11節 一家
11節 一家
それから2週間ほどが過ぎた。
その小さな変化に気付いたのはミナミだった。
ミナミはススメにこう問いかけたのである。
「ねえ、最近アンナの様子がおかしくない」
「えっ? そうかな… 成長もするんだし、気のせいじゃないのか?」
「そうかなぁ? なんか左目の眼球が震えてない?」
「あああ、眼球震顫ってやつかな。そういえば朝ごはんのときにそうだったかも…」
「目の病気かしら?」
「だったら大変だな… たしかに前はなかったね。わかった、これから気をつけてみてみよう」
「うん、お医者さん予約しとこうかな?」
「そこまで緊急ではないだろう… 痛がったりしてないか」
「それは全然… それにね」
ミナミはさらに続けた。
「なんか最近性格とか、好みとかが変わったと思わない?みんなしょっぱい系の物をよく食べるの」
「まさか… いや、でもそうかも知れないな。大きくなったせいだと思っていたが…」
「ね…」
「だな… それも、しばらく観察してみよう」
それから3日後、今度はススメからミナミに話しかけた。
「ミナミ、やっぱりアンナはちょっと変だな。独り言も多いし… な」
「でしょ?」
「それだけじゃなくて、さ」
「あっ!」
「『カナタもセイラも』」
2人の声が重なった。
「やっぱり、そう…」
しばらく沈黙が続いた。
ふたりは見つめ合っていた。
やがてススメが口を開いた。
「なあぁ… 考えたくないけどさ、これって…」
「『サラ…ドン?』」
もう一度声が重なった。
しばらくコトバが続かなかった。
ふたりは見つめ合っていた。
今度はミナミが涙声を発した。
「まさか、ヤダよ、イヤだよ… あれだけ念入りに殺菌したのに、そんな…」
ススメはミナミの肩を抱いた。
ミナミの首筋に熱い液体が降ってきた。ススメは涙をこらえきれなかったのである。
また沈黙があたりを支配した。
ミナミもすすり泣きながら、声にならない声で訴えた。
「カナタ、も、セイラも、アンナも… サラ、サラドンで、病気に… なったのかな?」
「震顫る眼のあたりに病巣があるのかもしれないな。とにかく… あす第七班長へ…」
「だめっ! ダメよ。子供たち拘束とか… 消されちゃうかも… それにアタシたちだって…」
「うっ、そうか… それもアリかもな」
あの厳戒体制から見て、考えすぎではなさそうだった。いやむしろアリの方が近い気がした。
しばらくコトバはなかったが… やがてススメが少し明るい声で言い出した。
「まずは… もう少し様子を見る。これは賛成してくれるね」
「そうね… いいわ」
「なんともなきゃ、なにもない」
「うん」
「もしもさ、万一サラドンに感染してたとしたら…」
「そんなのヤだよ…」
「万一だよ、万一の想定で」
「ん」
「そしたらミナミ、いっそ一家6人で南極に行かないか?」
「えっ、なに? ええっ?」
展開が急すぎて混乱したミナミ。泣いていたことさえ忘れた一瞬だった。
「ちょっと待って… 行くのはアタシたち2人…だったよね」
「元々はね」
「そんな… 勝手に行きたいとか、良いの? しかもこんな急に…」
「実はね、ゴメン、まだ言ってなかったね、昨日のことなんだけどさ… 落ち着いて話を聞いてね」
「ええ、いいわ… もう驚かない」
「その…、どう話したら… うん、実はあの例のゴリ押し大国がさぁ、ウワサを第4班が聞き込んできたらしいんだよ… 南極にゲンパツ作るって」
「えっ、ナニナニ? ゲンパツって… ああ、驚いちゃった…」
いいさ… だからミナミは可愛いんだよ。これは心の声である。
「もちろん氷の大陸にゲンパツなんて、伊達や酔狂で作るワケじゃない、ちゃんとペイするからさ」
「…ということは… 資源ね」
「さすが… どうやら衛星からの地底探査で見つけちゃったらしい」
「原油…?」
「当たり! 他にプラチナ、パラジウム、コバルト、銅なんてウワサもある」
「そういえば… 昔海底で原油が…と知った途端に領有権を主張し始めたとこがあったわね」
「あったねぇ… これもあの類だろな」
「その掘削や開発、精錬なんかの電力を小型原発で作ろうってこと?」
「…だな、きっと。某国の観測所の位置は知ってるかい」
「昭和基地から、350km位だったかな? 同じようにナントカ島にあったような気がするわ」
「教養あるね… わか嫁ど…」
「あっ、イザナミ湖を入れると、二等辺三角形的感じじゃないの?」
