13節 誘導
13節 誘導
大人たちもだが、子供たちも身体を動かせずに退屈しきっていた。無論様々な予備知識を与えてり勉強をさせたりはしてきたが、特に子供には刺激が必要だった。ススメやミナミはありったけの知識を絞ってこどもたちに様々な刺激を与え、子供たちもそれを応用して遊ぶことが多くなった。
例えばクイズやなぞなぞには、持てる知識と発想の限りを尽くして取り組む。
「看板と真逆のことをして商売するお店があります。いったい何をしてくれるでしょうか?」
「買ってきたコンニャクがあります。さてこのコンニャクをいつ食べるでしょうか?」
「きょうの味噌汁は、とっても怖い味噌汁です。さて、具は何でしょうか?」
「ウインクばかりしているのは、いったいどの動物でしょうか?」
えっ、答えが気になりますか? それぞれ「占い…売らない」、「今夜…こんにゃ食う」、「麩…今日麩の味噌汁=恐怖の味噌汁」、「かたつむり…片方目をつむ(ぶ)る」だそうですが… ははははは。
例えば体の重心。普通に立って右足を右横に上げてみる。何の面白味のない、ごく普通の動作である。ところが左側面の壁に思い切り体の左側をくっ付けてから同じ動作をさせると、こんな簡単に見える動作が「できなくなる」のだ。理由は…例外なく右に倒れそうになり、脳が右足を上げるのを中止するからである。ススメは答えを与えなかった。これを探求する時間は富士山ほどもあるのだから。
やがて子供たちは、自分たちの試行と思考によって答えに近づいてゆく。
そうか、右足を右に上げる動作と同時に、上半身を左に振る動作が必要なんだ… それを邪魔していたのが左側の壁だったんだな …と、こんな具合である。
それをばぁばが理科の授業で
「それは重心の移動に関りがあることなんだよ」
と補完していくワケだ。
こうしてひとつが解決すると、次は応用編になることもある。
たとえば立っているヒトがいる。子供の力でこのヒトを転ばせることはできるだろうか?
「大人の重心がどこにあるかを考えればいいんじゃない?」
セイラが提案する。
「立ってる足とかヒザだよね」
アンナが考える
「あっ、ヒザカックン。ヤラレタことない?」
カナタが大きな声を上げる。
「な~に、それ」
アンナは知らないらしい。
「よしやってみよう、アンナ。左足の力を抜いて右足で立ってみて」
「こう?」
「カナタ、手加減してよ、ケガはダメだよ」
セイラが気を揉む。
「ダイジョブだって… いいかい、ほら… こうするんだ」
「きゃ、やだ、たおれちゃうよ、おにいちゃん」
「ははは、この時な、こうして後ろから服を引っ張ると確実に倒れるよ」
「カナタ、それはダメだよ」
「アンナにはやらないさ… でもこのとき自分も横に逃げないと相手の下敷きになる」
経験があるらしいカナタは妙に詳しかった。
「まあ護身術にはなるかな… セイラ、やって見なよ。おれは上手く倒れるからダイジョウブ」
「あ、いいの? じゃやってみる、日頃の恨みを込めて」
「恨み? 御礼の間違いだろ?」
「ふふふ、こう?」
あっと言う間にマット上にカナタがひっくり返っている。
「うわっ おい、ちっと手加減しろよ… でもお見事だ、セイラ。わかっていても倒れちゃうな、これ… アンナもやってごらん」
「アンナもやりたかったの。今度おにいちゃんにいじめられたらやり返す」
「いじめとか… おいおい人聞きのワルい… それ、こうして立っていたら… こっちの足だ」
「こう?」
「わっ… アンナ、お前才能あるんじゃない」
「やったぁ! もう一回… いい?」
「そうだな、考えとく」
「カナタ!」
「はいはい、喜んで、アンナ様」
こうして体験と共に学んだことはきっと役に立つ… とばぁばもススメもミナミも信じていた。
ときには今日のように他の隊員の力を借りて、新たな刺激と教養に触れさせることもあった。
