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第一話 災難

こんにちは〜招夏です(*^_^*)「空想科学祭2009」に参加する為に新作を作ってみました。全十三話の連載です。週一または二で更新していこうと思います。どうぞよろしくお願い致しますm(_ _)m

短い梅雨が早くも明けようとしていた。

しかし、その年のせこく湿った大気は実に陰湿で、容赦なく脳内までをも侵食し、私を混乱と虚無感と途轍もない寂寥感の渦に陥れた。


たぶん、私は途方に暮れてしまったんだ思う。


『真夏はしっかりしているから大丈夫ね。パパもママも安心していられるわ』

 なーにが、安心していられるわーだ。私は悪態をつく。私はまだ大学生なんだよ?住む所はどうしたらいいの?生活費は?三度のご飯は誰が作ってくれんのよ。私一人でどうしろってゆーのよ。


 不思議と涙は出なかった。ただポッカリと胸の中に穴があいてしまって、それをどうやって、何で埋めたらいいのか分からなかった。

だから……立ち(すく)んで、途方に暮れてしまったのだ。


私は混乱したまま、退去勧告を下された家から荷物を運び出し、格安のトランクルームに預け、大学に近い駅前の安ビジネスホテルの一室に部屋を確保した。ホテルのシンプルなベッドに腰を下ろし、リモコンでテレビに電源を入れる。特に目的もなく番組を見ている間に、途方に暮れていた気持ちが徐々に変性した。

これからは、お金を稼がなきゃならないだろう。両親が口座に残してくれた生活費は、それなりにあった。残りの学生生活もそこそこ送れるはずだ。しかし、それは所詮水たまりだ。雨が降らなければあっという間に枯渇してしまう。後二年の間に、不測の事態が絶対に起こらないという保証はない。

有効貯水量二億八千九百万立方メートル、四国最大の、あの早明浦(さめうら)ダムでさえ、毎年のように渇水しているではないか……。

NHKの七時のニュースを見ながら、私は、心の中に焦燥感が入道雲のように湧きあがるのを感じていた。





「あなた文学部の学生?」

 大学の庶務の及川さんは「お局様」と学生には呼ばれて恐れられているが、とても綺麗で姉御肌な人だ。

「ええ、そうですけど?」

「言っちゃあなんだけど、この先生は変人よー。苦労すると思うんだけどなー」

 及川さんは美しい眉を八の字に下げた。

 大学が斡旋(あっせん)してくれるバイト先一覧を何度も確認しているうちに、一つだけ私の求めていた条件に合うバイトを見つけた。割りのいい家庭教師などにも()かれるものはあったが、生活をしていく為にはホテル以外の「住」を確保する必要があった。

平たく言えば、私は住み込みのバイトを探していたのだ。

「理学部の先生なんですよね?」

 私はバイト先を再度確認する。私が通っている大学は、結構名の通った大学だ。仮にもその准教授をしている人ならば、例え変人と言っても許容範囲なのではないかと私は楽観視した。

「まぁ、駄目元で行くだけ行ってみたら?これ住所と電話番号。直接お宅に行ってみて?今日だったら、水曜日だから……あら、ラッキーね。六時にはお帰りになっているはずよ。伺う前に必ず電話でアポとるのを忘れないでね」

 その時、及川さんが意味ありげな顔で笑ったのに少し引っかかりながらも、私は行ってみることにした。

 私は渡された住所に視線を落とす。大学からそう遠くないし、駅も近い……強いて難を言えば、それが高級住宅街にあるということぐらいだ。

 高級住宅街の住み込みの家政婦……家政婦としての高スキルを求められるか、今流行りの危ないメイドオタク系か……どちらかしか思いつかなかった。もっとも、前者なら雇われないに決まっているし、後者でも雇われないに決まっているので、まぁ、ほぼ絶望的だと言うことだけは推測できた。





 夕暮れの高級住宅街を私は歩いていた。駅からバスもあったのだけれど、土地勘を持ちたくて歩いてきた。

 駅前の商店街を抜けて、抜けたところから始まる少しノスタルジックな街並みを眺めながら歩くのは、気持ちのいいことだった。都会のど真ん中にありながら、どこか懐かしい……そんな路地が延々と続く。

