番外編(5) きつね味 (海野真夏・視点)
冬が近いせいか、最近アンリは食欲旺盛だ。インターネットで調べたところ、アンリはニューファンドランドという犬種にそっくりだった。海難救助などができるようになる犬だと書いてある。川で興奮していたアンリを思い出してクスリと笑う。
「アンリ~、もっと落ち着いて食べなよ」
私は笑いだしてしまう。アンリのご飯の食べ方ときたら……まるで丸一日何も食べさせていなかった子供みたいだ。ガツガツという擬音がぴったり。
「ドッグフードって美味しいのかな。何味なんだろ?」
当然、答えを期待して言った訳ではない。なのに……
『きつね味だよ。ずっと前に狐の親子を食ったことがあるよ。子供は丸のみにして、親は内臓を引きずりだしてから食べたんだ。うまかったよ。特に内臓がね』
アンリが器から顔を上げて言った。
「え?」
私は呆然とする。びっくりして立ち上がったところで、アンリの小屋の後ろからクスクス笑う声がした。
「誰?」
不審者ならば、アンリが吠えるハズなのに、アンリはちらりとその声の方を見ると、お義理程度にフサフサのしっぽを一振りした。
「初めまして。俺は雪村麻人。君が海野真夏さん?」
先生と同じくらいの身長の少年が立っていた。
「雪村……」
先生と同じ名字だ。
「雪村冬馬の甥なんだ。聞いていない?」
私は首を横に振る。
「おっかしーなー、今日からしばらく厄介になるって親父から連絡が入ってるハズなんだけど……」
その人は首を傾げた。
「アンリは狐なんて食べてませんよ」
私は雪村麻人にお茶を出しながら文句を言った。
「アンリは捨て犬だったんだ。食べてないなんて誰も言えないだろ?」
「都内に狐なんているわけがないじゃないですか!」
私は更にむっとして反論する。
「何を怒ってるのさ。動物はみんな弱肉強食の世界で生きてる。弱い狐を猛犬が襲ったって何も不思議じゃない。そもそも、その狐だって更に弱いウサギの内臓を引きずり出して食べてたに違いないんだから」
でも、アンリはそんなことしない、内臓を引きずり出すなんて……どうしてこの人はそんな残酷な描写を何度もするんだろうか。私は気分が悪くなる。
「人間だって同じだろ?弱いものから奪い取る。君だって身に覚えがあるんじゃないの?」
私は呆然とする。血筋なのか、雪村麻人は先生に少し面ざしが似ていて、私はまるで先生に言われたみたいで、泣きたくなった。
「聞いてないよ。兄さんとなんて半年前に電話で話したっきりだ。なんでまた突然ここに居候なんてことになるんだ?」
先生は、雪村麻人がいることに驚いた様子だった。
「俺、今年受験なんだ。受験はもうちょっと先だけど、会場視察をしておきたくてね。ここなら都内の大学を見て回るのにちょうどいいから」
「ん?麻人、今年受験だったっけ?あれ?去年受験だったんじゃなかったか?」
先生は首を傾げた。
「ひどいなぁ、僕が浪人中なの忘れちゃったの?」
雪村麻人は傷ついたように言った。先生は悪いことを訊いたという様子で頭をかいた。
「どこを受けるんですか?」
本当はいつまでここに居るつもりなのかと聞きたいところだったが、露骨過ぎるかと控えた。視察する大学の数を聞けばある程度推測できるかと思ったのだ。
「んー、まぁ、色々とね」
詳しく語る気はないらしい。
「いつまで居座る気だ?」
先生がずばりと聞いてくれる。
「当分って感じ?できれば、こっちの有名予備校とかにも行ってみたいし……」
雪村麻人の言葉に先生と私は顔を見合わせる。そんなことになったら、ずっと居座ることになるじゃない。しかし、それよりも私が気になっていることは、雪村麻人が、やけに私に敵対的な態度や視線を送ってくることだった。気のせいだろうか。
「真夏、悪いね。兄に連絡をとって麻人のことはなんとかするから、それまで少し面倒を見てやってくれるかな?」
先生の書斎に行くとそう言われた。雪村麻人の父親は出張中で連絡がとれないそうだ。
「……私、この部屋に越してきてはいけませんか?」
雪村麻人は、私の隣の部屋を占拠することに決めたようだった。リビングの隣の部屋は気ぜわしくて嫌だといい、その隣は物置状態になっていたので、その隣……つまり私の部屋の隣ということになったのだった。そのことが、何故か私はひどく不安だった。
「真夏、いくら婚約しているとはいえ、その辺のけじめはつけた方がいいと思うよ?」
「でも……」
「僕は麻人のことを赤ん坊の頃から知ってるんだけど、まぁ多少口は悪いけど、悪い子じゃないんだ。君が心配するようなことはないよ。初対面なんだし、いきなり君を嫌うなんてことはないさ。考えすぎだよ」
それでも私の不安は収まらない。
「真夏、この部屋にはいつ来てもいいよ。何か不安なことがあれば、ここで過ごすといい。僕がいなくても、君が好きなように使ってくれて構わない。だけど、君の部屋は二階の部屋だ。そこはきちんとしよう」
先生の言葉に、私は頷くことしかできなかった。
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