北半球には巨大はユーラシア大陸や北アメリカなどの陸地が多く、しかもヒトが古くから棲みついて記録が残っている文明を築いたために、ギリシア神話などの星座をめぐる伝説もまた多い。南半球に大陸の規模で存在するのは南アメリカ、アフリカ、オーストラリアと南極の4つだが、地球儀を見ると一目でわかるほど相対的に海の面積が大きいうえに、記録に残る文明が乏しいという恨みがある。
オーストラリアとその周辺にはネイティブ、現代流に言うと「アボリジニ」が棲んでいた。しかしかの英国等が植民地としただけでなく流刑場として活用したり、土地を搾取したりする一方で、アボリジニを「動物と見なしハンティングの対象として狩ったり」、わざと伝染病を流行らせたりしたため、その数は急激に減少していった。
南アメリカではスペインやポルトガルがネイティブを完全に支配し搾取しつくした。マヤやインカや…その恨みは筆舌に尽くしがたいものであっても、それを伝える子孫さえ根こそぎにする勢いであった。
アフリカはヨーロッパに近かっただけに、ジェノサイドを地で行く迫害で多くの部族が絶滅し、遺っている人々も手ひどい被害を受け内戦やら代理戦争やら、聞くも語るも涙の過去を未だに抱えている。
いずれの地域でもたとえ口碑はあったとしても、文字として記録されているものはほぼなく、彼らネイティブの伝承や神話、星空の物語などがきちんと遺されているケースはとても貴重なのである。
そして南極。南極には現代になるまでのヒトの生活の痕跡は発見されてはいない。仮に将来発見されることがあっても… いや、やっぱりないだろうなぁ…
相変わらず《しれとこ》の横揺れは激しかったが身体の方が慣れてきたようで、もう船酔いを訴えるものは皆無になっていた。ヒトの適応力というものは、なかなかたいしたものである。
カナタとセイラを連れて部屋を出たススメ。行き先はソルティこと塩見隊員の部屋である。彼の趣味は星空観察であり、南半球の空にもずいぶん詳しかった。今日は実物の星空を眺めてから星と神話のお話を聴かせていただけるように、ススメが依頼しておいたのだ。
きょうは、オーストラリアなどの南半球に伝わってきた「大人向けの星空の物語」を語ってくれるから… という触れ込みで、3人は塩見隊員の部屋を訪れたのである。
「こんばんは、塩見ソルティさん… こいつが長男のカナタ、こっちが長女のセイラです。今夜はひとつよろしくお願いします。」
「よろしくおねがいします」
と声を合わせて二人が挨拶した。
「ははは、もう知ってますよ。いつだったか、ちょっと話したよね、ふたりとも」
「はい… 」
「だから気楽にいこうかな… みんなと同じように、ソルティって呼んでくれ」
「「はい… ソルティ さん」」
「ふふふ、さんは要らないよ… まだまだ硬いなぁ…」
最初に始まったのは、サザンクロス(南十字星)の実物の見学である。甲板に出て強力なライトで夜空を照らしながらソルティが解説した。あとで部屋に帰って、プラネタリウムを見ながらサザンクロスにまつわるアボリジニの民話を聞かせていただくことになっていた。+
『ほら、これとこれとこれと、あとここに見える星で、ちょうど十字架になってるだろ? これが本当のサザンクロスだ』
「あ、わかります… キレイですね」
『でもね、ほら、ここにも十字架みたいなのが見えるよね。よく間違われるけど、こっちはまがい物でね、偽十字なんて言うヒトもいるんだ』
「わ、本当だ… 本当だけど、偽物なんだ…」
「ややこしいこと言わんで、カナタ」
「ははは、だってさ、あのトゲアリトゲナシトゲトゲっていう虫のことを思い出したんだよ」
「ああ、テレビでやってたね、なんだっけ、それ?」
「たしか… 一番後ろのトゲトゲは《トゲハムシ》っていう羽虫の仲間のこと。真ん中の《トゲナシ》っていうのは、《トゲトゲ》の仲間にはトゲを持たない種類もあって、その子たちを《トゲナシトゲトゲ》という。ここまでは定説ね」
「あああ、もうやめて! 頭痛いよ、ふふふ」
そこで口を挟んだのはソルティだ。
『いや、なかなか興味深いじゃないか… 最後まで話してごらん、カナタ』