ゆったりと庭を確保した家並み。ノウゼンカズラのオレンジ色、円錐形に刈り込まれたコニファーが縁取る開放的な芝庭、大反魂草(オオハンゴンソウ)の黄色い花が咲き誇る玄関先。

どれもこれも、さりげないようでいて、お行儀がいい。


「雪村」という表札を見つけたのは、ものすごく長く(いか)めしい(へい)を半ブロック程歩いた場所で、だった。それまでのフレンドリーでおしゃれな家々とは少し趣を異にした、古めかしく厳つい門構え。門の中には「庭師がいい仕事してますなぁ」と町内会のオヤジが言いそうな枝ぶりの松や梅が植えられ、「OH!枯山水デスネ?」と外国人観光客が写真を撮りそうな庭石や石灯籠が配置された日本庭園が広がっていた。

 立派な門扉の前で私は途方に暮れる。呼鈴がどこにあるのか分からないのだ。大声で叫ぼうが、囁こうが、どちらにしても家の中の人には、自分の来訪を伝えられそうにないということだけが分かった。

もう少し、本体に近づかねばなるまい。そう考えた私は、「あのー、失礼しまーす」と小声で呟きながら門扉を開け中に入った。

 門扉に鍵はかかっていなかった。金属が擦れる音を響かせながら、門扉は開いた。門扉を閉めようとした時、だらりと下がっていた(かんぬき)が目に留まった。几帳面な私が、それをきっちり掛けて二、三歩進んだ時だ、黒っぽい大きな影の塊のようなものが奥から飛び出してきた。


「ワンワン」などと言う可愛いものではない、「バァウ、ボォウ」と言う感じの低い大型犬の吠え声に私は硬直した。そいつは吠えながら、一直線に私の足元まで駆け寄ってきた。

四足の状態で、私の腰の位置まで高さのある大きなやつで、それだけでも威圧感ありありなのに、こともあろうか、そいつは前足を高く持ち上げて私の肩に乗せたのだ。

黒い毛と黒い睫毛(まつげ)に縁どられたサファイアブルーの瞳が、私の瞳を覗き込む。黒っぽい門扉に背中がぶつかって、ガチャンと大きな音をたてた。

 しまった!(かんぬき)を掛けるんじゃなかった、自ら退路を断ってしまった。私は、ここで魔獣に襲われて死ぬ運命だったのだーと観念して目をつぶった時、そいつは私の顔を生ぬるいヌルヌルの舌で舐めまわした。


「アンリ!やめなさい。アンリ、おすわり!」

 魔獣の後ろから声がして、その黒い魔獣は突然大人しくなった。しかも、僕聞き分けの良い子だもん、と言いたげな上目づかいでちょこんと座っている。

「アンリ、駄目じゃないか。あまり変なものを舐めるとお腹を壊す」

 背のひょろりと高い男だった。年の頃は三十代後半から四十代前半、いかにもマッドサイエンティストという感じの黒ぶちの眼鏡(メガネ)をかけていて、ヨレヨレの白衣の前ボタンを全部外したまま羽織り、ぼさぼさの髪で、素足で履いているサンダルのつま先がやけに白かった。


 この人が准教授その人なんだろうか。私は呆然と犬と男を交互に見つめた。


 その男は、これ以上ないというくらい甘い顔で、黒い魔獣の頭や胸を撫でまわし、黒い魔獣は、それ一本で襟巻にできるだろうと思われるぶっとい尻尾を嬉しそうに振り回した。

「ちょっと!失礼じゃないですか?いきなりそんな魔獣をけしかけておいて、人のことを変なもの呼ばわりするなんてっ!」

 私は声を張り上げた。助かったという気持ちよりも、無礼者!という怒りの方が強かったのだ。

元々、犬はそんなに嫌いじゃない。少しばかりビビっただけだ。それでも、文句を言えるくらいの気力はあったが、文句を言っていい相手なのかどうか判断する冷静さはなかった。

