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二 『脱出』 - 4


 歩き出そうとして膝の近くまで水が浸り、慎重に動かないとまた足をもつれさせて転んでしまいそうだった。

 あたりを警戒しながらも、じりじりと化け物が居るはずの場所から遠ざかる。

 このまま逃げ切ることが出来れば、無事に城を抜け出すことが出来るのだ。こんなところで、死ぬわけにはいかない。

 静かな地下の水路の中で、水の音だけがやけに耳に残る。動くものの気配は一応していなかった。


 ――今なら逃げられるかもしれません。


 そう思い、走りだそうとして視界がいきなり上に流れていく。頭が事態を理解する前に視界のほとんどが水に覆われてしまっていた。

 パニックを起こしそうになって、駄目だと頭が覚醒する。人間相手はどうしていいか分からないけど、この状況なら落ち着いた方が事は簡単だ。

 すぐに冷静になったおかげで、自分の足が引っ張られたのだと気が付いて逆に血の気が引いた。

 死に物狂いで自分を掴んでいる物を足蹴にして、振りほどこうと試みる。それが功を奏したのか、不意に自分の足を引く力が弱くなった。

 何とか振りほどいて慌てて水面から顔を出すと、自然と肺が呼吸をし始め、水を吐き出す。


「んごぼっ、がはっ! えほっ! あの、サハギンは何処に……!」


 捕まれていた方向に目を向けると、魚人が二足で立ち上がって、こちらを焦点の合わない目で見つめていた。

 逃げるために立ち上がろうとして、不意に足と腹部に痛んで顔をしかめる。目だけで確認すると、服に血が滲みだし、汚水の上を流れていた。どうやら、先ほど足を引っ張られた時に爪をひっかけられてしまったようで、はやく治療しなければまずいことになるかもしれない。

 それに気が付いたのか、目の前の化け物の口がゆっくりと笑みに変わった。

 怖気が走った。あいつは今私を殺せると確信して笑っている。恐怖した私を見て、まるで人間のように笑ったのだ。

 そして、満足したように大きな鉤のような爪がついた手を振り上げる。指と指の間から、水滴と彼の粘液らしき液体が滴り落ちて、私の足元にしたたり落ちた。

 水の中で必死に後ずさりをして、こいつとの距離を取ろうともがく。同時に後ろで何かないかと水の中を探った。


 ――せめて、木の枝でも何かでもあれば……! 


 しかし、無情にもそんなものが落ちている気配は全くなく、指は汚水の気持ちの悪い抵抗と虚無を掴む手のせいで心の中が焦りで満ちていく。

 そうしている間にも、あの魚人は一歩一歩確実に自分の方へと向かってきていた。

 必死に水の中を探り、そこに固く重い物体を見つけることが出来た。歓喜しそうになったのもつかの間、それはとても重く弱り切ってしまっている細腕では持ち上げられそうになかった。


「こんな、こんな時に……!」

「シャアアアア!」


 慌てて両手でそれを持ち上げようと怪物に背を向けると、耳に、醜い生物の声が聞こえてくる。


 ――早く、早く。


 力を入れすぎた手が、白く染まっていた。いや、元々だったかもしれない。

 焦る気持ちが誰かに通じたのか、誰かに押されるように重かった棒状のそれが持ち上がった。持ち上がったそれを握り直すと感覚のなくなった腕に、ずしりとした重みだけがのしかかる。

 こんな……、こんな誰もいない地下水路なんかで。

 シャルロット様を迎えにもいけず、死ぬわけにはいかない。



「私は……! 私は生きるんだ!」



 目を閉じて、拾いあげた何かを襲い掛かってきていた口めがけて突き出した。

 次の瞬間。手の中には何かを貫く嫌な感触とぬるま湯のような何かが手元を伝い、生臭い匂いが襲って、何もないはずの胃の中を戻しそうになってしまう。

 吐き気を抑えられずに手をおろして上を向くと、目の前には槍のような鉄塊と、その槍に貫かれてしまっている魚人の姿が映し出された。

 どうやら必死に引き出そうとしていたのが、偶然魚人の皮膚を貫ける槍だったようで、魚人の胸を貫いた矛先が、生物特有の赤黒い血を滴らせながら、主人の仇を果たしたと言わんばかりに欠けていた。

 槍の根元の方へと視線を向けていくと、槍が落ちていたである場所には朽ち果てた人の骨と、胸元が切り裂かれた服の残骸が浮かんでいた。

 きっと持ち主と共に槍の重みで底に沈んでしまっていたのだろう。

 その手は、無念を示すかのように魚人を貫いた槍に置かれ、魚人にとどめを刺せたのは彼のおかげだったようだ。

 彼がいなければ、きっとここで死んでしまっていたのは私だった。


「ありがとう、ございます。助けていただいてしまって」


 私はそこに居た人にお礼を言った。

 お礼を言ってすぐに私は前の通路に視線を戻す。ここはまだ城のすぐ近くのはずだ。このままここで倒れてしまえばきっと誰かに見つかってしまう。一刻も早く逃げなくてはいけない。

 水から這い出すように抜け出し、壁を使って立ち上がる。そのまま、壁を支えに奥へと直進することにした。


 ――このまま進めばきっと出口があるはず。


 今すぐにでもここから逃げ出したい。そう思ってしばらく体を動かしていたが、ろくに運動もしていなかった体であんな魚人の襲撃に耐えられるわけもなく、すぐに限界が来てしまう。

 膝が笑って動かなくなってしまいそうになり、頭にももやがかかったように何も考えられなくなっていく。

 瞼が自然と下がっていくのが薄れていく意識の中でもはっきりとわかる。

 どれだけ虚勢を張ろうとも、死の恐怖に襲われ、傷を負った体が限界だった。

 そのまま体が倒れていくのを何とか腕だけで支え、水の流れていない通路に這い上がってなんとか四つんばいになる。這ってでも進もうとするが、その体力も体には残されていない。

 ゆっくりと体が冷たい石の上に落ちていく。

 こんなところで……。


「逃げ……、と……」


 もはや声を出すこともままならず、目の前が暗くなってい行ってしまう。そのままわずかな抵抗もむなしく、視界はゆっくりと無くなっていった。




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