超真面目な顔つきに押されるようにセイラが黙り、カナタが続けた。
「それで… この《トゲナシトゲトゲ》の仲間にね、たしか翅の後ろの方にトゲがある子たちがいるって言ってたよ、テレビでは… それでトゲがあるぞっていう特徴を一番前にくっつけて《トゲアリトゲナシトゲトゲ》っていうらしい」
「ほほぅ、なかなかたいしたもんだ」
ソルティが軽く拍手しながら褒めてくれた。
「あ、それほどでも… ただムシが好きなだけなんです」
「ははは、好きこそ ものの上手なれ… それが一番だよ」
「でもさ…」
セイラはちょっと口惜しそうだ。
「もしも、だよ…トゲの無いトゲアリトゲナシトゲトゲが見つかったら、《トゲナシトゲアリトゲナシトゲトゲ》、とかスゴいことになっちゃいそうだね」
「どうかな? カナタ」
ソルティはカナタを試しているかのようだ。
「それが… 実際居るんだなぁ。オレも気になってさ、あとでネットで調べたんだよ。そしたら、居るって書いてあった。《トゲナシトゲアリトゲナシトゲトゲ》って」
「もう… アタシが知らないと思ってからかわないでよ」
セイラが軽くむくれて、雰囲気がちょっとトゲトゲしてきた。
ソルティが助け舟を出してくれた。
「うん、セイラの発想もすばらしい。そういうことってとっても大切なことなんだ… 実はね、ボクもたぶん同じ番組見ててね、同じこと調べたんだよ… ボクもモノ好きだろ?」
「なかなか… えっ… そしたら?」
「カナタの言う通りさ。二人共素晴らしいセンスと好奇心があって頼もしい… ですよね、ススメさん」
「あっはははは… 良かったなぁふたりとも… たまに褒めてもらうと超嬉しいだろ」
「ちがうよ。塩見さんはちゃんと良いとこ見つけて伸ばしてくれるんだ。どっかの誰かとちがってさ」
「だな… ううん… 口惜しいけど、そうかもな」
今度はセイラが調子に乗った。
「ねぇ、セイラの良いとこってどこなの、ねぇ」
「セイラの? またまた急展開だな…」
ブツブツ言いながらも、ススメには思い当たるものがあった。
「セイラは… ちょっと前にイモリちゃんの飼育日誌書いてたよな」
「えっ、知ってたの?」
「ママに精密秤をねだったのは誰だっけ?」
「バレてたか」
「知らないうちにイモリが卵を産んじゃってさ、あの子たちを育てたとき、毎週体重と体長測ってさ、18匹に名前つけて把握してたよな」
「…だったね」
「エサがわからなくていろいろ調べたり試してたこと、大きい個体と痩せっぴーの個体の食いつきの違いを調べたこと、そして動き回るイモリの体長を測るのはどんな方法だったっけ?」
「うん、あれはね、モノサシと一緒にイモリちゃんの写真を撮るの。イモリちゃんてさ、必ずシッポとかどこかが曲がって写ってるんだ。測りにくくて仕方ないからね、糸でイモリの体形をなぞって、最後に写真のモノサシの上で糸の長さを測ったんだよ」
「それでもなお… たしか体長測るのいちいち面倒だからってさ、体長と体重の関係を計算してたよね」
「わ、意外… ちゃんと見ててくれてたんだね、パパ」
あきらかに父親を見直した、という顔でセイラが肯いた。
「そりゃ… ね。可愛い娘と息子だからね…」
ススメもちょっと得意気だ。
「あれはね、 イモリのBMIみたいなものよ」
BMIとは、ヒトの肥満度の程度を示す指標である。
BMI = 体重《kg》/(身長《m》/(身長《m》 で示され、25以上だと肥満判定が出る。
「BMIの計算方法って、ちょっとおかしいと思ったの。だって体長は長さの単位はメートル《m》でしょ? セイラ思ったの…
面積なら 長さ《m》×長さ《m》だから《平方m》が良いと思うんだけど、
体重って結局は体積だから、長さ《m》×長さ《m》×長さ《m》つまり《立法m》
の方が相応しい感じがするんだよね」
セイラはここで言葉を切った。
ソルティは微笑みながら黙って肯き、態度で先を続けるように促した。
「だから、もう一回体長で割ってみたんだ… そしたらね… あ、なんか紙とかないですか」
