少女は脳髄に語りかける
白亜に覆われた、椅子が置かれている以外には、何も存在していない大広間で、一人白衣を着た人物が佇んでいた。
「やっと私の世界に入り込んでくれたんだ。」
うっとりとした艶やかな声が虚空へと溶けていった。
「これで漸く私の悲願が叶うのね。」
満足げに笑う彼女の顔は、清らかすぎるほど清らかで、けれども却ってそれが毒々しさを与えていた。
それは愉悦だった。堪らなく可笑しいのだと、その唇が、その瞳が、内側より外に向かって語りかけていた。
「思い返してみればもう7年も過ぎてしまったのね。」
過去に思いを馳せる彼女の瞳はゾッとするほどに魔性を孕んでいた。
その肌は驚くほどに白く、この世のものとは思えないほどに透き通っていた。
美の化身とは彼女のことを指していると言っても過言ではない。
彼女は大広間を一歩ずつゆっくりと歩き、椅子へ腰を掛けた。
「7年、長かったようで短かった気もするけれど、どうにかスタートラインに漕ぎ着けることが出来たというところかしら。全く、私は天才だけど、たまに自分の不器用さが嫌になるわ。」
過ぎ去った歳月を思い起こしながら、しかし、遠回りに過ぎなかったと自虐する。天才であると標榜しながら、不器用であると大真面目に彼女は自身を評価する。
彼女の目的はいつだってたった一つに過ぎないのだ。その目的のために彼女は凡愚には及ばぬ才能と、常人には決して理解できないほどの強烈な情念を持って、不可能を可能にしてきた。それは彼女の持っている目的に対しての手段としてはやや過剰とも言えるものであり、しかしながら彼女はそれでさえ足りないと思っている。
客観的には彼女の努力は斜め上を行くものであり、手段としては全く持って遠回りをしていると言わざるを得ないものである。自覚しているからこそ、彼女は自分が不器用であると語る。
不器用であるがゆえに、彼女が求めたの完璧だったということだろう。
それは完膚なきまでに約束された未来。その目的こそありふれた物であるが、そこにかける理想は途方もないほどに満ち足りた幸福でなくてはならないという完璧主義的な概念が入り混じっている。
それを実現するために彼女は現実に一つの世界を産み落とした。
一般的にはVRゲームであり、彼女もそのつもりで制作したが、それはこれまでのVRゲームとは一線を隠すほどに完成された、オーバーテクノロジーの集約というべき大発明だ。
これに使われた技術が一般に公開されたとなれば、科学史は百年も二百年も先に進むだろう。
けれど彼女にそうした意志はまるでない。使われた技術が漏洩すればこのゲームを維持することが困難になると理解しているからだ。
彼女はある人物のことを頭に浮かべながら、ゆっくりと目を閉じた。
そして、背もたれによりかかると眠るように動かなくなった。
広間を照らしていた照明がだんだんと暗くなっていき、そのまま消えた。
直後、怪しげに光る脳と脊髄と思わしき物の投影が大広間の壁という壁に映し出された。
それはなんとも言えぬほどに不気味であり、常軌を逸した光景だった。
これらを目にしたものがいたのならば、誰であっても悪趣味だと顔をしかめただろう。
それほどまでに脳の立体敵投影は異様であり、不気味だった。
しかし、そんなことなど意にも介さず彼女は椅子にもたれかかり、目を閉じて心地よさそうな表情をしている。
その有様はここが彼女にとっての楽園であることをひしひしと伝えているようだ。
気が狂ってるとしか思えないが、彼女にしてみれば自身の夢の集大成であり、まるで我が子の写真を飾っているようなものなんだろう。
どこまでもリラックスしきっている呼吸が部屋に響き渡る。
「祐くん、私の世界を気に入ってくれるといいなぁ。」
瞼の裏に夢想しながら、彼女は微睡みの中へと落ちていった。
部屋には穏やかな寝息が聞こえている。