ。
酸素… それは恐ろしく有毒ではあるが、いったん手懐けたならば非常に有能なエネルギー調達のための酸化剤になる。ヒトなどの真核生物が持つ真核細胞のエネルギー調達を例にあげてみよう。
1個のグルコース(ブドウ糖)を酸素が無い《嫌気》状態で合成することができるATP(アデノシン3リン酸:細胞にとっていますぐ使えるエネルギー供給物質)は2個である。これはどの生物の細胞でも行うことができる「嫌気呼吸」とか「発酵」または「解糖」と呼ばれる系である。
ところが、同じ1個のグルコースを酸素がある《好気》状態で、真核細胞(核膜を持つ細胞。他にミトコンドリア、ゴルジ体などの細胞小器官を持つ)がミトコンドリアを用いて分解すれば、ATPは38個、つまりざっと20倍も多く合成できるのである。
このエネルギー交換を「両替」に例えると、こんな感じになるだろう。
細胞がブドウ糖を1個拾いました。このブドウ糖から採れるエネルギーを
無酸素町では 200円で買ってくれるそうです。
酸素有町では3800円で買ってくれるそうです。
さぁ、あなたはいくらでどちらに売ることになるだろう…
その答え、聞くだけ時間の無駄としか思えない。
たくさんのエネルギーを得ることができる… ということは、細胞が今までできなかったいろいろな活動を余裕を持って実証できることを意味する。貧乏で生きるのがやっとだったヒトが、カネが入り生活に余裕ができると様々な贅沢をはじめるのと同じようなものだ。
話が大いに逸れてしまった。
サラドンが発見されたころ… サラドンはまだ酸素との闘いと妥協の日々に明け暮れ、人類に感染する余裕などさらさらなかった。しかし、人類がいくら気を付けていても、何らかの形でサラドンに触れてしまうときがあった。ススメやミナミ、そして観測隊員という人類は、このころのサラドンタンパク質に対して抗体を作ってしまったのだ。このタンパク質はサラドンの生命の本質に繋がる機能を持つため、サラドンが生存していくのに絶対不可欠なものであり、しかも他に代わるべきものがないので今も受け継がれている。だからひとたびこのタンパク質に対して免疫を持ったヒトは、その後サラドンには感染しない状態、つまり免疫がある状態になるワケだ。
南極というところには8000万千年位前までは植物が茂り、恐竜さえ棲んでいた。サラドンの祖先も、当然その環境に慣れ、食ったり食われたりしながら生態系の一員になっていたはずだ。その後南極大陸は氷に覆われ、やがて生じたイザナミ湖は数千万年にわたって無酸素状態に近い環境を保ったため、サラドンは先祖帰り的な進化を遂げて現在まで命脈を保ってきたのだろう。
しかし採取されたサラドンが、昔のなじんでいた酸素にも慣れ、再びたくさんの「使えるエネルギー」を調達できるようになったとき… それは船上や実験室のフラスコの中で新しい変異が次々に起こってきた頃だろうか… あたかも5.4憶年ほど前の地上の生態系でおきた「カンブリア爆発」のようにさまざまに変異し、同時にヒト細胞への感染性を獲得したに違いない。
サラドンを認識した人類の免疫系の司令官であるヘルパーT細胞は、サラドンが新たに開発した「見せブラ的タンパク質」にまんまと騙され、この「見せブラ的タンパク質」を攻撃してしまうように仕組まれていた。その隙を突き、本来の感染幇助タンパクを用いてサラドンは人体に感染するのである。
つまり、ススメやミナミのヘルパーT細胞は「絶対必要タンパク質」を目標に攻撃してくるからサラドンが感染できないのに対し、南戸家の子供たちや一般人のヘルパーT細胞は「見せブラ的タンパク質」を攻撃してしまうから、「絶対必要タンパク質」は攻撃されず、サラドンが感染できるのである。
ちなみに「見せブラ」は例えである。ブラジャー姿など本来他人に見せたくないようなものだろうが、敢えて見えるように見せるように着用する方々も居る。こうした「見せるため、目立つため」に着用するブラを「見せブラ」というらしい。サラドンの「見せブラ的タンパク質」とは、わざと目立ってヒトの免疫系をだますためのもの、という意味の例えとして使ってみたが… ううん…
しかし… 見たくもないヤツの見せブラというのは本気で腹が立つ。それはお色気ですらなく、単に公害であることをわかっていただきたいものだ。