「ここに。鉛筆もどうぞ」
セイラは迷うことなく書き進める。
イモリちゃんのBMI
= 1000 × 体長《mm》 / 体重《mg》/ 体重《mg》/ 体重《mg》
ちなみに、mmはミリメートル、mgはミリグラムを示す。どちらも左のmはミリで、1/1000 を表す補助単位である。もちろんイモリの体長は《mm》で測り記録していた。
「1000を掛けたのは、桁合わせのためね。
一匹ずつの細かいデータは忘れちゃったけど、たしか4.1~5.3の間で収まったの。平均はたしか4.9だったな。あ、やせっぴが4.1の方ね。この子ブルーっていう名前なの」
「ほほう… これはこれは… セイラ、じゃあ、その数字の意味はどういうことかな?」
「平たく言えば肥満指数? そして体長測るのって思ってるより面倒だから… この数字を掴んでおけば、体重を測るだけでだいたいの体長が解る… ってことでいいですか?」
期せずして拍手がわき上がった。
「ブラボー」とソルティ。
「ワンダフル」とススメ。
「ビューティフル」と、やけくそのようにカナタが大声を出した。
うん、ビューティフルの方がふさわしいかな… とソルティが感嘆している。
「これまたスゴイよ、セイラ」
「ほらね、やっぱソルティは見抜く力がスゴイの… 褒め上手」
「…だな」
カナタも同調する。
「ば~か、パパが言わないのは、そうやったおまえらがすぐ調子に乗るからさ… ちっと謙虚になれや」
そう言っておきながらススメはソルティに向き直り、深々と頭を下げた。
そんな父の姿は二人の目にどう映っただろうか。
「ふたりとも末恐ろしいですな」
「ソルティ… 有難いけど、こいつら本当に調子に乗るから… さあ、いよいよ伝説講座だ」
「だいぶ道草食ったけど、収穫、しかも豊作だった… よし、はじめよう」
「わぁ、よろしくお願いします」
カナタもセイラも、先ほどとは目の輝きが違っている。
『きょうはね、さっきのサザンクロスの話をするよ。オーストラリアのネイティブをアボリジニって言うんだけど、聞いたことある?』
「え、あ… 知らないです」
「オレ知ってる! ポリネシアとかミクロネシアの人々と似てる感じの民族ですよね」
「なに、カナタは知ってるの、意外と物知りね」
『ははは、興味を持っていればそのうちわかってくるさ、ダイジョブダイジョブ』
「で、きょうはそのアボリジニの星の伝説を聴いてもらうよ。ちょっと難しいけど、今回の交渉にも役立つかもねって、お父さん…ススメさんね、気を利かせてさ、話してやってくれって」
「お願いします、ぜひ」
「正直この船旅にもちょっと飽きてきたから、ちょうど…」
「もう、カナタっ」
『ははは、いいからいいから… じゃ続けるよ』
「なにぶんよろしくお願いします」
これはススメの声だ。
この愛しき二人の体内にもサラドンが巣食っているかもしれない。ススメの心中の思いは複雑だった。
一方ミナミの船室では… 軽く音楽を掛けながら、ミナミとアンナが向き合っていた。今掛かっているのは「アンドロメダ」という曲である。これはリラックスのためであり、うっかり話を聞かれないための配慮でもあった。
子供たちがサラドンに感染しているかもしれない…
この疑念さえ、まだ誰にも悟られてはならない。いまだに「ばぁば(ミナミの母)」にも打ち明けていない疑念だった。しかし昭和基地までの船旅も、もう残り少なかった。基地に着いてから遅すぎる。まずは両親が真実を掴むことだ… これが最も大切なことだと夫婦は考えたのだ。
ある意味、これは大きな賭けだった。親子関係、夫婦関係、そしてばぁばも含めた一家の関係。サラドンと「人間」との関係。隊員との人間関係、そして某国との交渉への影響… 。
理想的には… 一家がまとまり、隊員の理解と協力取り付け、サラドンとニンゲン(注:南極のUMAのアレではない)…というか、サラドンと日本隊が一致協力して…
そうか、サラドンと一致協力という手があるじゃないか!
