町の人と交流します! 1
翌朝――
アリシアはクローゼットをあけて唖然とした。
部屋に大きなクローゼットが備えつけられており、目を覚ましたアリシアが着替えを探そうと開けたときのことだった。
アリシアの目に飛び込んできたのは、ずらりと並ぶドレスの数々。最新の流行を捕えた、様々な色のドレスが、もう入るスペースもないというほどに押し込められていたのだ。
「なに……、これ?」
アリシアが暮らしていた王都の公爵邸から持って来たのではないことは確かだ。すべて新しいドレスで、すべてが高価そう。
クローゼットの前でアリシアが硬直していると、コンコンと控えめな音が聞こえて振り向いた。
「ジーンですわ。起きていらっしゃいますか?」
アリシアが返事をすると、ジーンが部屋に入ってきた。その手にはティーポットが持たれていた。香りからしてローズティーだろうか? 彼女はそれをテーブルの上におくと、クローゼットの前で立ち尽くしているアリシアに微笑みかける。
「おはようございます、アリシア様」
呼び方がお嬢様からアリシア様にかわっていた。
「おはよう、ジーン。あの……」
「まあ、お着替えですわね。お手伝いいたしますわ!」
「いえ、そうではなく……」
アリシアは困惑した視線をドレスに注いだ。
ジーンは最初首をひねっていたが、ようやくアリシアがドレスに戸惑っているのだと気づいたようで、「ふふふ」と楽しそうに笑う。
「驚いたでしょう? わたくしも、ドレスの流行なんて年が変われば違うのだから、今からそんなにたくさん買ってどうするのですかとお伝えしたのですが、フリーデリック様ってば、俺が買いたいのだと言ってきかなくって」
「え……、これは騎士団長が買ったんですの?」
「ええ。女性もののドレスなんて選んだこともないくせに、あれにするだのこれにするだの、まあ時間をかけて選ばれていましたわ。そうそう――」
ジーンはスキップでもしそうな足取りでクローゼットの近くに据えられた棚まで歩いていくと、一番上の引き出しを開ける。
「アクセサリーも揃えていますわ! アリシア様のお気に召せばいいのですが……。店主に訊いて、若いお嬢様の好みそうなものを買ってきたそうですわ」
アリシアは恐る恐る引き出しの中を覗き込んだ。
そして、思わず息を呑む。
引き出しの中には、ルビーやサファイヤ、ダイヤモンドに真珠……と、数々のアクセサリーが並んでいた。
いったい、フリーデリックはこれらを用意するのにどれほどのお金を使ったのだろうか。
言葉を失うアリシアをよそに、ジーンが楽しそうにドレスやアクセサリーを当ててくる。
「アリシア様は肌が白いから、何色でも似合いますわねぇ。このクリームイエローのドレスに真珠のイヤリング……、うーん、エメラルドも捨てがたいですわね」
ジーンはうきうきした様子である。
「近いうちにきちんと侍女を雇うつもりですが、しばらくはわたくしが務めさせてくださいましね。……わたくし、娘がいなかったんですの。こうしてアリシア様のドレスを選べて、幸せですわ」
本当に楽しいのだろう。にこにこと笑うジーンに、アリシアは何も言えなくなってしまい、結局彼女の好きなように着替えさせられてしまった。
朝からぐったりと疲れ果てたアリシアは、ジーンの持って来たローズティーで一息つく。下に朝食の支度をしているからと言われて、降りなければならないのはわかっているが、もう少し気力を回復させてほしい。
(でも、何だってドレスもアクセサリーもこんなに買い込んだのかしら……)
アリシアは公爵令嬢で、両親や使用人が出て行くまでは、かなり裕福な家であったのだが、もともと前世で質素倹約な生活を送っていたせいか倹約が身についてしまっており、ドレスもアクセサリーも必要最低限のものしか持っていなかった。
おそらく、アリシアが公爵邸に持っているドレスよりも、フリーデリックが買ってきたドレスの数の方が上回る。
(何を考えているのかしら……)
アリシアにはフリーデリックが考えていることがまったくわからない。
