鈴蘭の甘く危険な香り 1
アリシア、フリーデリック、ジョシュアの三人を乗せた馬車は、早朝ステビアーナ地方を出発した。
話し合った末、処刑を拒んだフリーデリックとアリシアを、ジョシュアが城へ連行、そのまま王の前に二人を引っ立てるという計画にしたのだ。
ジョシュアよりも圧倒的に強いフリーデリックを連行するというのはなかなか無理があるかもしれないが、ここは致し方ない。
ジョシュアは飄々と、兵士はみんな馬鹿だから深く考えないよ――なんて言っていたが本当だろうか。
とにかく、アリシアの計画上、城に入り込み、国王に会わなければならないので、どれだけ無理があろうとも、押し通すしかない。
「城壁が見えてきたら、悪いけど手に縄をかけさせてね。フリーデリックも、その腰の剣は一時的に没収するよ」
「わかっている。こいつも、お前になら信頼して預けられる」
フリーデリックは腰に佩いた剣の束を撫でながら、深く頷いた。
「しつこいようだけど、もし失敗して殺されたら恨んで出てやるからそのつもりで」
「安心しろ、その時は俺たちも殺されているから、誰も祟れない」
「――うわぁ、冗談に聞こえない」
ジョシュアが諦めたようにため息をついた。
「失敗しないように、最善を尽くしますわ」
「頼むよ、本当に」
ジョシュアは「最悪、俺は知らんぷりで逃げるから」と言っているが、たぶん口だけだ。逃げるつもりなら最初からこの無謀ともいえる計画に加担してはくれなかっただろう。
一か八かだけど王の命令を無視し続けるよりは健全だ――、そう憎まれ口をたたいて計画に乗ってくれた彼に、アリシアは深く感謝する。
なぜなら、アリシアとフリーデリックだけでは、王の前までたどり着けないかもしれないから。
「いいかい。もう一度確認だけど――、君たちは王の命令に背いて処刑を拒んだ。陛下に申し開きがしたいと言うから、やむなく俺が城へ連れて行くことにした。このくだりだからね」
「わかっていますわ」
フリーデリックのこれまでの功績に免じて、話だけでも聞いてもらえるようにと、ジョシュアが丁寧にしたためた手紙はすでに城へと送ってあった。国王から返事が届く前に出立したが、そこはもう、無理やり押し通す気でいる。
なかなか穴だらけな計画だが、時間がないので仕方がない。
帳の隙間から外を伺っていたジョシュアが、「そろそろ城壁だ」と告げた。
リニア王国首都――エルラッカは、城壁に囲まれた街だった。
中央より少し東寄りの小高い丘の上にそびえ立つ城へは、城壁の南と北にそれぞれ一つずつある門から、複雑に入り組んだ石畳の道を抜けないとたどり着かない。
敵が城へ攻め込みにくいように作られたこエルラッカは、かつての戦争の名残だと言うが、白亜の城の景観は美しいにしろ、少々住みにくい。
今や誰も住んでいない公爵邸のことがアリシアの脳裏によぎったが、感傷に浸っている暇はなかった。
城壁の北門が見えてくると、兵士の一人が槍を構えて馬車を止める。
「通してくれる?」
ジョシュアが馬車の帳をあけて言えば、「ストラウス騎士団長代理!」と驚きの声が上がった。
しかし、いくらジョシュアの顔見知りとはいえ、すんなりと通してはくれないらしい。
エルラッカは、出るのは簡単だが入るのは検問が厳しいことで有名だ。
一度馬車から降りるように言われて、アリシアはため息をついた。
降りたくない――、そう思ってしまうのは、カントリーハウスから王都へ戻るときに、いつもここで嫌な思いをしたから。
しかも、アリシアの腕は、ジョシュアによって縄がかけられている。痛くないように気遣って、いつでも縄が解けるくらいの優しい縛り方だったが、縄をかけられているのには違いない。これを見た人たちがどんな反応をするか容易に想像ができた。
(仕方ないわ、我慢よ、我慢!)
先に降りたジョシュア、フリーデリックに続き、アリシアが馬車を降りれば、周囲からどよめきが走った。
――悪徳令嬢だ。
――アリシア・フォンターニア公爵令嬢は処刑されたんじゃ……!
