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第五話 困惑

 僕は今まで、かなりな数の破壊物を食してきたつもりだった。まだ更に、今までの上をいく破壊物を彼女が作れるなんて思っていなかった。どうやら僕は甘かったらしい。

「これは……なんだね?」

 僕は添えられたレンゲで、ふやけた米をかき分けてみる。玉ねぎとピーマンと卵と焼き豚が入っているようなのだが、とにかく水気が多くてドロリとしている。

「……チャーハンです。たぶん……」

 いつものキレがない。破壊物を作った時でも自信ありげに説明するのだが、今日の家政婦はどこか上の空だ。どこか具合でも悪いのだろうか?なんとなく静かに夕食を終えた後、僕は書斎に戻った。

 書斎に入った途端、僕は怒りが静かに立ち上ってくるのを感じていた。僕が必要だと右に避けていたものが、ことごとく消え去っているのだ。僕は、すぐさまリビングに取って返し、なんだかぼんやりと茶碗を洗っている家政婦に()みついた。

「君!僕が必要だと右に避けていたものはどこにやったのだ?」

 僕の怒声に家政婦は振り向いて瞠目(どうもく)した。

「あ……」

 家政婦は過剰なほど動揺している様子だった。

「?」

 僕は、一旦怒りの(ほこ)(おさ)める。やはり今日の家政婦はどこか変だ。

「まだ、ガレージに置いてありますからっ!私、とってきます」

 家政婦は、あたふたと階下へ降りて行った。



 それから十分が過ぎた。家政婦は戻ってこない。何をしているんだろうか。うちのガレージは裏口を出たすぐのところにある。何か事故にでも巻き込まれたのでは……だんだん不安が募ってくる。

 僕はしびれをきらして、ガレージへと急いだ。裏口のドアを開けるとムッとした生暖かい空気がモワッと入り込んでくる。思わず熱帯夜だなと呟く。

 ガレージの隅に、ビニール袋にまとめられた廃棄物が置いてあり、その横で廃棄物の袋並みに小さく丸まった家政婦の姿があった。何をしているのかとあきれつつも、無事だったことに安堵する。

「海野君……どうしたんだね?」

 諸々で怒っていたのだが、苦労して優しげな声で呼びかけてみる。

「……」

 家政婦はびくりとしたが、(うずくま)ったまま振り向きもしない。僕はイライラしてきた。

「海野君!黙っていては分からないだろう?」

 僕は家政婦の腕を取り、無理やり振り向かせた。

「……」

 僕は絶句する。なんなんだ?なんでこんなに泣いているのだ。ヒクッ、ヒクッとしゃくりあげる声が、生ぬるい風に乗って流れていく。

「……ごめ……んなさい……私……」

「泣くことはないだろう?まだ取り返しがつかなくなっているわけじゃなくて、ここにあるんだから、またリビングにでも戻しておけばいいよ。今夜、これから片付けろなんて僕は言うつもりはないよ?」

「……ちがっ…くて……もう……取り返しがつかなくて……」

 家政婦は再び激しくしゃくりあげた。

「?」

「わたっ…し……失敗……今までに……うっく……したこと……なくって……それで、ううっ……どうしたら……いいのか……わかっな……くなっちゃって…」

 家政婦は嗚咽(おえつ)の合間に苦しげに呼吸をしながら説明をし、子供みたいに泣いた。

 失敗?どの失敗のことを言っているのだろうか?それとも今までの失敗は失敗に入ってなくて、今までのものとはケタはずれな、何かどえらい失敗をしたのだろうか?僕は首を傾げる。

「海野君、失敗をした時は、まず正直に話して()びることだ。泣いていたって分からないだろう?」

 まるで小学生を(さと)しているようだ。うちの大学に来る学生は、偏差値はとにかく高いのだが、どこか人としてすっぱり忘れ物をしてきたんじゃないかと思われる学生が少なくない。失敗をしたことがないというこの子も、その類なのだろうと推測する。

「……実は、朝言われた黄色い液体が入った試験管のことなんですけど……」

 家政婦の告白を聞いて、僕は呆然とする。

 DNAポリメラーゼは、任意の遺伝子を試験管の中で複製する際に使用する酵素で、本来ならばPCR(ポリメラーゼ・チェイン・リアクション)マシンで使用するものだ。その酵素の試供品を昨日メーカーがくれたので、少しだけ大学の研究室から失敬してきたものだった。

