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第九話 変化

 海野君が、やって来てから三週間、緑色の変な生き物(海野君は勝手にソーマと呼んでいるが……)が、やって来てから二週間が経とうとしていた。

 緑色は、今子犬のような姿をしている。チョコレート色のフカフカの毛で、目が(みどり)、耳は少し長めで垂れている。背中にはハートの形をした白毛部分がある。

 しかし、毛をかき分けてみると地肌は薄い黄緑色をしていて、やはりあの緑色なのかと溜息が出る。指は前足も後足も五本ずつあって、前足は中指だけが少し長い。一番の好物はドッグフードだが、極端な味のものでなければ何でも食べる。

 今は海野君がアイスクリームに()っているようなので、しょっちゅう相伴(しょうばん)しているようだ。

 緑色は、僕の実験室の片隅に住んでいて、最近ではアンリまでがそこに入り(びた)るようになっていた。

「グランパ、アイスクリームを食べる?」

 緑色が突然話しかけてきた。昨日までは僕のことなどいないかのようにふるまっていたくせに……。僕は顔を(しか)める。

 緑色の小屋の前に、小さな陶器の器に盛られた一固まりのアイスクリームが置いてある。さっき海野君が置いて行ったのだ。僕にはくれないくせに。

「いや、いらない」

 僕は試薬をピペットで吸い上げながら、眉間にしわを寄せて答える。獣からアイスクリームを勧められる日が来ようとは夢にも思わなかった。

「だって、グランパも欲しかったんでしょ?」

 緑色は首を傾げた。

「そんなもの欲しくない」

 誰が、獣の器の中のものを欲しがるものか。僕はむっとする。

「ああ、そうか。グランパはママから直接もらいたかったんだね?」

 緑色は納得したように頷くと、山桃がトッピングされたアイスクリームを舐めはじめた。

「?」

 今、僕は口に出して言っただろうか?

「僕ね、ママが大好きなんだ。ママを喜ばせたいし、ママに()められたい。ママの中で一番の存在になりたかったんだ。だから、僕はママが望むとおりにしてきた」

 緑色は、(みどり)の瞳で僕を見つめた。なんだか今日の緑色は、やけに饒舌(じょうぜつ)だ。

「でもね、ママはいつもグランパみたいに立派になってねって言うんだ。だから、僕はグランパがあまり好きじゃなかった。僕がどんなに頑張っても、ママはそう言ったから……」

 緑色は口の端についたアイスクリームをペロリと舌で舐めとった。僕はフラスコを振る手を止めた。

「でも、さっき気づいたんだ。もし僕が、グランパをすべてにおいて追い越して立派になったとしても、きっとママはグランパみたいになれって言うんだろうって」

「なぜ?」

 僕としたことが、獣に答えを求めるなんて……自分が発した言葉に愕然とする。

「分からないの?」

 緑色は小馬鹿にしたように目を細めた。僕は自分を殴りたい気分になってくる。

「僕はずっと進化し続けている。自分でも分かってる。最初はパパの気持ちがよく分かってた。パパが喜んでいるのか、怒っているのか、ママよりもパパの気持ちの方がよく分かった。でも、今は違う。ママの言うことの方がより具体的だということも、グランパの言うことの方がより論理的だということも、分かる。パパが、犬という生き物で、ママとグランパが人間という生き物だって気づいた時は、少し衝撃的だったよ」


 緑色はテトテト歩いて、小屋の隣に置いてある海野君のノートパソコンのスイッチを前足の中指(一番長い指だ)で入れた。

「本を持ち歩くのが大変だって言ったら、ママが貸してくれたんだ」

 緑色は得意そうにインターネットに接続した。見た目には、子犬がキーボードの上で飛び跳ねて悪戯(いたずら)をしているみたいに見えるが、緑色はその動作でパスワードを入力したようだった。

「人間と犬の間に子供はできない。だから僕は、本当はママとパパの子供ではないんだ。そんな当たり前のことが、三日前までは分かってなかった。でも今は分かる」

 僕は緑色から目を離せなくなる。

「僕はどこから生まれてきたんだろう。僕は一体何なんだろう。昨日からずっと、答えを探しているんだけど……僕みたいな動物は世界のどこにも存在しないって、今日分かったんだ。グランパは分かる?僕が何者なのか」

 緑色は僕を見つめて首を傾げた。

「さあね。海野君は、君がそこの試験管で発生したって言っていたけど……」

 僕は肩を(すく)める。

「それならもうママから聞いたよ。試験管ベビーって言う言葉があって、それかもしれないってドキドキして調べたけど、僕とは全然違うものだった」

 緑色は小さな溜息をついた。

「……」

 この獣は自分の出生を知りたがっているらしい。こいつのこの小さい脳みそは、どのようになっているのか……解剖したくてウズウズしてくる。海野君に知られたら大事(おおごと)になるに決まっているのだが……。

「僕にもそれは分からないし、興味のあるところだよ。僕が死んだら解剖してくれて構わないよ?」

 緑色が言った。僕は瞠目する。今、僕は言葉を発していない。

「だから、言ったでしょ?今日、ママの気持ちが分かったって。パパの気持ちは前から分かっていたけど、ママの気持ちも、グランパの気持ちも、僕分かるようになったんだ……って言っても心が読めるようになった訳じゃないよ?ほら、人が何を考えているかって分かる時があるでしょ?緊張してるなとか、リラックスしてるなとかね。僕はそれを高度に発達させて、仕草とか目つきとか汗とか呼吸とか、そんな色々なサインを分析して理解できる能力を身につけた。ママには内緒だよ?びっくりしちゃうといけないから……」

「……」

 僕は絶句した。

「雪村先生、お電話入ってますよー」

 海野君がノックの音とともに実験室に入ってきた。僕は呪縛から解かれたように海野君を見つめる。

「どうかされましたか?」

 海野君はきょとんとしているように見えた。

「いや……」

 僕は混乱していたのだと思う。海野君が言ったことは理解できたのだが、何をすればいいのか分からなかった。

「先生、電話ですってば」

 海野君がじれったそうに言った。

「あ……うむ」

 僕はぎこちなく頷くとドアへ向かった。

「ソーマ、アイスクリーム美味しかった?」

 海野君は緑色の頭をフカフカ撫でると、甘ったるい声で話しかけた。

「うん、美味しかった。僕、アイスクリームは抹茶味が一番好きだよ。山桃をトッピングしてあると最高だね」

「そう、よかった」

 僕は、海野君の嬉しそうな横顔をチラ見しながら実験室を後にした。 


読んでくださってありがとうございました(*^_^*) 招夏

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