ラジアンの思惑 1
男が「確かに渡しました」と告げて去って行っても、アリシアはしばらく凍りついたように動けなかった。
エルボリス国のラジアン王子の封蝋が押された手紙――
この封蝋をアリシアは何度も見たことがある。何度も、手紙が送られてきていたからだ。
最初はそう――、ラジアンと知り合ったばかりのころ。
この世界に転生して、ラジアンとかかわりあってはいけないと理解していたけれど、一国の王子からの手紙を見ずに捨てることもできず、渋々ながらに呼んで返事を書いた。
何度もすげなくしたのに、繰り返し送られてくる手紙。
他愛ない挨拶からデートの誘い――もちろん断った――、いつまでたってもアリシアがなびかないことに業を煮やしたのか、直球でないと伝わらないと勘違いしたのか、だんだんと憚らず愛がささやかれるようになった。
その手紙は、ラジアンがユミリーナと婚約してからも続いた。
悪役令嬢とささやかれるようになったころは「僕が助けてあげますよ」という内容の手紙も届いた。アリシアが縋りつき、助けを求めることがさも当然のように書かれていた。
両親がいなくなり、もはや取り繕う外聞も地位もなくなったアリシアは、最後の方は届いた手紙に返事を書かなくなったが、それでも定期的に手紙は届けられた。
(最後に届いた手紙は、確か――)
アリシアの処刑の日の前日。
覚悟を決めて、死に望もうと公爵邸で最後の日をすごしていたアリシアのもとに届けられたラジアンから「何とかして助けてやるから」と場所と時間が書かれた手紙が届けられた。もしかしたら、国外にでも逃がす手はずを整えていたのかもしれない。
しかし――、アリシアにはよくわからない。
最初はともかく、ユミリーナと婚約した後までアリシアを気にかけるラジアンは、どういうつもりだったのだろうか。
ただの優しさ――、そう好意的に受け取ることができないのは、彼があまりにしつこすぎたからだろう。
でも、その手紙を最後に、ラジアンから連絡が来ることはなかったのに。
(どうして今更――)
手紙を持ったアリシアの手が震える。アリシアにとって彼はある種の恐怖対象だ。彼自身が怖いのではない。彼にかかわることで、再び悪徳令嬢と呼ばれはじめないかという、言いようのない不安がある。
「アリシア様?」
男が去ってからも硬直したままのアリシアを怪訝に思ったのだろう。クララが不思議そうな表情を浮かべていた。
「あ……、大丈夫よ。なんでもないわ。知り合いからの手紙で、その……、ちょっと、驚いてしまっただけで……」
アリシアは曖昧に微笑むと、手紙をポケットに入れて、クララに招かれるままに診療所へ入る。
クララの相談にのったり、診療所の様子を聞きながらも、アリシアは手紙のことが気になって仕方がなかった。
夕食後、アリシアは早々に自室に引き上げた。
ジーンがハーブティーの用意をしてくれながら、にこにこと話しかけてくる。
「そうそう、今日、結婚式で身に着けるフリーデリック様のタイピンが届いたのですよ。アリシア様の瞳の色と合わせたいと言ってアメシストを使ったタイピンになさったそうですけれど、ふふふ、届いた途端に箱を開けて、嬉しそうにニコニコして、一生懸命平静を装っていたようですけど、まるで子供のようでしたわ」
フリーデリックの乳母を務めていたジーンは、小さいころ、おもちゃを買ってもらって喜んでいた時みたいにキラキラした目をしていましたの、とくすくすと笑いだす。
アリシアもふとフリーデリックの様子を想像して笑ってしまった。彼は大人の男性だし、騎士としての腕もピカイチなのだが、確かにたまに子供のように思えるときがある。本人に言ったら拗ねてしまいそうだから言わないが、ちょっとかわいいところがあるのだ。
(結婚式――、絶対にやりたいわ……)
このままフリーデリックと結婚したい。そう思うけれど、前回の高王の手紙や――、今日受け取ったラジアンからの手紙のことが心に棘のように突き刺さる。
アリシアはちらりと窓際にあるライティングデスクを振り返った。
ラジアンからの手紙はまだ封を切っていない。ライティングデスクの引き出しにしまっていた。
「アリシア様、どうかなさいましたの?」
不安な気持ちが表情にあらわれていたのだろうか、ジーンが心配そうに顔を覗き込んできた。
アリシアは微笑んで首を振る。
「なんでもないですわ」
「そうですか? 顔色が優れないようですが」
「そうかしら? ……ちょっと、疲れている気がするから、そのせいかもしれませんわね」
「あらあら、それは大変ですわ! わたくしはもう下がりますから、今日はお早めにお休みくださいましね。湯はすでに用意してありますから。少し熱めにしておりますから、もう少しすればちょうどよくなりますわ」
貴族では風呂の世話を侍女に頼む人も多いと言うが、アリシアはどちらと言えば一人でゆっくり入りたい。ジーンはそれをわかっているから、内扉で続いているバスルームに視線を向けて告げると、「おやすみなさいませ」と言って部屋を出て行く。
ジーンが出て行くと、アリシアは立ち上がり、ライティングデスクからラジアンの手紙を取り出した。
ペーパーナイフと手紙を持ってソファに戻ると、それらをローテーブルの上において、黙って見つめる。
まだ――、開封する勇気が出なかった。
(どうしよう……)
返事を書くつもりは毛頭なかったが、開封しないといけない。無視をするにしても、読まないわけにはいかないだろう。もしも――、あまり考えられないが、ユミリーナとの結婚などの話であれば、読まなかったではすまされない。
アリシアはしばらく手紙を睨んで悶々としたのち、先に風呂に入ろうと立ち上がった。
風呂に入ってすっきりすれば少しは冷静になれるだろう。
アリシアはバスルームに向かうと、ジーンが取り揃えてくれている数々のアロマオイルの中からラベンダーの香りのものを取ると、浴槽にたらした。
途端に広がる香りを肺一杯に吸い込むと、少しだけ気分が落ち着いてくるような気がする。
アリシアはシャボンで体を洗うと、浴槽に身を沈めて天井を仰ぐ。
「悪徳令嬢って……、どうやっても幸せになれないフラグとか、立っているのかしら……」
それでも、一度はあきらめた人生を取り戻したい。
最初はふざけるなとも思った、大嫌いだったフリーデリック。でも、彼がとても優しい人だと、今はわかっている。
だから、彼と幸せになりたいと、どうしても願ってしまうのだ。







