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町の人と交流します! 3

 潮を含んだ風が心地よかった。

 馬車を降りると、アリシアはフリーデリックとともに町を歩いた。

 王都と比べることもできないほど小さな町だが、笑い声をあげながら駆け回る子供、人々の話し声や鳥や犬の声、すべてが賑やかで活気がある。

 新しくこの地の領主になったフリーデリックの顔はすでに知られていたようで、彼が歩くたびにあちこちから声がかかった。

 それらに朗らかな笑みを浮かべながら挨拶を返すフリーデリックは、きっといい領主になるだろう――、そんなことを思いながら、アリシアが隣を歩けば、町人たちの関心がアリシアに向く。

 誰かがおずおずと「領主様の婚約者の方ですか?」と訊いた問いをフリーデリックが否定しなかったため、瞬く間にアリシアの名は領主の婚約者として広まってしまった。

 フリーデリックの婚約者と呼ばれるのは面白くなかったが、それでも、悪徳令嬢だと冷たい目を向けられるよりはよほどいい。幸いなことに、この地にはアリシアの噂は届いてはいないようだった。

 こんなに穏やかな気持ちで外を歩くのは久しぶりだった。

 誰の目にも怯える必要がない。領主の婚約者と好奇の目を向けられるのには困ったが、それでも微笑み返すことができる。深く呼吸ができる。話ができる。すべてがアリシアには新鮮で――、幸せだった。

 フリーデリックが持つバスケットには、料理長が作ったサンドイッチが入っている。町を見て回ったあと、海の近くで食べようと彼が言った。


「何か、ほしいものはあるか?」


 フリーデリックの問いにアリシアは首を横に振るだけで返す。高価なものが売られていないからではない。むしろ、真珠や珊瑚を加工したシンプルな装飾品はアリシアの心をくすぐった。

 炭で焼かれている貝にしてもそうだ。

 でも、アリシアはフリーデリックにものをねだりたくはない。小さなプライドかもしれないが、今のアリシアには大切なプライドだった。


「婚約者様! 買わなくていいから、味見をしてお行きよ!」


 魚の干物を焼いていた恰幅のいい女性から声がかかり、アリシアは足を止めた。


「アリシアですわ。……美味しそうですわね」


 フリーデリックに物はねだりたくないが、町の人に声をかけられるのは別だった。

 店の外で焼かれている干物はアリシアの記憶する、前世で言えばイワシの丸干しのようなものだった。


(ああ、ごはんがほしくなるやつだわ……)


 残念なことに、この国の主食は米ではなく小麦である。この国に生を受けてから十七年、一度も米らしいものは見たことがないため、おそらく生産はされていない。

 アリシアは人のよさそうな女性から干物を一匹分もらうと、躊躇いもなく口に入れた。豪快に頭から丸かじりをしたアリシアに、フリーデリックは目を丸くして、女性は声をあげて大笑いをする。


「いいねえ、アリシア様! 食べ方をわかっているよ! こういうのはちまちま食べるより、ぱくっといった方が美味しいからねぇ!」

「ええ、もちろんですわ。うん、美味しいです」


 アリシアが笑えば、気前のいい婦人は、焼いていなかった丸干しを十匹ほど麻の紐でくくって差し出した。


「言い食べっぷりのアリシア様にプレゼントするよ、持って帰りな!」

「まあ、でも……」

「いいっていいって! 今度また来てくれたら嬉しいよ!」


 アリシアは魚の干物を受け取りながら、困った顔をした。こういう言い方をする女性に無理やりお金を押し付けるのは失礼だと知っている。だが、こんなにたくさんの干物を無償で受け取るにも気が引けた。 