――なぜ、ランドール騎士団長も一緒にいるんだ!
ざわめきは、アリシアたちと同じく、検問で足止めされていた行商人や、外から戻って来た王都の民たちから。
刺さるような視線を浴びて、アリシアはうつむいた。
覚悟を決めても、この視線にだけは慣れない。
「ユミリーナ様にまた毒を盛ったのはお前かっ!」
叫び声が聞こえて、アリシアがハッと顔をあげたときだった。
「アリシア!」
フリーデリックの鋭い叫び声とともに、アリシアは強い力で引っ張られる。
アリシアと同じく縄をかけられているフリーデリックが、強い力でアリシアを引っ張ったのだ。
「きゃ!」
前のめりになったアリシアがぶつかったのは、甲冑をつけていないフリーデリックの胸。
縄で手首をくくられた太い腕をアリシアの細い胴体へ通すようにフリーデリックが抱きしめて、思わず抗議しようと顔をあげたときだった。
ゴッ!
鈍い音がして、フリーデリックを見上げたままのアリシアは悲鳴を上げた。
投げつけられた石が、フリーデリックの額を直撃したのだ。
「騎士団長!」
おそらく、その石は本来、アリシアに向けて投げられたものだったのだろう。
人からかばうようにアリシアを抱きしめたフリーデリックは、眉を寄せて小さく呻いた。
つーっと額から鮮血が一筋流れ落ちる。
血が目に入らないように片目をつむったフリーデリックが、「無事か?」と小さく訊ねた。
アリシアは真っ青になって、縄で縛られた手で何とかハンカチを取り出すと、背伸びをしてフリーデリックの額に押し当てる。
フリーデリックの額にハンカチを押し当てたまま、怖くなってアリシアが震えていると、その体をきつく抱きしめたフリーデリックは、キッと鋭い視線をあたりに向けた。
「今石を投げたやつは誰だ!」
フリーデリックの剣幕に、あたりは一斉に静まり返った。
「アリシア嬢はずっと俺といた! そのアリシア嬢がどうやってユミリーナ王女に毒を盛るというんだ!」
騎士団で、部下を叱りとばしていたフリーデリックの声はよく通る。
時間がとまったような静寂が落ちた中、ジョシュアが静かに口を開いた。
「今石を投げたものは、特別に不問にしてあげるよ。ただし――、次に誰か同じことをしたら、容赦なく捕縛する。どんな些細なことでも、私刑はご法度だ。わかっているよね。――君たちも、さっさと検問を終えてくれないか?」
榛色の瞳をすがめて言うジョシュアの声は、氷のように冷たかった。
検問を待っていた人たちはそれ以上一言も発せられなくなり。検問を行っていた兵士たちは青い顔をして、大慌てでアリシアたちの検問を終えて、門を開ける。
馬車に戻ったアリシアの腕から縄が解かれると、アリシアは慌ててフリーデリックの額を覗き込んだ。
右の額の生え際は腫れあがり、流れる血はまだ止まらない。
「座っていては駄目ですわ! 血が止まるまで横になって!」
「横になれと言われても……」
馬車の中は狭い。大柄なフリーデリックが横に慣れるだけのスペースはない。アリシアは少し考え、フリーデリックの顔を掴むと、そのまま自分の膝の上に引き倒した。
「うわっ」
油断していたフリーデリックは、あっさりとアリシアの膝の上に倒れこみ――、膝枕をされている状況に気がついて、顔を真っ赤に染める。
「ア、ア、アリシア嬢!?」
「いいから黙って!」
アリシア腫れている右の額を上にし、ハンカチを優しく押しあてる。
「血が止まるまでこのままで我慢してください。言っているそばから動かないで!」
「う……!」
アリシアに叱られて、フリーデリックはぴしっと硬直したが、その顔は茹蛸のように真っ赤だった。
ジョシュアはそんなフリーデリックを見ながら、はっと鼻を鳴らして笑う。
「不幸中の幸いって、こういうことを言うのかもね」
もっとも――、フリーデリックにとって、不幸よりも幸せの方が何倍も大きそうだと嗤うジョシュアに、アリシアはきょとんと首を傾げた。