「これは話が速い… ゲンパツの場所はなんと… イザナミ湖の近くらしい」
「ちょっと待って… どういうこと?」
「つまり… 南極で大量の安定電力の確保が狙いだけど… 原子力発電所ってさ、冷却水が必要だろ?」
「まさか… それでイザナミ湖が」
「そういうこと」
「ダメよ、絶対… でもどうしてそれが? 説明して」
「…だよね。南極はどの国の領土でもない。領有権もないけど、逆にどの国が何をしたとしても条約以外の規制があるワケじゃない」
「反対はできないってこと?」
「早い話がね。だけど日本としては何としてもそれを阻止したい」
「なる…」
「ねえ、でもちょっと待って」
「なになに?」
「イザナミ湖ってさ、4000m掘って、やっと水面なのよ。それに塩分もちょっと入ってるでしょ」
「だな…」
「そんだけ掘って汲み上げるのかしら… 無理よ、そんなの…」
「オレもそう思ってね、地形を調べたのさ」
「果てなく平面だったよね」
「氷原はね。でも北の方に… ああ、しくじった。南極点から見たらどこも北だっけ…」
「もういいから、早くぅ」
「そうだな… イザナミ様から割と昭和基地の方向側にね、氷を取ってしまうと大陸の地形の分水嶺というか、高い山脈があるんだよ。その尾根付近に水のバイパスを作ればちょうどいいかも知れない。あの国はね、その近くの氷をドカンしてトンネル水路を作って…」
「えっ。ダメだよそんな… イザナミ様がめちゃくちゃになるわ。それに冬には原発ごと埋もれてし…」
「…まわないさ」
とススメは言葉をかぶせた。
「え、なんで…? ああ、そうか」
「そのとおり。普通の施設なら雪に埋もれても、原発は余るほどの熱を出す… ジャンジャンとね」
「なるほど… それなら氷が邪魔だから、始めに掘削しといた方がいいね、むしろ何個かプールを作っておいてさ、気候に合わせて使ったら天然のリサイクル冷却水になるかもね」
「そうなんだ、だから多分、すべてを湖水から取水して垂れ流すワケじゃないだろうって思ってる。そこまで豊かな水源じゃないだろう?」
「ちょっと待って… アタシが思い着くくらいだから、アノ国も『ちょっとだけだから問題ない』とか、『湖水を戻してリサイクルする』とかって主張するよね、きっと」
「だから却って難題なんだよ…」
「観測船での燃料補給に頼ると、基地の電力が不安定で不足がちだからって言うのね、多分」
「なんせゴリ押し大国だからな… ヒトの世の常識やら良心は通じないと思った方が良い」
「だな… ってとこね」
ミナミはススメの口癖を真似た。
「それにさ、出るのは熱だけじゃないよね」
「モチロン… 各種RI、つまり放射性同位体と放射線、そしてトリチウム。海へ直行しそうだね」
「誰も見てるワケじゃなし、あとは言わぬがなんとやら」
「ヤバイ臭いしかしないね」
「…」
ちょっと沈黙が訪れた。
「…でね、その交渉団の団長にはきっとお偉いさんが指名されるんだろうけどね、交渉の実務は…」
「えっ? まさかの?」
「南戸、お前がやれってさ」
「おーまいがっ! …で、引き受けたの」
「即断った。だから言わなかったんだ」
「だよね… アタシでも断るよ、当然」
「でもさ、強硬にやらされそうなんだ」
「クビにギプス巻いてさ、絶対縦には振れないように… ふふふ」
「オレもそう思った。だけどね、胴体ごと縦振りされそうなんだ」
「サラドン漏洩とかで脅されたの? 家族の命は預かってるぞ、とか…?」
「まさか、そこまでは… でもそういう勢いも弱みもあることは確かだ… ところでオレより適任のヒトは居そうかい?」
ミナミの頭の中を、数十人の顔がよぎった。
「はぁ… どう見ても居ないわね。だから… ああ、そういうことか」
「オレが適任というワケじゃない… けど経歴、研究テーマ、人間関係… そうやって考えてくとやっぱりオレかな、と」
「あとはトークとデカい態度…」
ミナミは自分で言っておいてケラケラと笑い転げる。
「はいはい… それもあるし、オレだってね、南極に原発なんて絶対許せないんだ。そして南極なら子供たちも安心だろ? 周囲に感染す子供はいないからね。そしてサラドンの出身地でもある…」
「ああ、ナイスの3乗だね」
「あの原因がサラドンだとしても… 治療の方法なんてわかんないんだから」
「…仕方ないか… いいわ、賛成する。ばぁばも一緒だよね、そしたら…」
