ラジアンの思惑 2
アリシアが変だ。
夕食後、いつもはフリーデリックと他愛ない話をしてすごすアリシアだが、今日は疲れているからと早々に部屋に戻った。
もちろん、誰だって疲れているときはある。それ自体は何の不思議でもない。
しかし、今日のアリシアはどこか様子が変だった。クララの診療所から戻って来てからだ。
(何かあったのか……)
もしかしたら、誰かの心無い一言で傷ついたのかもしれない。町の人間がアリシアを傷つけるとは思えないが、可能性はゼロではない。
(悲しそうな顔をしていた……)
最近はあまり見なくなったアリシアの悲しそうな顔。その表情が、どうしてもフリーデリックの心を締め付ける。
アリシアのことを生涯をかけて守ると誓った。それは何も、ケガや病気からという身体的な意味のみではなく、心もだ。彼女が幸せそうに笑って過ごす毎日を、フリーデリックは守りたい。
(……気になる)
それでなくとも、国王ブライアンから意味不明な手紙が届いたせいで、彼女の心にはさざ波が立っている。このままにはしておけない。
フリーデリックはソファから立ち上がると、自室を出てアリシアの部屋へと向かった。
ジーンに見つかれば、結婚前の女性の部屋に、こんなに遅い時間に向かうとは何事ですかと叱責されかねない。
フリーデリックは足音を殺して、こそこそと廊下を進み、アリシアの部屋へとたどり着く。
大きな音を立てるとジーンに気づかれるかもしれないので、控えめに扉を叩いてみた。
「アリシア、俺だ」
小声で部屋の中に話しかけるも、反応がない。
しばらく待ってみたフリーデリックだったが、「入るぞ」と小さく声をかけて、そっと扉を開いた。
「アリシア……?」
部屋の中には誰もいない。
フリーデリックは後ろめたさを感じながらも勝手に部屋の中に入ると、ローテーブルの上に一通の手紙がおいてあるのを見つけた。
「手紙……、誰から……?」
差出人の名前はない。封蝋にも見覚えがない。
しかし、フリーデリックは封蝋に押してある印を見て、さっと顔色を変えた。竜胆の花と一緒に描かれている紋は、エルボリスの王族がよく使う二本の剣。フリーデリック自身、エルボリスの第二王子――ラジアンの弟と多少の親交があるため、この二本の剣が描かれた封蝋を何度も見たことがある。
「まさか……」
フリーデリックが手紙をもって言葉を失ったその時、バスルームへと続く内扉がガチャリとあいた。
☆
風呂から上がったアリシアは、内扉から部屋に戻るなり目を丸くした。
「リック、どうなさいましたの……?」
まさかフリーデリックが部屋にいるとは思わなかった。
別に部屋に入られることに何の嫌悪もないが、こんな時間に彼が部屋に来ることは珍しい。
アリシアは首を傾げながら、ふとフリーデリックの手にある手紙を見て小さく声をあげた。
「リック、手紙を開封しちゃいましたの……?」
「いや、まだ開けていない! そんな不躾なことはしない! いや、勝手に部屋に入っておいていうセリフでもないが……、その、すまない」
「謝ることはございませんわ」
アリシアは夜着の上に、ベッドの足元に畳んでおいているガウンを羽織ると、彼の手から手紙を受け取った。
「その手紙は……、まさか」
フリーデリックも気がついたのだろう、顔を曇らせる彼を見て小さく微笑む。
「ええ。今日、町で渡されたんですの。……封蝋から察するに、ラジアン王子でしょうね」
「なんで王子が君に……」
「さあ? でも、ちょうどよかったですわ……。実は一人で読む勇気が出なくて。あなたがよろしければ、一緒に読んでいただけると嬉しいですわ」
「いいのか?」
「もちろん。……というか、本当はこのまま捨ててしまいたいくらいですもの」
アリシアは肩をすくめると、フリーデリックと並んでソファに腰を下ろす。
ペーパーナイフで封を切ると、文面に目を走らせて――、アリシアの思考回路はフリーズした。
フリーデリックはアリシアの手から手紙を受け取ると、徐々に表情を険しくしていく。
「なんだこれは……」
フリーデリックが唸るように声を絞り出した。
まったくだ。アリシアも「なんだこれは」と叫びたい。しかし、過去のつらかった記憶がいろいろと呼び起こされて、すぐに反応できそうにない。
手紙には、アリシアに対して、フリーデリックとの結婚を諦めるようにと綴られていた。ユミリーナとフリーデリックは互いに想いあっていて、アリシアは二人の仲を引き裂いているのだと。自分もユミリーナから身を引くから、君もフリーデリックから身を引くべきではないのか、と。
さらには、アリシアのことは面倒を見てやるから、ラジアンとともにエルボリス国に行こうと書かれていた。
「俺はユミリーナ王女のことはこれっぽっちも想ってないぞ!」
フリーデリックはぐしゃりと手紙を握りつぶすと、それだけでは怒りが収まらなかったのか、つぶした手紙を丸めて部屋の壁にたたきつける。
「なんなんだ、陛下といい、ラジアン王子といい! いきなりどうして俺とユミリーナ王女の話が出る!」
それについては、アリシアも確かにそう思う。ユミリーナがラジアンのことを愛しているのは、アリシアもよくわかっていた。ユミリーナは一途な性格の女性だ。そんな彼女が、突然フリーデリックに乗り換えるとは思えない。
しかし、どうしてこんな話になっているのだろう。ユミリーナは知っているのだろうか。
アリシアはぼんやりと部屋に転がされた丸まった手紙を見やる。
ラジアンとともにエルボリス国になど、行きたくない。
ずっとフリーデリックと一緒にいたいし、何よりラジアンなんてもってのほかだ。
「何を考えているのか――、わかりませんわ」
本来アリシアは悪役令嬢。小説の中でヒーローだったはずの彼は、ユミリーナの結婚相手だ。
(もしかして……、わたしが死ななかったせいで、ストーリーがおかしくなりはじめたの……?)
もしもそうならば、アリシアのせいでユミリーナを不幸にすることになるのだろうか。
自分の、せいで――







