鈴蘭の甘く危険な香り 3
「人が久しぶりに城に戻って来てみれば、これは一体どういうことだ」
カツカツと乗馬靴の踵を鳴らしながら、マデリーンはゆっくりと玉座に向かって歩いて来た。
王妃、マデリーン。
アリシアの父と従姉弟同士にあたる王妃は、玉座の前――アリシアの横に立つと、優しくアリシアの肩を抱いた。
公爵令嬢でありながら騎士に憧れて、父親である公爵を言い負かして騎士団入りした、元女性騎士。
生まれたときから定められていた国王との婚約を破棄して騎士になり、当時王太子だった王の護衛の任務についた。それからしばらくして、この情けない男は自分が守らないと生きていけないと呆れて、結局、国王と結婚したマデリーン王妃の話は、国内のみならず国外でも有名だ。
今までさんざん疑われ続けたアリシアが、証拠がないと無罪放免になっていたのは、すべてこのマデリーンの口添えであったことは、アリシアも知っている。
だが、彼女はひと月半前に、体調を崩して離宮で療養していたはずだった。
アリシアの処刑が決定されたのも、王妃不在の暇のことで――、アリシアがもうどうしようもないとあきらめたのも、そのためだったのだ。
「勝手にアリシアの処刑も決めたそうだな。わたしが毒で生死を彷徨っている間に、よくもまあ好き勝手なことを!」
王妃の鋭い叱責が国王へと向かう。
だが、アリシアは「毒」と言う一言に目を丸くした。
「毒!?」
「うん? ああ、そうか、公にはしていないのか。まあ、混乱を招かないためにはそれが賢明だろうね。そうだよ。ひと月半ほど前に毒を盛られてね。見事に死にかけた。若いころに崖から落ちて一週間生死の境を彷徨ったときよりひどかったね。もうだめかと思ったよ」
ふふふ、とマデリーンは何でもないことのように笑う。
それから、マデリーンは再び国王へと視線を戻した。
「話は外で聞いていたよ。アリシアの言う通りだ。犯人探しをしていまだに見つけられないわたしが言うことではないのかもしれないけどね、もしもユミリーナが死んだら、ブライアン、わかっているんだろうね。その首、遠慮なくもらうよ!」
国王をブライアンと呼び捨てたマデリーンは、ぴっと親指で首を切るような仕草をする。
「ひ!」
小さい悲鳴をあげてふるふると震えはじめた国王に、アリシアはあきれるしかなかった。
(相変わらず、尻に敷かれているのね……)
かわいそうなくらい玉座の上で縮こまってしまった国王に、抜き身の剣を持ったまま困惑している騎士団長二人。
思いもよらない方向へ進んで、アリシアもどうしていいのかわからない。
「お前たちも、いつまでも剣を抜いたままでいるんじゃない!」
マデリーンの叱責に我に返った騎士団長たちが慌てて剣を鞘に戻す。
フリーデリックとジョシュアも、気まずそうに視線を彷徨わせて剣をおさめた。
国王は、ちらちらとマデリーンを盗み見て、
「お、お前……、もう体調はいいのか?」
と、心配そうな様子を見せる。なんだかんだ言ってマデリーンのことが大好きな国王は、もしかして、彼女の毒もアリシアのせいだと思い、処刑の決定に踏み切ったのかもしれない。
「もうこの通り、ぴんぴんしているよ。何なら久しぶりに剣の稽古をつけて――」
「いや、いい! 大丈夫だ! 間に合っている! お前も病み上がりなんだからおとなしくしておくべきだろう!」
「まあ、わたしもユミリーナの様子を見に行きたいし、ブライアンなんかにかかわっている暇はないね」
「………」
妻の冷たい扱いに、国王が更に小さくなったように見える。
だが、少しすると、動揺が収まってきたのか、国王はマデリーンに肩を抱かれているアリシアを見やった。
「アリシア……」
なんだろう、まだ言いたいことがあるのだろうか。
アリシアが警戒していると、ブライアンはすがるような目を向けてきた。
「――お前なら……、ユミリーナを、救えるのか?」
アリシアはパチパチと目を瞬く。
さんざんアリシアを罵倒して、罪人扱いしてきた国王が――、ただの、娘を心配する一人の父親のように見える。
「それは……、みてみないと何とも言えませんわ。でも、何かできることはあるはずです」
もちろん、アリシアは神様ではない。ユミリーナの容態によってはどうすることもできない可能性もある。だが、話に聞く限り、彼女は生死の境を漂うような様子ではないそうだ。ならば、時間はかかるかもしれないが、何かできるのではないかと思う。
国王は、ユミリーナを溺愛している。だからこそ交渉ができるとアリシアが考えた作戦はこれだった。
結局王妃の登場で交渉どころではなくなったが――、剣を向けられていたあの状況では、むしろ王妃が来なかったら大変なことになっていただろう。
ブライアンはふーっと息を吐きだすと、アリシアに向けて命じた。
「アリシア、ユミリーナを助けよ」
最善を尽くします――、アリシアがそう返事をしようとしたとき。
「何が、助けよ、だ! 助けてくださいだろう!」
マデリーンが国王を叱りつけて、悲鳴を上げて国王が玉座から飛び上がった。
「た、助けて、ください……」
渋々と言った様子ではあったが、そう言いながら国王が頭を下げるのを、アリシアは茫然と見やる。
しかも――
(……これはこれで、いたたまれないわ)
国王が頭を下げたからだろう。
二人の騎士団長がそれに続き、いつの間にか、謁見の間にいる議会の貴族たちもアリシアに向かって頭を下げはじめたのだ。
「お前たちには、ユミリーナに毒を盛った犯人を捜してもらうからね。もう、嫌とは言わせないよ!」
満足そうな王妃の声が響き渡り――、アリシアは、思わずフリーデリックと顔を見合わせたのだった。







