一 『エトワール』 - 4
自分に口答えをされたのが嫌だったのか、シャルロット様は頬を膨らませていた。彼女は黙ったまま暖炉の上のぬいぐるみを指差した。
「ねぇ、エトワール。暖炉の上にあるルビーを取って」
「はい、ルビーですね。少々お待ちください……はい、どうぞ。ルビーです」
「ありがとう。……あのね、エトワール」
「はい? どうかしましたか?」
「お父様がね、こんな場所にいないで、もっと奥の城に戻っていなさいって言うの」
余りにも非情なタルボットの言葉に、頼まれていたルビーの手を強く握ってしまい、慌てて離す。
この城からシャルロット様が居なくなる。そう考えるだけで、背中に虫が這いずるような悪寒を覚えた。今私が生きていられるのはこの城にシャルロット様がいらっしゃるからだ。もし、彼女がこの城からいなくなってしまうようなことがあれば、どうなってしまうかなんて想像に難くない。
シャルロット様を不安にさせないようにと、首を振って自分の中の気持ちを押し隠す。
「どうしてですか? 私は奥の部屋の方が安全だとは思いますが……」
「いやよ。私、ここがいいわ。お母さまも住んでいたこの場所が。なのに……」
「それならば、お母さまの物もそちらへもっていかれてはいかがでしょうか」
「……もうお母さまの物は残ってないわ、エトワール」
「え?」
残ってない。
そう聞いて、新たな疑問が浮かび上がってしまう。
シャルロット様のお母さま、ということはタルボットの妻であるはずだ。なのにシャルロット様によればその妻の物はもう何も残っていないという。
訝しんでいると、シャルロット様はお言葉を続けてくださった。
「それだけじゃないわ、危ないからって城を出たこともないし、他の貴族の方からお茶会のお誘いも一回も来ないの。でも、婚約はしろって。私、どうしてそんなことを言われるのか全然わからないの……」
何と答えればいいか分からなくなってしまう。
貴族の暮らしには詳しくない。だが、貴族という立場の人間は本来であればもっと社交の場というものが用意されているものなのではないだろうか。
私は月に数回しか会うことを許されていなかったが、溺愛されているはずのシャルロット様が城も出たことが無いというのは奇妙な言でしかなかった。
不安と疑惑がよぎってしまうけれど、今の私にはどうすることもできない。
なんとか、シャルロット様が不安になられないように考えてお答えするしかなかった。
「きっと危険な場所に行かれてしまうのが心配なんですよ」
「むぅ、エトワールまでそんなことを言うの……。じゃあ、エトワールが付いてきてくれるのなら我慢する」
「私が、ですか?」
「ねえエトワール。もし本当にそうなったら、ついてきてくれる……?」
再び何と答えてよいの分からなくなり押し黙ってしまう。
私は奴隷だ。
もっと言うのであれば、このアフェール領を所有するタルボットが買った奴隷であり、シャルロット様のお言葉でぎりぎり生き繋いでいる身に過ぎない、ただの奴隷。
彼女との約束は確約できる立場ではない。
でも……。
「そうですね……私でよければ、お供いたしますよ」
「本当?」
「ええ、本当です。と言っても、私が力になれるかは分かりませんけど」
「ううん、エトワールが居るなら怖くないわ!」
シャルロット様が庭に咲いている赤い花のような笑顔を見せると、ハッとして何か迷ったような表情になってうつむかれてしまう。
どうしたのだろうかと思いつつも彼女の前にルビーをお持ちした。
「ねえ、エトワール……。もしもの話よ? もし、またお兄様に苛められそうになったら私の、この部屋に来てほしいの」
「シャルロット様のお部屋に、ですか?」
ルビーをシャルロット様に手渡していると、シャルロット様は急にそんなことをおっしゃられた。
なるほど、確かに今日のクリヴァールの態度を見る限り、彼女の下に行けば躾をされるのは避けられるかもしれない。
「確かに、クリヴァール……様といるよりも、シャルロット様と一緒に居たほうが私は安心が出来ますけど」
「ううん、ちがうのエトワール。そうじゃなくて」
私の発言にシャルロット様は首を振っていた。
不思議だ、いつもは包み隠さずにすべてをおっしゃる方だったはずだ。彼女がそれほど渋る、ということはよほど言いにくいことかもしれない。
心配になって彼女の顔を覗くと、いつもは薔薇色のような頬が少し濁っているような気がした。
「お顔の色がよくありません。なにかあったんですか?」
「ん……。あのね、エトワール。本当に私についてきてくれる?」
まるで私が居なくなってしまうと思っておられるようなお顔で見つめられてしまう。今までにない対応と、声色で心がざわついてしまう。
「もちろんです。なにか、心配事がおありなのですか?」
「エトワールお父様たちになにかした?」
シャルロット様のお言葉に耳を疑った。
必死に記憶を探ってみるがそのようなことは決してないはずだ。むしろされてしかいない。