そう思いついたとき、ミナミとススメはこの賭けに出たのである。サラドンについて、性格が少しわかる以外、弱点や知能や欲求などもよくわからない。だから脅しや揺さぶりは通じないと思った方が良い。
おそらくD-アミノ酸を欲しがるのではないか… しかしこれは淡い期待だった。
故郷である南極の環境を守ろうとするのではないか… こちらの根拠はもっと怪しかった。
しかし他に打つ手はない。
有り余るのは… ただ「南極を保全したい」という誠意だけだ。日本だって基地を4つも作ってるくせに… という反論は、子供でさえ思いつくだろう。しかし今度の相手はゲンパツで、破壊の桁が違いすぎるのをどうしたらわかってもらえるのか。
サラドンは知る限りでは南極出身である。故郷を守りたいという意思があるならば、味方を期待できるのではないか… 幸い南戸一家は、子供たちも含めて皆がそういう想いを強く持っている。サラドンがどう考えているかはわからないが、その線で推してみようと思った。
某国との闘いで矢弾やミサイルは使えない。なんとか舌戦だけで某国の野望を打ち砕かなければならないのに、そんなことは無理だと絶望的に考えてきてしまった。
それでも俺たちはベストを尽くすのだ、と…
しかし経過や経緯が努力の質と量がいかほどのものであれ、負けは負けとしか言えないではないか。結局南極を守れないどころか、好き放題にされてしまうだろう。「敗北」の中の「玉砕」は、ある意味《後世に対しての美学》ではあるが、だからと言って現状を変える力にはならないのだ。
ここは「いかなる手使ってでも」、なんとしても勝たねばならない。たとえそれが「汚い」手段であったとしても… サラドンの協力と援助を誠心誠意お願いする絶対的必要が、今目の前に有るのだ。
ミナミはある意味開き直った気持ちでアンナに対していた。仏様のように慈悲深い顔に見えても…
いやさりげなくそんな心境のミナミだから、まるで悟りが開けたかのような心境だった。
そうよ、もしうまく行かなかったら、一家で南極海に沈めば良いわ… 間違いなく数分で意識を失う水温だから… そんな決死の覚悟を決めたことを、ススメでさえ気付いてはいなかった。
ただ… 今朝起きて、自分の母であるばぁばに
「おかあさん、おはよう」と挨拶した時、返事はいつもの「おや、おはよう」ではなかった。
ばぁばはビックリしたようにこう言ったのである。
『あら、どうしたの… さわやかな顔ね… なんか後光が差してるよ』
ミナミはアンナと、そしてアンナの中にいるであろうサラドンと向き合っていた。
「ねぇアンナ…」
「はい、マァマ… なぁに」
「いまはカナタもセイラもいないからね。アンナはさ、南極に行きたくなかったんじゃないの?」
「そうね、おともだちがいないから、それはイヤだったな」
「パパやママの都合でこんなことになってゴメンね」
「マァマ、ダイジョブだよ。おにいちゃんもおねえちゃんもいるから… ちかごろやさしいの、ふたりとも」
「アンナは南極に着いたら何をしたいの」
「ゆきがっせん!」
「ママはね、《かまくら》を作ってみたいな」
「えっ、《かまくら》ってなぁに」
「ユキでおうちみたいへやを作ってね、おりょうり作ったりしてあそぶのよ」
「アンナもできるの?」
「モチロンよ」
「たのしそうね。でも… おともだちがいたらもっとたのしいだろうな」
「さびしくない?」
「そりゃさびしいよ」
「じゃぁさ、あ、そうだ、アンナ… ナチャンも一緒にあそぼうよ」
「うん、そう… ええっ、そんな子知らな…」
「アンナ、大丈夫だよ… アンナたちよく話してるじゃない、紹介してよ」
「マァマはナチャンのこと知ってるの?」
「アンナたちのおともだちだから知りたいだけよ。こんどナチャンにそう伝えておいて」
「う、うんわかったよ。でもなんで…」
「あ、そうそうタチャンとラチャンにもよろしくね。パパとママがね、すごく会いたがってるって」
「わかった… そう言うね。へんなマァマだね、まったく」
「ありがとう… きっとだよ」
「んんん… ナチャンたち会ってくれるかな? とっても恥ずかしがり屋さんなの」
「大丈夫、アンナのおともだちだから大事にするよ、できれば明日、そのままでいいよってことと、相談があるの… っていうことを伝えておいてね」
「うん、わかった」
「この件はこれで良し… と。そうだアンナ、ビデオ見る? 例のペンギンのアレ…」