ただ――
茫然としてしまったが、嬉しくなかったわけでは、なかった。
☆
居間に降りると、すでにフリーデリックが席についていた。
彼は部屋に入ってきたアリシアに視線を向け、ぱっと頬に朱を散らせると視線を落とす。
「お、おはよう、アリシア……嬢」
「おはようございます、騎士団長」
妙な反応を見せたフリーデリックのことは少し気になったが、アリシアは給仕に椅子を引かれて席につく。
フリーデリックはちらちらとアリシアに視線を注いでは、なにやらもじもじしていた。
首をひねっていると、アリシアとともに居間に降りてきていたジーンが盛大にため息をつく。
「フリーデリック様、お褒めになるときは、しゃきっと、ずばっと、堂々とお褒めなさいませ!」
「わ、わかっている!」
フリーデリックはごほんと咳ばらいをすると、赤くなった顔をアリシアに向けた。
「アリシア……嬢。その、そのだな……、そ、そのドレス……よく似合っている」
「え? あ、ああ……、ありがとう、ございます」
アリシアは虚を突かれて目を丸くした。
「その色……似あうと、思っていたんだ。着てくれて嬉しい」
「え?」
赤くなっているフリーデリックにつられるように、アリシアの頬に朱がさす。
(似合と思う? 着てくれて嬉しいって言った!?)
これも、アリシアに結婚をうなずかせる作戦だろうか? そう思うのに、アリシアは不覚にもドキドキしてしまった。
ジーンが満足そうに頷いて、アリシアの隣に腰を下ろす。
ジーンは先に食事を取ったそうで、アリシアの隣で優雅にティーカップを傾けていた。
アリシアは深呼吸して心を落ち着けると、出されたオムレツを口に運んだ。
フワフワのオムレツは口の中でとろけて、とても美味しい。
昨夜も思ったが、雇われているコックは腕がいいらしい。食事はどれも美味しく、公爵邸で使用人たちが出て行ってからはパンと水との食事を続けていたアリシアを感動させた。
朝食をすべて平らげ、食後に出された紅茶を飲んでいると、視線を感じてアリシアは顔をあげる。
フリーデリックがじっとこちらを見つめていた。
「アリシア……嬢。今日はとてもいい天気だな」
「は? ……そうですわね」
アリシアは背後の窓の外に視線を向けて、小さく頷いた。確かにいい天気だ。だが、それがなんだというのだろう。
アリシアは紅茶を飲みながら考える。
いい天気。それに気がつくと、外に出たくなってくる。今までずっと息を殺して生きてきたが、この一か月は自由に生きられるのだ。外に出たい。誰の目も気にせず、ゆっくりと歩いてみたかった。
「だか……、きょ……、か」
(近くに町があるって言っていたわね。わたしが行っても、町の人に嫌な顔はされないかしら?)
考え込んでいたアリシアは、フリーデリックが続けて何かを言っていたことに気がつかなかった。
(このあと、行ってみようかしら?)
近くのあると言っても、実際どのあたりに町があるのかアリシアにはわからない。だが、ジーンや使用人の人たちは知っているだろう。距離があるなら馬車を用意してもらえればありがたいが、まあ、ここは我儘を言うまい。
あとでジーンに訊いてみようと思ったアリシアは、さっさと紅茶を飲み干して部屋に戻って出かける支度をしようと思った。
しかし、アリシアが席を立つ前に、「もう!」というジーンの叫び声が聞こえてびっくりしてしまう。
何事だと思ってジーンを見れば、彼女はフリーデリックに怒っていた。
「ですから、ぼそぼそ喋っていないで、はっきりとおっしゃい!」
アリシアはキョトンとして、フリーデリックに視線を向ける。彼は何か言っていたのだろうか?
見れば、フリーデリックの顔は赤く染まっていた。大きな体をして少年のように頬を染めるその姿は、正直、嫌いではない。嫌いではないが、よくわからなかった。
「ア、アリシア……嬢……、今日、その、デートをしないか!?」
アリシアはパチパチと目を瞬いたあと、
「はあ?」
思わず、素っ頓狂な声をあげていた。