「君は誰かね?君こそ失礼だろう?人の家に勝手に入ってきて……」

 その男は、立ち上がって胡散臭そうに私を見下ろした。

「勝手じゃありませんよ。ちゃんと声をかけました。呼び鈴もないのに、どうやって人を呼べば良かったんですか?」

「それは君が勝手口から入るからだ。表に回るべきだったな。門扉には(かんぬき)が掛っていたはずだが」

「掛ってませんでしたよっ」

「おかしいなぁ」

 男は首を傾げた。

 こんな魔獣を放し飼いにして……おかしいのはあなたです、と言う言葉を私はぐっと呑み込んだ。もしかしたら、この人は私の雇い主になるかもしれない訳だし、『口は災いの元』という諺を思い出せるくらいには冷静になってきていた。

 しかし、この日本庭園のどこが裏になるのだ?むちゃくちゃ表じゃんか。私は心の中だけで文句を言った。

「で?君は誰?何の用事?保険なら入らないよ、新聞も間に合ってる。それに……」

 男は眉間にしわを寄せてまくし立てた。

「違います!私は帝都大学の学生です。大学から紹介されましてバイトを……」

「おお!助手のバイト君か!」

 その男は急に表情を明るくして、警戒を解いたようだった。やはりこの人が雪村准教授だったのだ。

「おめでとう!君は第一関門をクリアしたようだよ」

「はぁ?第一関門?ですか?」

 関門?どこにそんな関門が?私は思わずキョロキョロしてしまう。

「うちにはアンリがいるからね。アンリが嫌がるようなら来てもらうことはできないのだよ」

 ああ、犬か。しかし……こんなでかい魔獣くんでしょ?こっちが嫌がるってことは考慮しないわけ?私は遠い目で考えた。犬が嫌うようなら、餌ででも懐かせればいいことじゃん!タカが犬でしょ?という言葉をごっくんと懸命に呑み込む。


「では、第二関門だ。これから僕が出す問題に答えられたらクリアだ」

 あんたはスフィンクスか?答えられなかったら食われちゃう、なーんてことないだろーな。私は虚笑いをかみ殺した。

「三人の数学者が立方体を見せられ、これは何かと尋ねられた。すると、幾何学者は『立方体です』と答え、グラフ理論学者は『十二の辺で結ばれた、八つの点です』と述べた。ではトポロジスト(位相幾何学者)はなんと答えたか」

 雪村准教授はたて板に水のようにベラベラとしゃべった。

「トポロジスト……ですか?」

「そうだよ。これはジョークだ。講義でもこの話はしただろ?」

 雪村准教授は悪戯っぽく微笑んで、瞳を輝かせた。彼に吹き出しをつけるとしたら、『おもしろいよねー』ってところだろうか……。ああ、そうじゃなくて、問題の答えだ。

 ジョーク…ということは最後にオチがくるってことだよね。立方体……トポロジスト……トポロジスト?トッポロジスト?トッポ……。

「キャラメル……なーんてことはないですよね?」

 トポロジスト自体が分からないのに答えられるわけがない。トポロジストという言葉から、あるチョコレート菓子を連想して、立方体の菓子と言えば、それしか思い浮かばなかったのだ。

「君は……僕の講義をなにも聞いちゃいないね?トポロジーの重要性をあれほど僕は口を酸っぱくして教えてきたはずなのに……そう言えば、君の名前を聞いていなかったな。参考のために聞いておこう。おそらく君はこの大学を卒業できないだろうよ」