いったい、何のことだろう。
「私が、お二人に、ですか? いいえ……私は何も」
「本当?」
「人間たちを守護する絶対神に誓って。そのはずです」
「……私ね、聞いたの。お父様がお兄様にエトワールを追い出すように言ってたのを。だから、もしかしたらエトワールが悪いことをしちゃったんじゃないかって」
「それは……っ、それは本当ですか、シャルロット様」
「うん、私もおかしいって言ったの。エトワールはたくさん私と遊んでくれているのになんでエトワールとお別れしなきゃいけないのって」
「それでも、その城主のタルボット様が私を追い出したほうが良いと」
「うん……。エトワールはもうダメだって、お父様が」
気分が悪くなって、息を止めていられなくなり気持ち悪さを無くすために息を吐いた。
吐き出した吐息は震えていて、自分にとってその想像がどれだけ恐ろしいのかと考えずにはいられない。
目の前の光景が揺れて、体が斜めになる前に慌ててシャルロット様が腰かけているソファの端に手をついて、気取られないようにシャルロット様の横に腰かけた。
もしシャルロット様の言葉が本当なら、このままこの城に居ればなにをされるかわかったものじゃない。逃げ出さなければ、命すら危ういかもしれない。
しかし、とも思ってしまう。
仮に逃げる方法を見つけ、なんとか逃げ出せたとして、今ここでこうして生きていられているのは目の前に居るシャルロット様のおかげだ。
彼女を見捨てるような形でこの城を離れるわけにはいくはずもない。
どうするべきかを考えていると、不意にスカートの裾を引かれる。視線を落とすと、裾を握って引いているシャルロット様の姿が目に入る。どうしたのかとみるとシャルロット様の頬が濡れていた。
「しゃ、シャルロット様?」
そう声をかけると、すぐにハッとした表情になって私の腰に抱き着いてきてしまわれる。
汚れてしまっている私の体に、これ以上触れさせるわけにはいかない。だというのにシャルロット様は私の腰をぎゅっと抱きしめてはなれようとはしなかった。
力づくにでも離して差し上げるべきかと迷うと、服を通して彼女の嗚咽の声が漏れて聞こえてきて離してしまうのを躊躇してしまう。
「お母様はこのペンダントを残していなくなっちゃったの」
「っ、初めて知りました。そのいつもつけていらっしゃるペンダントはお母様の物だったんですね?」
「うん……。私、お母様だけじゃなくてエトワールまで居なくなってほしくない。ねえ、居なくならないよねエトワール。エトワールは私が見つけたんだもん」
「シャルロット様、私の臭いが移ってしまいますよ。それにあなたのお洋服が汚れて――」
「だって、だってみんな酷いこと言うだもん。エトワールから離れろって」
「それは仕方がありません。私はただの奴隷でシャルロット様には似合いませんから」
「そんなことない!」
「シャルロット様……」
「だって、エトワールはお母様以外で初めて褒めてくれた。皆意地悪ばっかりなのに、エトワールだけはいっぱい褒めてくれたもの。それなのに居なくなっちゃうなんて……」
そこまで自分のことを慕ってくれていたことに感銘を受けた。
同時に居なくなってしまうと言葉にするシャルロット様に、なんて言っていいのかわからずに言葉を詰まらせてしまう。
ここまでシャルロット様へのお答えに詰まってしまうのは、自分の無知故でしょうか。
彼女の告白に、胸が痛くなってしまいました。
シャルロット様のお母様はとうの昔に亡くなっているのは知っていた。
どうしても気になって、殴られるのを覚悟で食事を運んでくる兵士から聞きだしたのだ。どうせ居なくなるとでも思っていたのであろう。暇だったのか、彼は色々と話はしてくれた。
兵士の話では、彼女のお母様はご病気で亡くなったとも聞いている。
普通の人間にとって、居なくなってしまうというのはとてもつらいことなのだと知ってはいるつもりではある。
こういう時、どうしたらいいのでしょう。
しばし悩んで、シャルロット様が痛くないように抱きしめた。
「んっ、エトワール? どうしたの、痛いの?」
「いいえ、大丈夫です。大丈夫なんですよ、シャルロット様。私は居なくなったとしても絶対にシャルロット様を迎えに行きます。だから、大丈夫ですよ」
しばらくはそうして胸にうずくまっているシャルロット様をなだめる。すぐに落ち着いていただけたのか、まだ涙で濡れてしまっているが、笑顔で見上げてくださった。
「えへへ、ありがとうエトワール」
「いいえ。当然のことです。それが私のすべきことですから」
「じゃあ、なにかお礼をしてあげる。なにがいいかな……」
「そんな! こんな私にそんな気遣いをする必要はないと思います、シャルロット様」
「だめ! お礼は必ず返す。貴族の礼儀だもん」
シャルロット様のお気持ちは嬉しいのだが、ただ彼女に泣き止んで欲しかっただけなのにそこまで言われてしまうのはむずがゆいものがあった。