さて… 作戦に掛かる前に、しっかり計画を練り、皆で1つの目標に向かえるように打ち合わせておく必要がある。
どの作戦も差し当たってはサラドンが相手に感染するところから始まる。
だからまず必要なのが、相手に近づき確実な感染を狙う方法…ということで、そこから研究を始めよう。
ススメはしばらくの間、このことばかり考えていたので、幾つかの方法を提案して可能性の可否を検討することにした。
しかし… まずおこなったことは、サラドンや家族の提案を聴くことだった。
押し付けてはみんなの意識が低くなる。これがリーダーとしての心構えだ。
「みんなはどうしたら良いと思う?」
ざっくばらんにぶちまけて話した上で、サラドンを相手体内に送り込み、某国代表団をコントロールする作戦を提案したのである。
そしてこの作戦の可否と成否について、率直に意見を聞いてみたかった。
まず口を開いたのはカナタである。カナタは普段あまりしゃべる方ではないが、緊張したり夢中になり過ぎると能弁が止まらなくなる。初めてこれを見るヒトはたいていビックリするクセである。
「僕は… この間提案したあの作戦を試してみるべきだと思う。まず時分時に呼んで食事をしてもらう。部屋はちょっと暖房効かせて、ちょっと暑いくらいに。デザートのスイーツには、生パインや生マンゴーをメニューに加える。なるべくゆっくり食べさせるように、パパには頑張ってもらうけどね…」
「ふむふむ… そして?」
「そしたら、イザナミ湖の水をかき氷にして、小倉あんと抹茶味でこれもゆっくり食べてもらう。サラドンたちには、この氷か白玉に紛れて潜んでもらうのが良いような気がする」
ここでセイラが口を挟んだ。
「ねぇ、サラドンの好物も配合して入れた方が増えやすいよ、きっと。あのD-なんとか酸… 」
「うん、グッアイデア! D-アミノ酸だな… サラドンに口から感染してもらうんだ」
「ああ… どうだろう。サラドン、できるよね? ふむ… できるってよ」
「でも飲み込まれちゃうリスクはあるね… だから強く言えないよ… 躊躇するな、オレは…」
「いやパパ、そのサラドンが良いって言ってるんだ。じつはね、さっきサラドンと一緒にね、自分の身体の仕組みの点検をしたんだよ」
「なるほど… カナタたちはなかなか準備が良いな… で、どこか良い入り口はあったかな?」
無論感染に都合の良い場所があるかを訊いてみているのだ。
「やはり皮膚は難しい… というか、たいてい角質が厚過ぎてほぼ無理… 皮膚が薄いとこか、汗腺か毛穴が密集してるとこから徐々に入るしかない。でもその間にバレちまう」
「しかしカナタ、おまえ笑顔だぞ」
「鋭いね、パパ… 実は… 生パイン食べてからゼリー状のサラドンを食べるとね…」
「そうだな、サラドンはゼリーみたいになれる特技があったっけな」
「あのね…カナタ、ラチャンは口の中が良いんじゃないかって言うのよ、どうかな?」
「そうなんだよ、タチャンも同じこと言ってたよ。フルーツの酵素で傷付いた口やノドの粘膜も感染に使える。さらにゼリー状になって張り付いてさ、ゆっくりミクロの大きさで溶けだしながら待ってると、エンドサイトーシスで細胞が勝手に取り込んでくれるのさ、粘膜から」
「そうサラドンが言ったのかい?」
「ああ、そうだよね、タチャン」
タチャンが上下に揺れた。これは肯いた… ということなのだろう…な。
そんな様子をミナミとばぁばが微笑んで眺めている。おそらく子供たちが話している間は黙って見ているつもりなのだろう。
「それにね、いったんそうやって細胞や組織に一部が取り込まれたら、サラドンは鎖みたいに繋がっていればほぼ全部まとめて取り込まれるんだってさ、ね」
タチャンがもう一度上下に揺れた。
よく熟した生パイナップルは果てしなく美味いものだが、食べ過ぎて舌ベロが痛くなった経験をお持ちではないだろうか。パイナップルやマンゴー、パパイヤなど南国系のフルーツには、タンパク質分解酵素が含んでいるものが多く、クチビルや舌ベロなどの粘膜を傷付けるのである。だからこれらの果物は、生のままゼリーに入れるとゼラチン(タンパク質の一種)が分解され、固まらずに失敗してしまう。固めたいなら一度加熱して酵素を失活させるか、寒天(アガロースという多糖類であり、タンパク質ではない)を使えば目的を達成できるだろう。