 雪村准教授は急にテンションを下げて、陰鬱な表情でそう言った。そんな事を言われて、名前を教える馬鹿はいないと思うのだが……。

「ちなみに、トポロジーとは何か、それくらいは分かっているんだろうね?」

「トポロジーですか……それは……」

 私は少し破れかぶれになってきていた。こんなヘンテコな難問に答えなければ採用されないと最初から分かっていれば、わざわざ出向くこともなかったのに。

「円柱の筒に空洞があった場合ですね……」

 なぜか雪村准教授は私の言葉に非常に強く反応した。吹き出しをつけるなら、『うんうん、それで?』と言ったところだ。

「その空洞には、チョコレートがたっぷり詰まっているということですよ」

 私の答えに、雪村准教授は絶句したようだった。当然のことながら、そりゃ『トッポだろ?』などと突っ込んでもくれないようだ。

「不可!不可だよ!君。君の帝都大学生活も終わりだと思いたまえ。さっさと帰るといい」

 雪村准教授は塩でも巻きたそうな様子でまくし立てた。私はむっとする。

「ええ、言われなくても帰ります。でも、最後に言わせてもらいますけど、いくらあなたが准教授でも、私の帝都大学生活にピリオドを打つことは不可能だと思います。なぜならば、あなたは不可はおろか、優・良・可のどれをも私の成績に刻印することができないからです。花丸だって無理です!」

 私はすっかり挑戦的になっていた。おお、できるものなら、やってみろと。実に無謀だった……と思う。今では雪村准教授の懐の深さに感謝している。

「なんだと?僕が必修を持っていないとでも思っているのかね?君は何か勘違いをしていないか?」

「勘違いをなさっているのは先生の方です」

 私は声を張り上げた。

「なんだって?」

 雪村准教授は蒼白になった。

「だって、私は文学部の学生なんですから、そんなの分かりっこないですよ!」

「なんだって?」

 雪村准教授はぽかんとしているようだった。

「言語文化学科なんですっ!」

「……」

 お互い言葉もないまま見つめ合う。

「君……大学の紹介で来たと言っていたよね?」

「はい」

「実験の助手のバイトを募集していたと思うんだが」

「いいえ、住み込みの家政婦のバイトだと聞いてきました」

「なんだって?」

「私……住み込みのバイトを探していたんです。つい先日、両親が遠い所に行ってしまって……私、一人でやって行かなきゃならなくなって……リゾート関係とか新聞屋とかならあったんだけど、リゾート関係は勤務地が遠いし、新聞屋は割が悪くて……。でも、まぁ、仕方がないかって思ってたら、こちらの家政婦募集の情報を大学からもらって……まぁ、でも、無理だろうなーとは思ってたんです。私、家政婦なんてやったこともないし、自炊もしたことないし……部屋の掃除だって、今までみんなママが……」

 不覚にも私は泣きそうになった。

「君、ご両親は……」

 雪村准教授は眉を八の時に下げた。

「お騒がせして、すみませんでした」

 私は頭を下げてから、クルリと踵を返すと、門扉に手をかけた。後ろでアンリがクーンと悲しげに泣いた。泣きたいのはこっちだよと思いつつ、なんとなくタイミングが良すぎてちょっぴり……いや、かなり嬉しかったので、再び振り返って黒い魔獣の頭をグシグシと撫でた。


きっと、私は泣き笑いの変な顔をしているに違いない。でも、もうどうでもいいや、もう会うこともないんだし。そんなことを思いながら、アンリの首をクシャクシャに撫でた。うつむいた状態だったので、涙がぽたぽたとダイレクトに地面に落ちる。自爆だ。

「君……今、どこに住んでいるんだね?」

 雪村准教授が訊いてきた。

「駅前のビジネスホテルに仮住まいです」

 私は鼻水をずずーっと啜りながら答えた。

「君、御飯くらいは炊けるのかね?」

 突然、雪村准教授は威厳を回復したかのように胸を張って訊いた。

「そりゃ、多少の料理はできますよ?でなきゃ、家政婦なんて申し出ないでしょ?」

「ふん。それなら、ここで働けばいい。うちの学生が困っているのを黙って見過ごすわけにもいかんだろうからね。いつから来られる?」

「え?あの?え?あの……今からでもすぐに!」

 突然、雪村准教授の背後に後光が差したように見えた。

「では、すぐにホテルを引き払ってくるといい」

「はいぃっ!」

 私はぴょこんと立ち上がると、直立不動で敬礼をした。

 雪村准教授は眼鏡のふちを中指でぐっと押し上げながら、私を見下ろすと、初めて柔らかい表情で微笑んだ。




読んでくださってありがとうございました(*^_^*) 招夏

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