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二 『脱出』 - 3


 すぐに出よう。そう思って身をかがめ、ふと、シャルロット様の前からいなくならないという約束を思い出してしまう。

 絶対に居なくならないという約束をした手前、後ろ髪を引かれてしまう。

 しかし、このままではタルボットに殺され、それこそ生きて会うことはできなくなってしまうだろう。

 せめて、何とかしてシャルロット様に自分が脱出したことを伝えたい。どうすればそれができるかを必死で考えて焦りながら周りを見渡した。

 いつもシャルロット様が腰掛けて笑ってくださるソファ。飲みかけの紅茶がいつも置かれていたテーブル。ルビーが座っている暖炉に、ボロボロの服……。

 ぼろぼろの服と言えば、初めてシャルロット様と出会った時も、たしか奴隷の服を着ていて、彼女はルビーを抱えていたことを思い出し、ハッとする。


「そうだ、この服を仕掛けに結んで、ルビーにシャルロット様へ伝えてもらえば!」


 手に持っていたぼろきれを引き裂き、鎖の仕掛けにぼろきれを結び付けてきっちりと結ぶ。

 そして、暖炉の上に置かれていたルビーを暖炉の中、出来るだけ煤で汚れてしまわないように近づけ、ぬいぐるみの腕を暖炉に引っ掛けて上を向くように固定する。


「ごめんなさい、シャルロット様。そして、ルビー。私の我が儘に付き合ってください」


 煤で汚れてしまうかもしれないが、私がここに来たという証拠を残すにはこうするしかない。

 こうすれば文字は書けない私でも、シャルロット様もこのエトワールがやったのだと気が付いてくれるはずだ。


「おい、さっきの音はどこからだ!」「この辺りの部屋のはずだ、探せ!」


 必死になって結んでいると廊下の方から再びそんな声が聞こえてくる。

 どうやら秘密の出口を使った際の音を外の兵士が聞きつけてしまったらしく、音を聞きつけた兵士が駆けつけてしまったらしい。

 焦らないようにぼろきれを結び付け、服が煤まみれになるのも構わずに暖炉の奥に逃げ込んだ。

 自分の腰ほどしかない小さな入り口をくぐり終え、城の廊下と同じレンガ造りの壁に手をかけて立ち上がると、


「あ、この出口はどうしたら……」


 足元で何かを踏んでしまいよろけてしまう。慌てて壁に手を付こうとし、手に何かが当たったのでそれを掴んでバランスをとる。すると、音が出始めて自分のいる場所の明かりが無くなってしまった。

 慌てて自分が入って来た場所を感覚で探るが、先ほどの音はどうやら入り口をふさぐ仕掛けか何かの音だったようで、どこにも入り口を見つけることはできなかった。

 探せばこちらから入る手段があるかもしれないが、今は一刻も早く逃げることを優先しなければいけない。

 暗くなって足元も見えなくなってしまったので、手でざらざらとした石の感触を確かめながらゆっくりと歩を進める。

 空気が湿ってきて、嫌な感じが肌を包み込んで行くのがわかった。

 水が腐ったような不快な匂いが鼻孔をついて、この先がどんな場所なのかが嫌でも理解させられた。ある程度下りていくと、壁の松明掛けに、たいまつと火打石がご丁寧に用意されていた。


 ――これ、まだ使えるでしょうか。


 松明掛けから松明と火打石を手に取る。慣れないながらも火打石でなんとか松明に明かりをつけると、薄暗いながらも周囲が浮かび上がってくれた。

 やがてゆっくりと暗闇と光に目が慣れてくると、どこまでつながっているか分からない半円系の暗い足場と、目の前を流れる水路が左右に続いているのが見えてきた。

 松明を掲げて左右の道の先を見てみる。しかし、松明の明かりが届く範囲の外にも暗闇は広がっていて、視界を確保することも難しかった。

 その先がどこに続いているのかも分からずに足元の水に視線を移す。

 私の頭はあまり良くないが、流れていく水を見ればどちらに流れているかくらいならわかると思ったからだ。

 水を見るために水路に近づく。ひざまずくようにして水を覗くと、どこからか水の滴る音が聞こえてきて、どことなく不気味な雰囲気が漂っていた。

 水は思っていたよりもずっと深い場所があるようで、今自分が覗いている場所もそんな場所、地面が濁っていて見えない箇所だった。

 水に吸い込まれてしまいそうな、そんな不思議な感覚に陥って――。



『死が近づいています。立ち向かいなさい、エトワール』



 脳裏に誰かの声が響いて、私は誰かに髪を引っ張られたかのような感覚がして思いっきり身を引いた。



 その瞬間、目の前に一つの水柱が上がった。



 何が起きたのかわからず呆然と目の前の光景を眺めていると、雨のように水が降り注いで徐々に水柱の正体があらわになっていく。

 松明の光に照らされて、鈍く輝いている濡れたかたびらのような体の表面。手足の先には奇妙な膜の張った指があり、水のある場所に居ると言われている魚という生物の頭を持っていた。

 頭らしき場所の中心には、鼻と思わしき黒い点が二つ空いていて、人間なら目に当たるであろう白く濁ったような球体があり、それはまるで死んだ人間の眼と同じように白く濁っていた。

 私のような貧民でも聞いたことがある。

 水辺に住み、近づく人間を襲う魚人型の魔物。

 水生の魔族――サハギンと総称されている化け物が目の前に立っていたのだ。

 恐怖で体が動かせずにいると、ぎょろりと白く濁った目が動いて、自分の方を睨んだ気がした。

 先ほど牢から逃げ出した時のように、頭で考えるよりも先に手足が動き始め、手を地面につき体の方向を入れ替えて一目散にその場所を離れる。

 すぐに奇妙な鳴き声が聞こえ、振り返ると魚人が水しぶきを上げながら追ってくるのが見えた。


「な、なんであんな化け物がここに……!」


 そう言ってから、シャルロット様のお言葉を思い出して自分の迂闊さを呪った。

 シャルロット様はお母様からここに魚の化け物が住んでいるから、非常時以外は使ってはいけない言われていた。ということは非常時でもないと、ここを通れない理由なりなんなりがあるとみてしかるべきだった。

 もう一度、視線をあの化け物に向ける。いまにも飛び掛かってこようとしている魚人の姿が見えて慌てて水路の中に飛び込んだ。

 慌てすぎていたせいか、バランスがうまく取れずによろけてしまい、顔こそ打たなかったものの一回転して尻餅をついてしまった。

 水がかびたようなにおいが鼻孔を通って鼻全体に広がり、否が応でも判断力が邪魔されてしまう。


「えほっ、けほ……。さっきの、やつは!」


 立ち上がって慌てて見回してみるが、あたりはひっそりとしていた。

 自分の立てる水音しか耳に入ってこないのを考えると、さっきまでのが夢だったんじゃなかろうかと錯覚すら覚える。


「とにかく逃げないと……」



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