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一 『エトワール』 - 3


 恐怖がようやく落ち着いたと思うと、今度は背中の火傷が引きつるような痛みを覚えて歯を噛みしめて耐えながら体を清める。

 火傷、というよりも焼き印と言った方が正しいだろうか。

 貴族が自分たちの奴隷の証にと焼きゴテを使って付けるものだと聞いている。だが、他の領地では聞いたことも無かったので、もしかしたらこの城主の趣味なのかもしれない。

 背中の火傷を忌々しく思いながら、時間をかけてようやく体を清め終えて脱衣場に戻り、いつも通り着替えが用意されているはずの籠へと向かう。


「早くしろ! 俺まで待たせるのかこののろまが!」


 浴室を出た音が聞こえたのか、扉を挟んだ廊下からそんなクリヴァールの怒鳴り声が聞こえてきて体が反応してしまった。

 恐怖で震える手を必死に動かして、用意されていたハウスメイドの服を手に取る。

 それは奴隷である私が手に取るにはあまりにも滑らかな手触りをしているうえに、ひらひらとしていて囚人服と比べれば動きにくくてしようがない。しかし、洗っても異臭が染みついてしまっていそうな髪をキャップでまとめるのは賛成だった。

 シャルロット様に合うおかげか、ご丁寧に下着まで用意されているのは気持ちが悪いが、囚人服のままよりもましだ。

 慣れない下着に手間取っていると、廊下から幼い子供の声が聞こえてきた。


「お兄様、エトワールはまだじゅんびをしているの?」

「おお、シャルロット! すまない、お前に何の準備もさせていない人間を合わせるわけにはいかないから、今準備をさせている。すぐに終わるからお前は部屋に戻っていなさい」

「はあい」


 シャルロットと呼ばれた女の子の声が浴室にまで聞こえてきてほっとした。彼女が近くに居てさえくれれば、クリヴァールは変なことをすることは無いからだ。

 急いで服を身に着け、シャルロット様とクリヴァールが居るはずの廊下につながっている扉を開ける。

 すると、そこには帰ろうとしていたシャルロット様の後姿と、見送ろうとしていたクリヴァールの姿があった。

 近くに立っているクリヴァールの腰ほどの高さの背丈に、ヘッドドレスのついた金色の髪。ドレスを着た人形のように美しい少女が立っていた。

 タルボットとクリヴァールの血縁とはとても思えないほどお可愛らしく、人形のように均整の取れた顔立ち、そして頬を薔薇色に染めて私に笑顔を向けてくださった。ヘッドドレスにまとめられている隙間からのぞく金色の髪は、作物の刈り入れ時のように美しかった。

