15節 決裂
15節 決裂
「ねえススメ、大丈夫なの? あんな安請け合いして」
「安請け合い?」
「そうよ、D-アミノ酸の件」
「ああ、調べておいた。専門に作ってるところもあるし、価格もD-ロイシンなら25gで1万円くらいだった。」
「100kgだと… えっと400万円だよ、税別で」
「えっ… やべ、1ケタ間違えたかも」
「ちょっと…」
「このご時世、総額表示じゃないと… 404万円か… まあ、なんとかなるさ。今の優先事項はそれじゃない」
「ふふふ、それもそうね、ススメらしいわ」
「ちょっとさ、部屋でカナタと話してくる」
「ああ、忍者の件ね… いってらっしゃい」
「良い嫁どのを頂いたわ、オレ」
ススメはウインクしながら301を出た
そのまま便所へ行き、「big」を排泄しながら考えこんだ。ようやくお尻が冷えてきたころ、構想もまとまってきたようだ。さっきは勢いでああ言ったものの、実のところ具体的な作戦は一切できていなかったのだ。
303の部屋をノックすると、カナタが迎えてくれた。
「パパ、待ってたよ、ほらサラドンも」
「お、ありがと。これはこれは… お待たせを。こちらはタチャンさんかな」
「うん」
「さきほどはながながと…ありがとうございました。なぁカナタ」
「なに?」
「タチャンのチャンはフルネームなのか?」
「いや、ひとまとめでいい。タチャンさんて、どっかのサカナくんさんみたいじゃん」
「ああ、あのひとも「さん」は結局付けなくなったね… たしかにやっかいだ」
「それでいいね、タチャン… うん、いいってさ」
「サンキュ。ではタチャン、一緒に聞いてもらいたい。私の現段階での構想は… 」
カナタやタチャンにとってはもろもろの事情を理解することが難しいこともあって、実際の会話はながながと続いたが、ここでは会話要点だけをまとめておこう。
・交渉は人間がすること
・普通なら相手に勝てはしないが、サラドンの力があれば勝てるかもしれないこと
・相手はサラドンの存在を知らないこと
・サラドンの特殊能力を相手に気付かれないうちに生かしたいこと
こちらの手の内を見せず、相手に気付かれぬように情報を集め、意表を突き、謀略で勝つ。これが日本の伝統的忍者の戦術なのだ。サラドンの隠密性こそ、この役目には相応しい… 本当は巨大な戦略を構築してから個々の戦術を考案すべきだが、もともと巻き込まれた闘いであり、戦略的思案をしている暇などなかったのが残念だった。
こちらの事情をざっくばらんにぶちまけて話し、サラドンが体内に侵入することを前提に、寄生可能な生物らしい方法で相手を自在にコントロールする作戦を提案したのである。
そしてこの作戦の可否と成否について、率直に意見を聞いてみたかった。
カナタは繋いだ左手を見た。そこにタチャンが触れていた。タチャンはあまり乗り気ではなかった。
理由は、
①最初に皮膚から侵入するなら、物理的防御力と免疫力が強い大人への侵入が難しいこと。ただしいったん感染してしまえば、ゆっくりとであれば、角質の薄いところであれば出入口として使えること
②あえて侵入するなら、一度に大量に取り込まれるための生の傷口が必要であること
③脳の言語野のコントロールは困難… というか、まだ方法がわからないので、約束できないこと
…であると伝えてきていた。
①②は体内への侵入という最初の関門である。外交担当者に傷を付けるのは、相手国を傷つけるのと同じで、できることではない。それとわからないような傷を付け、そこに大量のサラドン細胞
を送り込むにはどうすれば良いか…
気付かれない外傷と言うと、口の中くらいしか思いつけなかった。かと言って小骨の多いサカナ料理というのも困る。
「そうだ…」
アイデアを出したのはカナタだった。
「リンゴを皮ごと齧らせればさ、半分くらいのヒトは歯茎から流血するんじゃないかな」
「カナタ、おまえは歯槽膿漏か?」
「まさか… ボクは若いから大丈夫。ひどいなぁ…ははは」
「しかし、なるほど…アイデアだな。粘膜からの侵入という手段もあるな。あ、それなら生のパインとかパパイヤとかを前後に食わせればよくないか」
「たしかに… パインやパパイヤって、タンパク質分解酵素持ってるんだよね、たしか」
「おお、よく知ってるな。だから長々しゃぶってると、粘膜がヤラレ、歯茎や舌が痛くなる、そこでサラドンの出番だ。カナタ、粘膜からの侵入はできるかどうか、聞いてみてくれないか?」
「ああ… どう? 口や鼻からの侵入は…? できそうだってさ。皮膚よりは確実にね」
「作戦としてできなくはないか。すると何かの口実を作って会食という手がある」
「うっほほう、そこでイザナミ湖の生水飲ませるとか、混ぜたプリンを食わせるとか…」
「なるほど、それなら取り込む機会があるな」
「でもサラドン… 仲間の大部分は相手に食われちまうんじゃないの? それでいいのか?」
しばらく黙っていたカナタがやがて答えた。
『いま返事は必要か、だってさ』
「いや、今はいい。でも早いうちがありがたい」
『そして、相手の意識をコントロールするには、体内で増殖して…2週間はかかるだろうって。あとそのD-なんとかが必要だろうってさ』
たしかに子供たちも徐々に乗り移られていったっけな…
「まず1回目は顔合わせと食事程度にするということか… 」
「ああでもね、南戸家の僕たちにはね、一緒に棲んでるだけで意識のコントロールはしてないってさ… 友達だから」
ううむ… 本当だろうか? しかし今は信じるしか道はない。
「それからね、言語野のコントロールはできるかわからないけどどうするって」
「…とすると、思考だな。思考のコントロ-ルというか、…誘導はできるのかい」
「そうだな… そうか、ある程度はできるらしいよ」
この様子を見ると、カナタとサラドンの会話に、コトバは必要とされていないようだ。もっと直感的な… 見てわかる、触ればわかる的なちょうどうまいところにタチャンが居座っている気がする。さっき出てきたあのタチャンを捉えてカナタから引き離しても、カナタの体内にはちゃんと別のタチャンが控えている気がしてならない。
「パパ、パパ…」
カナタに呼ばれてはっとした。
「どうしたの、急に反応なくなったから驚いたよ」
「ああ、ごめんごめん… 考え事しちゃってさ」
「それよりねパパ、タチャンの意見としてはね、この計画には今は乗れないなって。他のサラドンの話も聞かなくちゃってさ」
「おおっ… そうだよな、いやぁ、参ったけど… 無理やり説得してもしかたないか…」
それでも瞬時に思考を切り替えた。
「タチャン、相談に付き合ってくれてありがとう、煩わせて悪かったね… また今度はさ、こういう面倒抜きで遊ぼうか。子供たちのお友達だからキミ達のことは大切にさせていただくよ。今日はありがとうね」
タチャンはなにも言わず、ススメの顔を数秒眺めてからしわじわとカナタの体内に戻っていった。まるで汗が出るのを逆再生しているみたいな様子から、今の彼らの出入り口が汗腺か毛穴であることが判った。
いよいよ某国との交渉日が迫って来た。明後日には昭和基地に着きその2日後に初めての顔合わせが行われる手筈になっていた。勝ち目などどこにも見えなかった。
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