「ドッグフードが?入っちゃったって?」

 僕はがっくりと項垂れる。

「ごめんなさい」

 ボロボロに泣き濡れている家政婦に、これ以上文句を言うのは酷か……と懸命に気持ちを切り替える。

しょうがない……またメーカーからもらった時に拝借しようと情けない気持ちで考える。

「ごめんなさい……」

 僕の溜息に気づいた家政婦は、謝罪を繰り返した。

「もういいから、これを運んでしまおう。ほら、()が狙っているよ?」

 僕は家政婦の顔の周りを旋回している()を追い払った。家政婦の顔は涙でべたべたに濡れていて、()も着地地点をどこにするか迷っているように見えた。

 リビングに戻っても、家政婦はしょげたまま浮上できないでいるようだった。

「君、もう二十歳過ぎてるんだっけ?」

 家政婦が頷いたので、僕はワインを取り出した。金色の蜂蜜色をした白ワインは、ほんのり甘めで爽やかな飲み心地が僕は気に入っている。

「ありがとうございます」

 彼女はワインを受け取ると、少しだけ口に含んで飲みこんでから、美味しいと呟いた。家政婦はようやく泣きやんだようだ。僕はほっとする。

 大体僕は、小学生以降、女の子を泣かせたことも、泣きやませたこともなかったのだ。簡潔にいえば、煩わしいことから逃げていた。そういうことだ。

「君のご両親は、さぞ心残りだっただろうね。君を一人ぼっちにしてしまって……」

 こんな(いとけな)い大人にしてしまったと天国で悔やんでいるかもしれない。

「そうでしょうか?私なら一人でも大丈夫だって言ってましたけど……しっかりしてるからって……」

 しっかりしてる?日頃から言われていたということだろうか。そうならば、よほど用心深く生きてきたに違いない。ここでは失敗だらけだしなと言う言葉をゴクリと飲みこんだ。もしくは、ほぼすべて、勉強以外のことは親にしてもらっていたのかもしれない、うちの学生にはありがちだ。いや、それならしっかりしているなんて言わないか……。

「先生、お子さんはいらっしゃるんですか?」

「お子さん?」 

 はっと僕は気づく。及川女史が、何かよからぬ情報を与えているのかもしれない。

「いや、子供はいない」

「先生が、もし奥様を連れ戻したいと思ってらっしゃるなら、私、喜んで協力しますよ。いつでもおっしゃってください」

 家政婦は目の周りをほんのり桜色に染めて微笑んだ。

「君、庶務の及川君から何を聞いた?」

 家政婦は白ワインをくいっと飲んでいる。

「及川さんは先生のことを変人だなんて言っていましたが、私はそうは思いませんよ。先生はジェントルマンだと思ってます。奥さまはきっと何か誤解をなさって逃げ出したんですよ。そうに決まってます」

 家政婦は、手酌で二杯目のワインを自分のグラスに注ぎ入れた。

 及川君め、余計な事をぺらぺらと……ふと、家政婦を見ると二杯目のワインを飲みほしていた。

「海野君、ワインを水のように飲んではいけないよ。かなり強いんだし……さっき、あまり食事をとっていなかったようだから、酔いが回るのが早いと思うのだが……」

「……」

 家政婦は顔全体を桜色に染めて、無言のままリビングのソファに(もた)れるようにして倒れこんだ。

「う、海野君?海野君、しっかりしなさい」


読んでくださってありがとうございました(*^_^*) 招夏


 ところで、招夏はDNAポリメラーゼというものを、実際に見たことがありません(^^ゞそれが、試験官に入れて持ち運べるものなのか、どの程度の量をPCRマシンで使うのかも、実は分りませんでした。もし、その辺の描写が事実と大きく異なっていて、あり得ない場合は、ごめんないさいです。参考図書として、「生物と無生物のあいだ」 福岡伸一 著(講談社現代新書)をあげておきます。科学本なのに、ドキドキ、ワクワクできる本です(笑)

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