 考えたアリシアは、フリーデリックの持っているバスケットを思い出した。


「騎士団長、サンドイッチはたくさんあるのでしょう?」

「え? ああ、あるが……」


 フリーデリックも女性から焼いた干物を受け取っており、それをモグモグと咀嚼していたが、アリシアに言われて慌ててバスケットを差し出した。


「ちょっと持っていてくださいな」


 アリシアは女性からもらった魚の干物をフリーデリックに持たせ、バスケットを開ける。サンドイッチを何個か取ると、それを女性に差し出した。


「では、わたしからはこれを。サンドイッチですわ。よかったら食べてくださいな」

「いいのかい?」

「もちろんですわ。とても美味しいものをいただきましたし、物々交換というやつですわ」

「あはは! じゃあ、遠慮なくいただくよ!」

「ええ。硬くならないうちに食べてくださいな。それでは、また」


 アリシアはフリーデリックが干物を食べ終わるのを待って、女性に手を振ってその場を離れた。

 気がつけばバスケットも魚の干物も両方フリーデリックが持ってくれているが、気にするなと言われたので、ここは甘えておくことにする。


「はじめて食べたが、干物というものは美味いな」


 確かに、王都では出回っていない食べ物かもしれない。


「お茶漬けにすると最高なんですけど……」

「お茶漬け? 紅茶につけるのか?」

「違います。こちらの話です。お気になさらず」


 この世界にはご飯もなければ緑茶もない。残念ながらお茶漬けは楽しめそうになかった。

 アリシアが少しがっかりしながら歩いていると、ふと、子供の泣き声が聞こえてきた。

 気になって声のする方へ首を巡らせると、町の中央にある井戸の向こうに、小さな家が見える。声はその方から聞こえてくるようだった。

 アリシアがそちらに足を向ければ、開け放たれている家の中で、十五歳ほどの少女が五歳ほどの男の子相手に、一生懸命話しかけていた。


「消毒するだけだから! 我慢して!」


 見れば、男の子の膝から血が出ている。転んですりむいてしまったのだろう。


(ここは……?)


 小さな家の中にはたくさんの薬草がつるされている。家の中には少女と男の子だけで、大人の姿は見えなかった。

 うわーんと男の子が大きな泣き声をあげて、アリシアはたまらず近寄った。


「ちょっとの我慢ですわ。傷口からばい菌が入ったらもっと痛くなっちゃいますのよ。ほら、男の子なんだから、我慢ですわ!」


 突然現れたアリシアに背中を叩かれて、男の子はびっくりしたのだろう。涙の盛あがった目を丸く見開く。驚いている隙に少女が男の子の傷口を洗って、薬を塗りつけた。薬を塗られた瞬間、男の子は「ひっ!」と声をあげてまた泣き出しそうになったが、アリシアがにっこりと「もう終わりですわ」と言うと、ホッとしたような顔をして、次の瞬間、声をあげて笑い出す。


「ありがとう、おねえちゃん!」


 あれほど痛がっていたと言うのに、治療が終わったと聞くや否や、男の子はぱたぱたと家から走り去っていった。


「あの、ありがとうございました。領主様に……ええっと」

「アリシアですわ。はじめまして。あなたは?」

「クララです」


 焦げ茶色の髪を三つ編みにした、そばかす顔の少女は、塗り薬の入った壺を持って立ち上がった。


「ここは診療所……ですの?」


 たくさんの薬草、クララの手にある薬壺を見て、アリシアが予想をつければ、クララは小さく頷いた。


「この診療所には、あなただけ?」

「はい。……本当はおじいちゃんがやっていたんですけど、半年前に亡くなって。かわりにあたしがはじめたんですが、まだまだ半人前なので……」

「そう……」


 クララがこれから薬草畑に行くというので、アリシアは「お邪魔してごめんなさいね」と診療所を離れる。

 そろそろ海岸でお昼にしようとフリーデリックが言い、海岸に向けて歩きながら、アリシアはもう一度診療所を振り返った。


(女の子が、一人で……)


 年だけで言えば、アリシアも十七。それほど大きな差はないかもしれないが、アリシアには前世で生きた二十九年分の記憶がある。


(ちょっと、心配だわ……)


 十五歳の少女が営む、町の小さな診療所。

 アリシアはなぜか、その存在が気になって仕方がなかった。


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