エルボリスの第二王子 2
親善試合の打ち合わせはスムーズに進んでいた。
三日かけて打ち合わせを行う予定だったが、この調子では一日あまりそうなほどだ。
もともと仕事は効率的に進めるがモットーのジョシュアである。いかに余暇を作るかということばかり考えているので、打ち合わせ用の資料は入念に作りこんでいた。
と言っても、試合の進め方については毎年同じ進行だ。ジョシュアが考えるのは試合運びではなく、観戦する王族たちの警備のための兵の配置や、その役割分担についてがほとんどである。
あとは、全体の経費計算や試合期間中の兵士が寝泊まりをする部屋の割り振り、優勝者への副賞などである。
今年はエルボリス国で開催されるので、兵士たちの部屋はエルボリスが提供する。一部の兵士が王族たちの警護もかねて城で、残りを近くの宿に割り振った。
今年、エルボリスの指揮を執るのは第二王子のギーニアスである。第二王子と言っても、第一王子のラジアンとは同年齢の二十一歳。誕生日がわずかばかり違うだけだ。
ギーニアスは第二王子でありながら騎士団に身をおいていて、剣の腕はもとより、人当たりのいい好青年である。
母親の身分が男爵出と低く、王族の学ぶべきことは学んだそうだが、自分は将来、王につくことはないと早々に騎士団に入団してしまった少々変わり者の王子だ。
ギーニアスは毎年親善試合に参加しているのでジョシュアも面識があるのだが、兄を蹴落として自分が国王に――などという野心はかけらもない、王族らしからぬ気さくな人物だった。
そんな彼が指揮を執るからか、変な矜持で話を中断されることもなく、さくさくと話が進んでいく。
「フリーデリックが結婚するんだって?」
あらかたの打ち合わせを終えて、休憩をはさんだ時のことだった。
残りはトーナメント表を作るだけで、ほかにすり合わせる事柄もなくなり、午後は少しのんびりできるだろう。ギーニアスやジョシュア、ディアスといった実力者の特別枠を決めるだけど、ほかの兵士たちの組み合わせはくじで決める予定なので、トーナメント表もすぐに作り終わるはずだ。
そんな状態であるから、部屋の空気も和やかで、休憩がてら紅茶を飲みながら、ギーニアスが連れてきていた王城のシェフ特製のお菓子に舌鼓を打っていた。
「フリーデリックに聞いたんですか?」
甘いものに目のないジョシュアは、丁寧に裏ごしされたプティングに視線を落としたまま答えた。
スプーンですくって口に入れると、つるんとしたのど越しがたまらない。フリーデリックのステビアーナ城で出される菓子も気に入っていたが、これもなかなかのものだ。
「いや、直接は聞いていないが、親善試合に出ないと言うから気になって調べたんだ。つれないよな、結婚式に招待してくれないなんて」
「あんまり大々的にしたくないって言ってましたからね。フリーデリックもその婚約者も派手なことは好きじゃないようですし」
「アリシアは昔からつつましやかな女性だからな」
プティングを食べながらディアスが言えば、ギーニアスがぴたりと手を止めた。スプーンの上から、救い上げたプティングが皿へと落ちる。
「……アリシア?」
ギーニアスが青灰色の目を丸くしている。
もしかして、アリシアの不名誉な噂はエルボリスにも届いているのだろうか。
そう思いギーニアスを見やれば、彼は難しい顔をして言った。
「アリシアとは、フォンターニア公爵令嬢の?」
「ええ、ご存知ですか?」
「どんな噂を聞いたのかは知らないが、アリシアは心優しい子だぞ」
ディアスも「悪徳令嬢」というアリシアの汚名でギーニアスの顔が曇ったと思ったのか、彼が何かを言う前に言葉をかぶせる。
しかしギーニアスはゆっくりと首を振った。
「いや、……以前、ラジアンが執着していると聞いたことがあったから気になっただけだ。結婚するならいいんだ。ラジアンも、ユミリーナ王女と婚約しているし、さすがに……」
ジョシュアとディアスは顔を見合わせた。
それから、ディアスはスプーンをおくと、ギーニアスに向きなおる。
「ちょうどよかった。俺も実はお前に聞きたいことがあったんだ。その、ラジアン王子のことで」
☆
フリーデリックはぱらぱらと資料をめくっていた手を止めて、指先で眉間をもんだ。
午後からはアリシアにお茶に誘われている。アリシアがクッキーを焼いてくれるそうだ。あと半刻もすれば約束の時間になるのだが、その前にどうしても確認しておきたいことがあったのだ。
(やはり、おかしい……)
ジョシュアがエルボリスとの新線試合の打ち合わせで国を離れる前に頼んでいた資料。それは、ユミリーナ王女へ毒が盛られたときの資料だった。
ユミリーナ王女への毒の騒動は、侍医が犯人として捕縛され、終わったはずだったのだが、どうしてもフリーデリックには納得できないことがあった。いや、納得いかないことができた、と言った方が正しい。
きっかけは、ラジアン王子に婚約解消を打診されたというユミリーナ王女からのアリシアにあてた手紙だった。
それでジョシュアに過去の資料をかき集めてもらったのだが、やはり思った通りだった。
ユミリーナ王女に最初に毒が盛られたのはアリシアがそばにいたとき。犯人は侍女だった。だがそのあとの犯人は不明のままで、最近になって侍医が犯人だと判明したが――
「あの侍医が城に勤めはじめたのはこの一年半……」
侍医が務める前も、ユミリーナ王女は毒を盛られている。ならば、その空白の期間の犯人は誰だ。もっと言えば――、ユミリーナ王女に毒を盛って得をするのは、誰だ。
フリーデリックはゆっくりと頭を振った。深く考えすぎかもしれない。そんなことはあるはずないと、あってはならないと心が告げる。けれども、「そう」考えるとすっきりする部分があるのも確か。
ユミリーナ王女へ毒を盛ったと言われる侍医の話が直接聞きたい。しかし、犯人の侍医はラジアン王子が自国で処罰すると連れ帰ってしまった。リニア王国にいればまだ元第三騎士団長のつてで面会が叶ったかもしれないが、エルボリス国にいてはどうしようもない。
そのためジョシュアにはエルボリスの第二王子ギーニアスに伝達を頼んでいた。ギーニアスなら信頼がおけるし、実際、エルボリスの息のかかった人間が婚約者とはいえ他国の王族に毒を盛ったのだ。重要な外交問題である。事情を話せば動いてくれるはず。
フリーデリックは資料を執務机の引き出しの中に片付けると、大きく伸びをした。
頭を使うことよりも体を動かしている方が性分に合っている。こうして机に座って、いろいろと考えていると、丸一日ハードな訓練を積むよりも疲れる気がする。
「リックー? お庭の準備できましたわよ」
疲れたなと思っていると、愛らしい声が聞こえてきた。愛してやまない婚約者アリシアの声だ。
今日は息抜きがてら庭でティータイムだという話だった。すっかり考え込んで、約束の時間になってしまったらしい。
執務室がノックされて、フリーデリックは慌てて立ち上がると、待たせてしまった詫びを言いつつ、アリシアとともに庭へ向かった。