「サンキュ、タチャン… エンドサイトーシスとはね、参ったな… そんな言葉、いつの間に覚えた?」
「カエルの子は… やはりオタマジャクシでしょ…」
「ははは… だな… 感心したなぁ、もう」
「へっへっへ やった、褒められた、ひさしぶりに」
「ちょっと待て、カナタ。話を振り返ると、おまえら自分の身体で実験したんだな」
「他にある? 時間もないだろ?」
「あのね、アンナもやってみたんだよ、ねえナチャン」
ナチャンも上下に揺れている。見るからに楽しそうだ。
「へぇぇアンナも… ありがとう、すごいなぁ… うん、そっか… ありがとう、タチャンとカナタ、そしてナチャンにアンナ」
「な、タチャン… パパはそう言って褒めてくれるっていっただろ?」
「みんなでこうやって知恵と力を出し合えば、きっと勝てる… 守ってみせようぜ」
「アンナもガンバルよ、ねえぇナチャン」
「アタシもね、何か貢献するよ… お色気仕掛けで」
「ははは、セイラのお色気? へそでも出すか? 誰が引っかかるもんか」
「いちいち腹立つなぁ! カナタは… 言うだけは無税でしょ」
「もう、みんなで仲良く!」
アンナが割って入った。
「だな… 約束だよ、セイラそしてアンナ」
「「…だね、サラドン」」
期せずして兄妹3人の声が同じことを言っていた。
サラドンたちが一度二度と上下に揺れた。
少し遅れて、その場のみんなが拍手をプレゼントしてくれた。
「ねぇ、じゃみんなで指切りしよう」
言い出したのはセイラである。
「よっしゃ、みんな両手を出して、小指を立てて…」
「おう、しようぜ」
応じたのは意外にもカナタだった。
ゆびきり げんまん うそついたら はりせんぼん のます ゆびきった!
こうしてカナタが口火を切った戦術は、基本原案どおり、さらに工夫と改良を加えて採用されることになった。ススメの考えていた作戦も似たようなもので、とりたてて口を挟むこともなかった。
いや… 最後にもうひとつの重大な作戦がセイラから提案されたのである。それは言われてみればもっともであるし、「成功する」ためには必要不可欠なものかもしれなかった。
「なるほど… 確かに必要かもなぁ… だがミナミ、どう思う? そこまでやるかなぁ」
ススメの歯切れは悪かった。
「そうね… 難しいところね。でも確かにやらなきゃダメかもって思う。でも抵抗ないワケじゃない」
「…」
ちょっと長考に入ってしまったミナミとススメだった。
このムードを切り払ったのは、ばぁばだった。
「ススメさん… 抵抗あるのはわかるけどね。大切なのは何なのか。そこを忘れちゃダメよ」
「で… でも、さすがに…」
「何言ってるの? あの決意はどこ行ったの? 」
「し… しかしそれでは代表団の秩序が…」
「そう… じゃあ今のままでうまく行くんだね」
「それは… いや、それは無理というものです」
「ならば、結論は出たね。あとはススメ全権の決断だけよ… さぁ、きょうは解散」
「いや、待って… そのとおりです、義母さん。そこから始めましょう、万一のときは私が責任を取ります」
「ススメさん、一家でしょ、一家。南極を守るってことは人類や地球を守るってことに通じると思うよ。だったら、そのためになら、たとえ一家が潰れたってさ、アタシは構わないよ」
「そうよ、ススメ」
こう言いかけたのはミナミである。
「一家だよ。私たちも忘れないで、いいわね」
「ありがとう義母さん、ありがとうミナミ、ありがとうカナタ、セイラ、アンナ、タチャン、ラチャン、ナチャン」
ススメはもうあたり構わず、声を上げて泣き出していた。
それを見守るばぁばの右目が、少し震えていた。
そのばあぁばを見遣るミナミは
「ついにばぁばもか… とすると、ラチャンからかもね…」
やや複雑な想いを抱えていた。
まぁ、いいか… ばぁばが子供たちとの間に入ってくれれば、子供たちとの意思疎通にはむしろ好都合ではないか。
あ、そうだ!
ばぁばのサラドンにも名前を付けなくちゃ。ばぁばとバチャンでは紛らわしいかもしれない。
まぁ、いいや、あとあと… あとにしよう。
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この下の画面からよろしくお願い致します。 楠本 茶茶