しかし、彼女のやりたいようにするのが一番だろう。そう思ってうんうんとうなりながら考えるシャルロット様を見ていると「そうだわ!」というと、持っていたルビーを私に預けた。
「そうだわ! 特別にお母様との秘密を教えてあげる!」
「そんな秘密を……こんな私にお教えしても大丈夫なんですか?」
「お母様には大切な人にだけ教えなさいって言われたの。でも、エトワールは特別。もし聞かれても教えないでね? お母様に知られたら怒られちゃうわ」
そう言いながら、シャルロット様が悪戯っぽく微笑んだ。
シャルロット様が私の膝から降りて、暖炉の方へと歩いて行った。それをについて行くと、シャルロット様にはまだ重いはずのひかき棒を持って暖炉の中に手を突っ込んでしまわれるではないか。
火が入っていないとはいえ、そんなことを目の前でされてしまうと心臓に悪い。
ハラハラしながらその光景を見守っていると、暖炉の奥から石が引きずられるような音が聞こえてきた。いったい何の音だろうと思っていると、シャルロット様は嬉しそうな表情を見せて私の方へと振り返った。
「暖炉の中を見て、エトワール!」
何がしたいのかはわからなかったが、できるだけ煤を舞い上げないようにとゆっくりと覗き込むと、中には冬につけた薪の残りがあり、先ほどの振動で煤が舞いそうになっていた。
おかしな点は特に何もない。そう思って暖炉の奥へと視線を移すと、そこにはぽっかりと開いた穴が開いていた。
「シャルロット様、これは……」
「誰も知らないのよ、お父様も知らない秘密の出口なんだって。冒険物語みたいで、なんだかわくわくしちゃうわエトワール」
耳でシャルロット様の言葉を聞きながら、私は息をのんだ。
もし、この出口が本物なら私はシャルロット様の言う通り助かるかもしれない。あのクリヴァールやタルボットの目を出し抜いて、生きてここを。
「シャルロット様。これがどこに続いているかはご存じで……?」
もしかしたらここを通って逃げ出せるかもしれない。そんな淡い期待を持ってシャルロット様に聞いては見たが、シャルロット様は困った表情で首をふった。
「ううん。でもお城の外にある川までは続いてるって。こわいお魚さんがいるから、本当にもしもの時以外はだめって言われたけど」
「そう、ですか……」
シャルロット様の返事に思わず私の中で消えかけていた希望の火に種火が灯った。この先に進むことが出来れば、私は自由の身になれるかもしれない。
しかし、今はだめだ。
いまこのタイミングで外に出てしまえば、きっとシャルロット様が一番に疑われてしまう。
シャルロット様は嘘のつけないお方だ。万が一彼女が問いただされてしまえば簡単に見つかって、捕まってしまうだろう。私のことよりも、その後のシャルロット様の安否のほうが心配だ。
「シャルロット様」
「なあに?」
「もし、もし私に何かあったらルビーに頼ってください」
「ルビーに? ルビーはただのお人形よ」
「ルビーに何としても伝えてもらいます。何かあった時はルビーを見てください、シャルロット様」
私がそう伝えると、シャルロット様の表情が不安でいっぱいといった様子に変わられてしまう。
彼女の表情を見て、私の行動が彼女にとって突拍子のない行動だったことに気が付いて、慌てて首を振った。
「すいません、変なことをしてしまって……」
「ううん。でも、エトワールのお顔、変だよ?」
「そんなに、変な顔でしたか?」
「とっても難しいお顔をしていたの。私、エトワールに変なことしちゃった? それとも……迷惑かけちゃった?」
「っ、いいえ、大丈夫ですよ。いつも通り、お転婆なだけです」
「酷いわ、エトワールの意地悪。もうエトワールなんて知らないんだから」
よほど私の一言がむっとした表情でそっぽを向かれてしまった。そしてすぐに噴き出したように笑いだして、ほっとする。
機嫌を損ねてもういらないと言われるのは何よりも怖いことだ。
ふとシャルロット様の部屋にあった大きな鏡に部屋の中の光景が移っていたことを思い出した。当然、それを見ている自分の姿も。
やせこけた頬に、骨が浮き出てしまっている素肌の手足。髪はシャルロット様と比べると美しいとはお世辞にも言えず、私の汚らしい容姿は貴族であるシャルロット様と一緒に居ていいような人間にはとてもではないが見えない。
自分の姿への嫌悪感で戻しそうになってしまい、慌ててそれから目をそらした。
「どうしたの、エトワール」
そんな行為に気が付かれてしまったのか、シャルロット様は心配そうに私の顔を覗き込んでくださった。
やはり、この子はお優しい方なのでしょうね。
「そう言ってくださるのなら、私は大丈夫です。心配してくださって、ありがとうございます」
シャルロット様の相手をしながら、私は鏡の中に映っていた自分の姿を思い出してしまっていた。
鏡の中の自分は――。
生きることを諦めていないはずなのに、鏡に映っていたのは死人のようだったのだ。