「だな… オレは『一家じゃなきゃやらないっ』て主張すればいいんだから… 大丈夫さ、たぶん」
「でも、子供たちを連れていく名目が弱いよ、やっぱり」
「何か作るか。子供の耐寒性や成長の具合、ホルモンバランスの研究、遺伝… そんな研究をデッチあげても良いし、方策が尽きたら例の松浦将補を脅す… いや、頼む」
「そうね… 私たちにとってはとっても大切な子供たちだもんね」
「本音を言うと、離れたくもないしね… おっと、これナイショ」
「ちょっと待って、ススメ。浮かれてる場合じゃないわ」
「なんだい?」
「もし受けるなら、ちゃんと条件出して呑ませなくちゃダメ… 使い捨てにされるよ。ヒトが良いんだから、まったく」
「おお、さすが我がヨメ殿だ。これは良いことを聞いた。で、どうしようか、条件」
「そうね… まず自由にできるおカネ…工作資金、それからどこまで任せてもらえるかっていう権限、あとは成功報酬とか… あ、あの国相手なら、当分SP(セキュリティポリス)つけてもらわなくちゃ… 某国に暗殺されそうじゃん」
「よく出てくるな、感心してしまった… なるほど、工作資金といっても、今だけじゃなくて継続的に支出できないと困るかもな。SPも採用だね… もう練習生でも良いからってさ、粘ってみよう」
「そう、冗談とは言えないのが困ったことね。あれのどこが共和国なんだろ… 自称とは言え…」
「まあまあ… とにかく引き受けなきゃいけないなら条件は付ける。メモ取っとくよ、サンキュ!」
「それと、サラドン研究するならD-アミノ酸は必須だと思うな」
「それ採用!」
「…でもさぁススメ、交渉決裂なら付近の、付近だけじゃなくて辺り一帯の生態系や熱バランスはめちゃくちゃになるわ、絶対」
「それは疑いようがない」
「だから… そこを論点の軸にしてアノ国を説得するのね、主に、というか、それしか方法がない」
「オレもあらゆる手を使う覚悟だけどさ…卑怯でも何でも… 正直、勝目があると思うかい?」
再びミナミは黙った。
ややあって、ふと元気な声に戻ったミナミが言い出した。
「大丈夫だよ、ススメ」
「何を根拠に…」
ススメは苦笑いを返した。
「ススメ、アタシたち一家の名前を忘れたの?」
「なんだい、急に…」
「ミナミヘミナミとミナミヘススメ だよ… でしょ?」
「うん…」
「カナタへ行って…これはカナタとアンナね、ホシ(星)つまり運命を(良)くするのよ、ススメ」
「それはセイラだね… そっか… これを収められるのはオレたち一家しか居ないか」
「アタシのダンナ様ならできるわ。アタシもやる、家族でやろうよ、全力で… ねっ」
コトバは返ってこなかった。
うっ… うううっ…
不審に思ったミナミがススメを見やると…
激しくこみ上げてきたものに咽んでいるススメがいた。それを拭おうともせず… 音をたてて畳が濡れていく。
ススメが叫ぶように宣言した。
「ミナミ…、お、オレは幸せ者だ。ミナミは世界一のヨ、ヨメど…」
あとは言葉にならなかった。
意思は態度で示す… ミナミはススメを胸に抱き締めた。強く強く腕で頭を抱えこんだ。
ススメはミナミの胸の間で涙に埋もれ、何度も息ができなくなったが、ススメもミナミの背中を力一杯抱くのをやめようとはしなかった。
そのススメの後頭部にも熱い液体が雨のように降り注いでいた。
実のところ、ミナミはアメリカの詩人、ロバート・フロストの
「抜け出すための一番の方法は、やり抜くことだ」
という名言を思い浮かべていたのである。名言なんて有名人の語録みたいなもので、実際の生活にはこれっぽちも役立つことなんかないのに… 4/5以上バカにしていたのに、あの冷静なススメがこんなになるなんて… 滝の涙を浴び、自分も流しながら、心の隅に居るもうひとりの冷静な自分が不思議だった。
幸か不幸か、この頃になって参加を辞退する隊員が1名出た。自身が交通事故に遭って当面入院加療に務めるハメになったからだ。空いた1名分の部屋に2名、ススメとミナミ船室2部屋に4名が泊まれば一家6人は収容できる。そこでばぁば、カナタ、セイラ、アンナが便乗してゆくことが急遽決まったのである。予備の寝具や食料くらいはどうにでもなる。そのくらいの余裕は十分にあった。
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