「うん、みるみる」
ナチャンというのは… 実はアンナが寝言で呼ぶ名前なのである。他にカチャンやタチャン他にラチャンかヤチャンというキャラが出てくるように思えるのだが、寝言ゆえに発音がいまひとつはっきり聞き取れていなかったという事情があった。
ミナミの推理はこうだ。
・おそらくカナタ、セイラ、アンナにはサラドンが憑いている。
・以前家で子供たちとサラドンが遊んでいたとき、それぞれ一体ずつのサラドンがいたように見えた。
・それぞれのサラドンに名を付けるとすれば、憑いている子供と関連づけるのが合理的だ
さきほどアン「ナ」の「ナチャン」という名でカマをかけてみたところ、どうやらこのままイケそうな気配を感じたのだった。ならば、カナ「タ」の「タチャン」、セイ「ラ」の「ラチャン」でもう一押ししてみようか。これが先ほどの会話の真相である。あらかじめ筋書きを考えていたワケでもなく、ある意味出たとこ勝負で臨み、しかもうまく行ったようでミナミ自身が驚いていた。
「アタシ詐欺師になれるかも…」
もちろんココロの声である。
そして改めて思った。ススメの言った通り、アンナ一人だけの時の方が落とし易かったわね。あの二人がいたら、おそらく気を逸らされたり、話題を変えられたりで、落ち着いて話などできなかっただろうな、と。
ミナミは引き出しにしまっておいた一族の、そして早世した父の位牌に手を合わせた。位牌とは言うものの、プリンタで打ち出した紙切れ一枚にラミネート加工を施したアッサリ過ぎるくらいの御手製位牌である。線香などはとっくの昔に省略していた。あれは、要は遺体の臭い消しだもんね…
願いは… 一家の無病息災と子供たちの無事、そして某国との交渉妥結である。数分間身じろぎもせず、一心不乱に祈り続けた。実は神や仏などこれっぽっちも信じてはいないのだが…
これが平均的な日本人の宗教観に近い姿なのだろうな、と自嘲することがある。
恐らく… 外国の方から見れば、正月は神道に則って身を浄め、花祭りでは仏教に帰り、天皇誕生日には旗を掲げて神道に連なる天皇家の弥栄を願う姿は、ずいぶん奇異に思えるのだろう。かといって建国記念の日が特別に尊い日である…などという感情を持つのはほんの一握りに違いない。
クリスマスには何の脈絡もなくクリスチャンに宗旨が変わり、ハロウィンやバレンタイン、感謝祭では戸惑いもなく外国の行事を受け入れている… まるで信念がないのか、気にしないのか、ただの遊びの口実なのか?
一神教の教えから見れば、平均的日本人の宗教観にはまるで敬虔さが無く、あるのは自己愛ばかりというまことに唾棄すべき信念としか見えないだろう。敢えて自己弁護するのなら、八百万の神を「自分の都合に合わせて信仰している」というところだろうか。
間もなくススメやミナミが子供たちに憑いたサラドンと対峙する時がやってくる。それまでの間に、ススメとしっかり「方針」を打ち合わせておくべきだな… そう考えた次の瞬間、ミナミは塩見隊員の部屋に内線電話を掛けていた。
「ソルティ、今日はありがとうございます… 緊急ではないけど、ススメに代わっていただけますか」
『ああ、いい子たちですね… はい代わりますよ… ススメさん、ミナミ様』
「どうしたミナミ」
「ススメ… やっぱりtogatherだったよ。たぶん明日会えると思う」
「うむ、togatherか… こっちはカナタもセイラも夢中で話を聴いてるよ」
Togatherというのは《アンナの中にサラドンがいた》という意味の暗号で、事前にススメと打ち合わせておいたものであった。
いまいち話がとんちんかんなのは、カナタとセイラ、そして塩見さんにそれと悟られないためのススメの用心である。どうせそのうちバレるのだろうが、あからさまに他の隊員が居る前で騒動になるのは好ましくないと判断していたのだ。
「ね、今日か明日か、会うときにはススメも付き合ってね」
「モチロン。もちろん二人はおとなしくしてるよ、心配ないから任せとけって」
「じゃまたあとで… ちょっと方針を打ち合わせたいな」
「だな… あとでね」
本当はそれほど緊急性のある用事ではない。ミナミは自身の不安をススメの声を聴くことで紛らわせたかったのだろう。
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この下の画面からよろしくお願い致します。 楠本 茶茶