 年が離れているとはいえ、クリヴァールの腰ほどの小さいお体なのは、九つになるお年になっても心配になるほどだったが。

 あの後姿はシャルロット様の姿に違いない。

 クリヴァールが何かを言う前に、シャルロット様に声をかける。


「お呼びでしょうか、シャルロット様」


 声をかけると、つまらなそうに歩いて行こうとしたシャルロット様がすぐに振り返ってくださる。

 首元の金のペンダントが宙を舞うのが見える。シャルロット様は私の姿を確認するなり、花のような笑顔を振りまいた。

 間に合ってよかった。このまま彼女に行かせてしまえば、シャルロット様の元に向かう間に何をされるかわかった物じゃない。

 シャルロット様が首元にある金のペンダントを揺らしながらトテトテと私の元まで歩いてくると、小さな手で私の手を握ってくださった。

 とても柔らかい、傷のついていない手の感触と花の香料の香りが漂ってきて、少しだけドキッとしてしまう。


「エトワール! 待ちくたびれたわ。どうしてたの?」

「い、いえ……シャルロット様。準備に時間がかかりまして……」


 何とか笑顔を作ってシャルロットにそう返すと、彼女は私の顔をしたから覗き込んできたので、思わず私は顔をそらしてしまった。

 しばし私の顔を見つめていたかと思うと、表情を笑顔に戻してクリヴァールの前に出た。


「待つのはいやだわエトワール。それじゃあ、すぐに私をお部屋まで連れて行って。ねえ、お兄様。今日はエトワールを自由にさせてほしいの」


 手錠をつけるように兵士たちに促そうとしていたクリヴァールが目を丸くした。

 私も私で、このようなことを言い出さなかったシャルロット様が急にそんなことをおっしゃったことに驚いていた。

 慌てたようにクリヴァールがシャルロット様に抗議の声を上げた。


「シャルロット! そいつは何をするかわからない奴隷だぞ。お前の身が危険に――」

「お兄様のイジワル。今日までエトワールにはたくさん遊んでもらったの。私、エトワールにはそのお礼をしてあげたいの。助けてもらったら、お礼をするのが貴族の礼儀よ」

「それは! そうだが、しかしだな……」

「もう! お兄様はイジワルだわ! もうお兄様なんて知らないんだから」

「わ、分かった分かった。おい、お前たちシャルロットの言う通りにしてやれ」


 我儘を通すシャルロット様に、クリヴァールはしぶしぶと言った様子で手錠をかけるのを諦めた様子だった。

 驚いた、まさかあの私に嫌がらせをするのが趣味のようなクリヴァールがシャルロット様の言うことを素直に聞くとは思わなかった。

 驚いたままの私の腕をシャルロット様が引っ張られたので、そのままシャルロット様を彼女の部屋へとお連れすることになった。

 お連れする、と言ってもこの城内はとても広い。覚えているだけでも手の指では足りないくらいの回数を曲がるので、ほとんど彼女の後について行くことになる。

 シャルロット様の私室は先ほどの浴室から五分ほどの場所で、一階の中央に近い部分にある。近いとはいえ、おちてしまっている体力では少しきつい距離だった。

 私室につくなり、シャルロット様はいそいそと自分の部屋の中に入って行って、私を手招きした。


「ついたわエトワール。お部屋に入ったら扉を閉めて」


 おっしゃられた通りに中に入ると、豪華な作りの暖炉と絵師に書かせたであろうシャルロット様の自画像が目に入った。

 来客用らしき大きな椅子が二つ並び、大きなテーブルも用意され、部屋の中には自分の姿が映る大きな鏡もあった。

 壁には窓はなく外の景色を見ることは出来ず、そのまま視線を動かしていくと暖炉の上には彼女お気に入りのぬいぐるみが置かれていた。

 シャルロット様に言われたとおりに扉を閉めると、彼女は急に反転して私を抱きしめてくださった。


「今日はずっと待ってたのエトワール。お父様とお兄様はもう会うなって言うけれど、もうすぐ誕生日なんだもん。今日くらいはいいと思うわ」


 シャルロット様の言葉を聞いてクリヴァールのあの態度に納得すると同時にぞっとした。

 彼女が二人に掛け合ってくれなければ、残りの人生は二人のおもちゃにされかけていたのだ。そう考えるだけで鳥肌が止まらない。

 ふとシャルロット様が私の顔を見て「まあ」と声を上げた。


「頬に傷がついているじゃないエトワール。またお兄様たちに苛められたのね! エトワールは私が目を付けたお世話役なのに……。私が怒ってあげる」


 言われて鏡に視線を映すと、そこには心配そうに駆け寄るシャルロット様と、頬に擦り傷のついた自分が映り込んでいた。

 牢屋でころんだときについてしまったのだろうか。

 近づいて触れようとするシャルロット様も見え、慌ててシャルロット様を止める。


「や、やめてくださいシャルロット様、逆に私が怒られてしまいます」

「どうして? お兄様もお父様も酷いわ。二人が勝手に決めちゃうんだもん。エトワールは私のメイドなのに……」

「あはは、その通りです。私はあなただけのエトワールですよ」

「あっ、ち、ちがうの! エトワールは物じゃなくて大切なお友達よ?」

「ふふ、物だと思ってたんですか」

「ちち、ちがうわ。ごめんなさいエトワール」

「ふふっ、大丈夫です、気にしていませんから。私はあなたの言った通り、奴隷という貴族の方々の物なんですから」

「ううん、ちがう。エトワールは私のメイドだけど、エトワールはエトワールだもん」

「私は私、ですか?」

「うん。私のわがままでここでこうしてもらってるの。本当はもっと自由に動けるはずなのに。だから、エトワールはもっとエトワールでいてほしいの」


 そんな嬉しいことをおっしゃって、花のように笑いかけてくださった。

 シャルロット様にはたくさんのものをいただいている。なにより、タルボットとクリヴァールの酷い『お遊び』のお相手もしなくてよいし、彼女にこうして話せるというのは身分的にもとても光栄なことだから。

 しかし……。

 兵士にメイド。それにクリヴァールやタルボットの態度を思い出してしまう。憎悪や悪意に満ちた、不快な感情に包まれた視線は、シャルロット様の物とは全く別の物だ。


「この城には……、私の居場所がないんです、シャルロット様。皆、シャルロット様のように私の味方をしてくださる人なんて居ませんから。だから、私を守ろうなんてお思いにならないでください」


 今のシャルロット様の立場はとても危うい。今でこそタルボットの愛娘だからこその尊重はあるが、もし本当に彼女が抗議したとしたら奴隷の私がそそのかしたとしか思われないはずだ。

 私の身よりも、シャルロット様の立場が危険なものになってしまう。

 それだけは避けてさしあげたかった。


「でも……」

「もしお父様に抗議したら、怒られてしまうかもしれませんよ?」

「平気だもん。お兄さまとお父さまなんて怖くないわ」

「シャルロット様も大きくなられているのはお世話役の任を預かっている身としても、とてもうれしいです。ですが、私の責任でシャルロット様まで怒られてしまったら、私はとても悲しいんです」

「エトワール……」

「だから、もう少しだけ我慢していただけないでしょうか。その……私も怒られるのが怖いんです」

「お兄さまに?」

「クリヴァール……様とあなたの父親でもあるタルボット様のお二人にです。お約束していただけますでしょうか」

「……うん、わかった」


 シャルロット様はしぶしぶとだが頷いて不満そうな表情でソファにもたれかかった。

 理解はしていただけたようだが納得はしていない様子だった。

 不満そうなシャルロット様には申し訳がないが、また拷問紛いの『躾け』をされるのだけは避けたいという思いも確かにある。しかし、それよりもこんな私の事を気にかけてくださるこの人に汚名をきてほしくない。

 自分に口答えをされたのが嫌だったのか、シャルロット様は頬を膨らませていた。彼女は黙ったまま暖炉の上のぬいぐるみを指差した。




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